Care of the Soul “魂のケア”

セラピストとして食べて行くには?

セラピストとして食べて行くには?

振り返ってみると、スピリチュアルな本を出したり、自己啓発的な本も書いたり、一見外に向いた活動をしているようですが、私の本質は内向きの「職人」(または、おたく)だなぁとつくづく思うのです。 というのも、「本を書く人になりたい」とか、「セラピストになりたい」とか、そういう思いよりも、「探求したい」「極めたい」という思いのほうが強く、結果としてそれが本になったり、セラピストという仕事になっているからです。 また、何度も書きましたが、イギリスで学んだ心理学やカウンセリングスキルが、ボランティアをしていたアルコール依存症の回復センターでまったく役に立たなかったとき、ゼロから探し始めることができたのも癒しへの「こだわり」だったと思います。 例えば、レイプのトラウマが原因でアルコール依存症になってしまった女性が、“来週裁判で、また犯人の顔を見ないといけない。嫌だけど仕方がない”と話すのに対して、私が学んだ知識は手も足も出せませんでした。(彼女は重度の鬱にもなっていました) 何もできない自分に無力さを感じると同時に、密かに職人魂が、“彼女が絶対に楽になる方法があるはずだ。私が知らないだけだ”と叫んでいたのです。 長い話をすっ飛ばすと、それがきっかけで学んだ心理学をすべて捨て、まったくのゼロからインテグレイテッド心理学を生み出し、問いかけを生み出し、年月にすれば6年ぐらいはかかりました。 そんなこんなでゼロ出発から15年ぐらい経ち、今ではインテグレイテッド心理学講座も私以外の人も開催するようになり、問いかけスキルに熟練したOADセラピストさんたちも活躍するようになってきました。 さて、この話がどこに行くのかというと、活躍しているセラピストさんたちを見て、 “あの人たちのようになりたい、なるためにはどうしたら良いか?”的な質問が増えてきたなぁと感じるのです。 もちろん、興味や情熱もあるのでしょうが、癒しを極めたいという思いよりも、早く「活躍するセラピストになる」ことが一番の目的になってしまっているように感じるのです。 私自身がゼロから始めたとき、一体どんな方法があるのかも皆目見当もつかないし、ひょっとしたら何年かかっても見つけられないかもしれない、また、見つけたとしても、それで食べて行けるのかどうかもさっぱり分からない・・・・という、ほんとうにないない尽くしの状態でした。 でも、お手本ゼロ、保障ゼロ、仲間ゼロでも続けられたのは、癒しのへの情熱というか、職人魂というか、それ以外になかったなぁと思うのです。 みなが同じ道を通るべきだと思っているのでは、もちろんまったくありません。 ただ、基本的にセラピストは、100%自由業で、なんの後ろ盾もなく、一人勝負の仕事ですから、「セラピストになる」ことよりも、「癒しを極めたい」という気持ちが勝っていないと、続かないだろうなということなんです。 ところが、それなりの人が「こんなふうになる」、「こんなふうになりたい」という形のほうに囚われすぎ、そういう風になるには?という発想になっているような・・・。 で、形に囚われてしまうと、まだそうなっていない自分への焦りが生まれたり、人と比べたり、時間(2年内には・・・など)に囚われたり、資格の条件をこなすことが一番の目的となったり、エネルギーがまったく意味のない方向へ向いてしまうでしょう。 また、セラピストになったとしても、セッションで結果が出せなかったとき、そこを追求しようというより、自分には向いていないと思ってしまったりするかもしれません。 しかし形に囚われるのではなく、“どうしてこの人の苦しみはなくならないのだろう?”、“こういうケースの場合、私には何が見えていなくて、まったく変化がないのだろう?”といった思いのほうに囚われたら? 真剣な追求、探求モードになったとき、時間や人との比較など基本どうでも良くなるはずです。そこには純粋な好奇心、興味、情熱があるだけ。 なので、何も見えていない段階でも楽しく、焦りも出てきませんね。 もちろん、そんな保障ゼロの一人旅を始めたのが30代後半だったので、将来食べていけるのだろうか?という不安は普通にありました。あまりにお金がなくて、バスに乗るのも節約していたぐらいです。 でも、確信犯貧乏でしたし、情熱のほうが勝ってしまっていたのです。振り返っても、楽しかったなぁとしか思い出せない・・・・。 もちろん、同じぐらいの情熱を持ちましょうという話でもありません。 ただ、“セラピストになりたい!”ではなく、“癒しを極めたい!”という思いが、自然に食べていけるセラピストを生み出すと思うのです。 というか、何の仕事でも同じことが言えるでしょう。 どの道でも極めていくと、それを認めてくれる人たちが必ず現れ、それがビジネスにつながっていきますよね。 ここまで読んで、私にはそこまでの情熱がないと思う人もいるかもしれません。 情熱と言っても、熱い感覚がずっとあるということではなく、興味、好奇心がなくならないということです。 そして、情熱がないなぁと思う前に、自分が自分をどれだけ受け入れているのか?どれだけ優しい目でみているのか?どれだけ肯定しているのか?を見てみませんか? 自分への否定は、情熱への否定とほぼ同じことです。 自分への否定がやめられないのなら、やめられない自分を理解することから始めても良いですね。 ということで、最後は自己受容のいつもの話で落着♪ そういえば昔書いた「まずは思い込みを捨てましょう」という本にも同じようなことをもっと詳しく書いています♪ (絶版なので、中古品よりお買い求めください。) ☆ ☆ ☆ 北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー” 日程:2017年6月24日(土) 時間:10時~16時30分 場所:函館市亀田福祉センター http://www.kame-fuku.com/ 費用:1万2千円 【詳細とお申し込みはこちらから】 すでに80名様お申込み♪ ありがとうございます!

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“承認欲求”は分離を癒す入り口♪

“承認欲求”は分離を癒す入り口♪

“分かって欲しい”、“理解して欲しい”、“認めて欲しい”といった思いを心理学では承認欲求と言ったりしますね。ググってみるとあんまりピンとくる記事がないので、インテグレイテッド心理学風に見てみたいと思いま~す。 まず、私たち人間はみんな承認欲求があるよね~という前に、なぜそもそも、それがあるのでしょうか? インテグレイテッド心理学的には、そもそもそういった思いの始まりは、「分離感」にあるとしています。 というか、ぜひ心の中を観察してもらいたのですが、私がいて、あなたがいて、私がいて、社会があって・・・という見方そのものに「分離感」がありませんか? 私は他者や外界と分離した一つの“個”である・・・という感覚です。おそらくほとんどの人にあるはずです。私たちにとって当たり前すぎるので、普段は完全にスルーしているはずです。 それでは、次にその分離した個の私は、どうしたら世の中に生き残れるのでしょうか? それも考えないで観察してみてください。 まずは、食べていけることですよね? そして、次には社会(周囲)から受け入れられていること。村八分になった自分をイメージして、のんきに暮らしている感じはないはずです。 つまり、この分離感が「周囲から認められ、受け入れられていること」を求めているわけです。では、自分は周囲から受け入れられている、認められている、理解されているとイメージしてみたら? なんかすごく「いて良い感じ」とか「安心、安全」な感じがしませんか?落ち着きますよね? 本来の私たちが大海だとしたら、本当に求めているのは、この大海である落ち着いた自分を感じることなんです。「いて良い」なんて超えた存在そのものの自分です。 でも、個であると思っている私たちにとって、幼い頃は親が大海であり、世界ですね。ですので、親から愛されているということは、世界が自分を承認しているということになり、大海を感じられるんです。 思春期になると、友達が世界となり、友達に受け入れられているということは、やはり世界が自分を受け入れてくれていることになります。 なので、いじめというのは、世界が“お前はいらない”と言っているのと同じで、文字通り生きる場がなくなるため、非常に苦しいんですね。小さな胸の内は分離感と孤独感、絶望感でいっぱいです。それが分かっていれば、“いじめられる方も悪い”なんてとても言えません。 さて、大海であることを忘れた個の私が、承認欲求と同時に持ってしまうのが「欠如感」ですね。これもぜひ観察してみてください♪ 個の私は、完全、完結した感じはあるでしょうか? それとも、何かが足りない、何かが完結していない感じがあるでしょうか? おそらく、欠如感のほうが感じられるはずです。 つまり個の私は、そもそもが「承認欲求」と「欠如感」が組み込まれているんです。 それでも、小さいときに充分に親から愛情を注いでもらっていれば、「大丈夫感」とともに、「自分は受け入れられる人だ」「周囲は自分を認めている」という感覚も育まれるでしょう。 ところが、それが十分に感じられなかった場合、もともとある「承認欲求」と「欠如感」が刺激され、そちらのほうが育っていってしまいます。 「私は理解されていない」「私は受け入れられていない」「私は認められていない」という欲求と飢えが育ってしまうんですね。 で、それが「理解されない私はダメ」「受け入れられない、認めてもらえない私はダメ」というビリーフともなり、自己否定も強まっていきます。 そうなると、例えば自分の思い通りに行かなかった場合、それは「理解されないダメな私」と「飢え感」を同時に刺激し、ものすごい怒りとなって出たりします。 すると周囲は、大人のくせに子供みたいな我儘なやつだ!とけむたがり、ますます「理解されないダメな私」が肥えてしまう・・・・という悪循環へ。 または、その飢えた感覚を「仕事の成功」や「恋愛のパートナー」や「引き寄せ」や「SNSでのイイネ」などなど、外から何かや注目をゲットするという行為に走ります。これはほぼ無意識で、あまりにいつもやっているので、意識されることはあまりないでしょう。 基本、自我は何をするか?何を得るか?で頭はいっぱいです。悟りもそのなかにほぼ組み込まれますね。(悟りに到達する、いつも平和な状態を得る・・・) では、どうしたらこのサイクルから抜け出せるのでしょうか? 自分の何を理解して欲しいのか、どう受け入れて欲しいのかは、人それぞれです。なので、まずは自分の中にあるそれらの声に気づいてあげることです。 私の場合、それらの声がたくさんありすぎて、最初はやりきれないぞ~と思いましたが、一番強い声、傷ついている声に寄り添うことから始めました。で、くれぐれも、その声をなくそうとか、黙らそうとかしないように~。 そうではなくて、それがずっと求めていたこと、つまり「理解」をすること、「受け入れる」こと、ずっといて良いよと言ってあげることです。その声が欲しいものを与えてあげるんです。 ただ、ここで難しいのは、本当に理解して欲しい声や欲求は、往々にして潜在意識の深いところにあるものです。で、そこへのアクセス方法は、正直、ブログでは無理!出し惜しみではなくて無理~。 とりあえず、気づける声だけでも受け入れてみる価値はぜんぜんあります♪ 最終的に、私たちが求めているものは両親や誰かの愛が意味するもの、つまり「大海の自分」を感じること、それを思い出すことですね。 つまり、分離の錯覚からの目覚めです。 と書くと、自我はすぐに“じゃぁ、自分を見つめるなんて地味なことをしないで、悟っちゃえば早いよね”と言うでしょう。または、一見スピリチュアルストーリーにも聞こえるので、高い次元への覚醒を目指せ!とも言うかもしれません。 違います。 自分の中にある飢えが大きいということは、分離感が激しいということですね。その状態のまま、分離の幻想から目覚めるというのは、ブレーキを引きながらアクセルを踏んでいる感じというか、基本ベクトルが逆過ぎます。 分離していると錯覚していた渦巻きが自分を深く見つめたら、渦が大海であることが分かるはずですね。 まったく同じように私たちが自分深くじっくり見つめていくと、自分に関するあらゆる思いや感情がすべて幻想だと分かるでしょう。 そして、幻想が落ちたとき、そこに残っているのは本質だけ♪   ☆ ☆ ☆ 北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー” 日程:2017年6月24日(土) 時間:10時~16時30分 場所:函館市亀田福祉センター http://www.kame-fuku.com/ 費用:1万2千円 【詳細とお申し込みはこちらから】

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“ないもの”をあると信じている私たち♪

“ないもの”をあると信じている私たち♪

今週末はインテグレイテッド心理学講座です。年に一回の開催のため、毎回新鮮な気持ちなります。 正確に言えば、インテグレイテッド心理学は心理学というより「観察学」です。または、本来心理学が観察学であるべきなのかもしれません。つまり、誰の理論でもなく、人(自我)の心の働きをただありのままに見たものです。 で、そのためには、自我視線ではない「悟り」の視線が非常に役立っているわけです。自我がどう作用しているかは、自我活動にはまっていたら見えませんよね。そこから一歩離れた視点が必要なんです。 なので、奇跡のコースを始め、エックハルト・トーレやいわゆる悟りのマスターの言葉が非常に参考になり、インテグレイテッド心理学はそれがベースとなっているわけです。 ので、理論を覚える必要もなければ、分析も何も必要なしです。ある意味とてもシンプルなのですが、実はほとんどの人が一回の講座では理解してくれません。 なぜかというと、自我活動にはまりきっているからです。 説明させてください。 まず、椅子を見てみましょう。なぜそれが椅子だと分かるのでしょうか? 脳科学や物理学的な質問ではなく、単純に「そう教えてもらったから」です。つまり、知識を通して見ているからですね。ズッコケた方もいるかもですが、こういう当たり前すぎることのなかに真実へのヒントがたくさんあったりしますよね。 で、もし椅子という知識がなければ、私たちはそれをありのままの物体として見るはずです。つまり、すでに物と自分の間に「知識」が介入しているんです。そして、私たちはその「知識」のほうを見ているんです。 いやいや、自分は椅子のカタチ、色、そのものを見ている!と思うかもしれません。が、「椅子」として見ている限り、それはもう椅子という概念の中でしか見えていないんです。 で、ここは頭では理解されるのですが、けっこうすぐに忘れられてしまうところなんです。忘れてしまうので、あっという間にストーリー=事実となり、そこに溺れてしまう・・・。 例えば、“何軒もアンティークショップを回って、やっと見つけたお気に入りの椅子に姑が自分のコートを椅子の背にいつもかけてしまう。本当は嫌だけど、細かいことのようで言いにくい・・・。” 椅子と私と姑の物語~♪みたいな。 ちなみに、 「何軒もアンティークショップを回った」 「お気に入り」 「いつも」 「姑の~~~」 は、頭の中にしか存在していません。 「いまここ」には存在していないことです。 厳密に言えば、椅子もコートもすべて知識という頭の中にしかないものですが、癒しのワークの中ではそこまでやらなくても大丈夫です♪ 例えば、その椅子を写真に撮ったとして、何も知らない人が見たら、そういうストーリーは思いもつかないですね。どんな椅子なのか、誰のコートなのかなどなど。 もちろん、私たちはただのストーリーに苦しんでいるよね~、常にいまここにいましょう~~とか言いたいのでは、まったくありません。無理だし。 何かしましょうとか提案したいのではなく、私たち一体何をやっているの?というのがポイントです。 で、よ~く観察してみると、「私たちは、ほぼいつもないもののほうにどっぷり浸かって生きている」ということです。 くり返しますが、ほとんどの人が「ないもの」(言い換えれば、頭の中にしかないもの)の中に生きているんです。 事実は、椅子にコートがかかっている。終わり。優しくてとてもシンプル。 でも、やっぱりストーリーがとってもリアルで引っ張られてしまう・・・、なぜ?引っ張られてしまうの?どうして巻き込まれてしまうの? 自分は、「ないものを」見ているのだという点をしっかり踏まえた上で、次になぜ「ないもの」がそんなにリアルに感じるのだろう?というしくみを見ていくんです。 例えば、亡くなった母親への後悔が手放せない・・・・、母親ももういないし、頭では何一つ「いまここ」にないのはよ~く分かっている。でも、私の中ではしっかりすべてが生きていて苦しい・・・。 それは自分の中にそのストーリーを生きさせている、自分が気がついていない思いや感情の集積があるからなんですね。(私はそれを投影パッケージと呼んでいます) その集積はかなりのエネルギー量を持っているので、とってもリアルです。そして、例えば母親の写真を見るたびに、ありのままの母親ではなく、そのエネルギーの集積であるパッケージを通して見ているんですね。(投影) で、話をガンガンにスッ飛ばしてしまうと、これにはまだ種明かしがあります。うふ。 私たちがそういった様々なストーリーのパッケージを持っているのではなく、そのストーリーの所有者は不在だということです。 つまり、私がストーリーを持っているのではなく、(個)の私=自我=ストーリーの集積なんです。自我とはとても複雑に様々な思いや感情が身体とともに絡み合ったエネルギー体です。 インテグレイテッド心理学が目指しているのは、亡くなった母親への後悔というストーリーの中で何らかの慰めを見つけることではなく、その複雑に絡み合ったストーリー自体と対話しながら解体していくことです。(ある意味自我の解体) そして、解体されたその先にあるものは、受容という本質。そのとき、苦しいだけ、悲しいだけ、悲惨なだけだと思っていたストーリーは、本質によって愛されていて、とても愛おしいストーリーだったと知るでしょう。 そしてこれが、究極の癒しなのかもしれません♪ (*^_^*) ☆ ☆ ☆ 北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー” 日程:2017年6月24日(土) 時間:10時~16時30分 場所:函館市亀田福祉センター http://www.kame-fuku.com/ 費用:1万2千円 【詳細とお申し込みはこちらから】 ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座、東京、大阪とも募集終わりました。 「大阪ノンデュアリティと癒しのカフェ」募集中♪ お申し込みはこちらから ※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、 ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。 ☆ ☆ ☆ OADセッション感想文が追加されました♪ […]

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インナー・グルを育てる♪

インナー・グルを育てる♪

GWも終わりつつありますが、たまたま二日続きで同じような話題が出てきたので、ちょっとそれについて書いてみたいなと思いました。 一言でいうと、私たちは自分を導いてくれたり、教えてくれる誰かを求めるよね~というお話です。 苦しかったり、人生に行き詰まったりすると、私たちはたいてい答えを外に求めますよね。 答えは自分の中にあると聞いても、ん?こんなに分っていないのに?どこに? それに、こんなダメダメな自分のなかにあるものなんて当てにならん、やっぱりどこかに良い答えがあるはずだ・・・・みたいな。 基本的に自我は自分はたいしたことがないと信じていて、どこかに素晴らしい師がいるに違いないと思ってたりするものです。または、いて欲しいと無意識に願っているというか。 なぜなら、素晴らしい人格、完璧な人、聖なる人みたいな存在は、自我にとっては希望の星であり、もし自分みたいな人間ばかりだったら、今より良くなれる可能性を見い出せないからです。 ですから、そのテーマが悟りや非二元となれば、ほぼ間違いなく私たちは師を求めるでしょう。教えてくれる誰か、真理、真実に到達するために自分が着いて行ける誰か。 でも、着いて行くには、相手が本物なのか?信じられる人なのか?がとても気になります。なので、その人の言動を細かくチェックしたり、あの人はあんなこと言っているから違う、この人はお金を取っていないから信用できる・・・などなど、判断しようとするでしょう。 とにかく自分の意識も視線も「その人」という他者に向けられます。で、自分が勝手に持っている基準(←気づいていないことが多い)に従って、誰かをこの人なら信じられそうだ!と決めます。 さて、このようなプロセスで決めてしまった場合、次にありがちなのが、その人の話をすべて鵜呑みにしてしまうことです。 信じられる誰かを見つけるまではものすごく慎重ですが、いざこの人を信じる!と決めると、その人の言葉をただ信じ、そしてそれを実践することにまい進してしまう・・・・。 これは一見、真実に向かって精進しているように見えて、実際は「鵜呑み活動」です。自分がないんです。 誰かの言葉を鵜呑みにして、ただ信じている「自分がない」状態は、自分のエンジンで走っていない船に乗って、大船の後ろにつながって動いているようなものです。ので、大船の動く通りにしか動かない。 一見、大船につながっているから安心なように見えて、すべてが大船次第で、しかもパワーを明け渡してしまっています。ですので、自分がコントロールしていない不安は実はしっかりあります。 しかも、場合によっては、よく見たら大船じゃなくて難破船だったり・・・・・。 とりあえず、本人が大船につかまっていると思っていたとして、表面的な安心感は得られるかもしれませんが、本当の意味で楽になっていく感覚はあまりなく、それどころかじわじわと苦しくなってさえくるかもしれません。 では、誰のメッセージも信用せずに、とにかくすべて自分で考えて、自分一人でやっていくべきなのでしょうか? 例えば、私自身もルパート・スパイラやアジャシャンティなどを心の師匠と仰ぎ、動画でもリトリートでも、彼らの一語一句を聞き漏らすまいと必死に耳を傾けます。最前列に座り、ある意味、超着いて行きますモードです。 ですが、彼らのメッセージをそうなんだ~と鵜呑みにしたことはまったくないんです。必ずすべて私のインナー・グルに問い合わせるようにしています。 と、いきなり出てきたインナー・グル。 インナー・グルとは今思いついた言葉ですが、すべての人の中にある真実とのつながりを覚えている部分です。 例えば、「あなたの本質は純粋意識です」、「すべてはただ起こっているだけなのです」といったメッセージを聞いた場合、“本当にそう?”とインナーグルにまずは問い合わせてみるのです。 するとインナー・グルは、“たぶんね”というあいまいな返事だったり、ときには、“さぁ、分からん”とさえ言います。グルなのに。 でもそこでインナー・グルに愛想をつかすのではなく、インナー・グルが“その通り!”とか、“違う!”とか、はっきりした答えを出してくれるまで、あらゆるメッセージを保留にし、調査続行中とするのです。 つまり、鵜呑みにしながら探求するのではなく、自分の体験を常に中心に置きながら、ほんとにそうなの?という好奇心とともにエクササイズなり、瞑想なり、ダイレクトパスなり、自分流の何かだったりを使って探っていくんですね。 なので一見外から見れば、両者とも言われたことを実践していて、同じようことをしているように見えるかもしれません。が、内側で起きていることは、まったく違うものなんです。 で、このように人に着いて行くのではなく、メッセージを深めていく、しかもそれすら保留にしながら進めていく場合、その発信者を盲信する必要もなければ、極端な話、発信者は誰も良いんです。 もちろん、発信者に対する憧れみたいなものは抱くもので、私もルパートさんやアジャシャンティにポジティブ投影をしてしまいます。 が、それでも、最終的にはいつも私の中のインナー・グルが彼らのメッセージがほんとうなのかどうかを決めるんです。 そして、ひとたび、私のインナー・グルが「イエス!メッセージは本当だった!」と確信したとき、インナー・グルは成長し、より真実の言葉へ反応し始めます。 長い間外にグルを探し求めていたために、インナー・グルとしての役割をすっかり忘れていたのが、徐々にその勘を取り戻していくのです。 これはたまたま悟りや非二元の話ですが、それが何であっても、同じことが言えますよね。 さぁ~て、でもときには心がいっぱいいっぱいになって、何でも良いから何かにすがりつきたくなるときもありますよね。そんなとき、私は心をスローダウンしてみます。ゆっくり、ゆっくり、ぐるぐる駆け回っている思いではなく、そこにある感情が感じられるまで。 そして、その感情をただ受け入れ、心細い涙が去って、心が静かになるまで待ってみます。 きっとインナー・グルから何かを感じ取ることができるでしょう♪   ☆ ☆ ☆ 北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー” 日程:2017年6月24日(土) 時間:10時~16時30分 場所:函館市亀田福祉センター http://www.kame-fuku.com/ 費用:1万2千円 【詳細とお申し込みはこちらから】 ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座、東京、大阪とも募集終わりました。 「大阪ノンデュアリティと癒しのカフェ」募集中♪ お申し込みはこちらから ※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、 ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。

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脳至上主義を超えて♪ 

脳至上主義を超えて♪ 

イギリスのハリー王子が、最近デイリー・テレグラフ紙に母であるダイアナ妃が亡くなったとき、すべての感情を消してしまったと語っています。そのため、その後20年間とても苦しんだそうですが、2年ほど前からカウンセリングを受けることで、ようやく苦しみから抜け出してきたとのことです。 また、近いうちに「All THE RAGE」という映画が上映されます。これは、抑圧された感情が体にどんな影響があるのか、腰痛治療で有名なサーノ博士を中心としたドキュメンタリーです。 さて、心の問題に戻ると、鬱をはじめ、多くの心の病と言われるものが、きちんと表に出されない感情や認知の歪み(ネガティブなビリーフやセルフイメージなど)にあることは、セラピーの世界では周知の通りです。 ですが、たとえばある公共の医療団体のサイトには、うつ病に対して下記のようにあります。 うつ病など気分障害は近年患者数が増加しており、自殺の主要原因となるなど、その社会負担は重い。病態が未だ不明で客観的診断法もなく、治療法も十分ではない。本プロジェクトでは、脳の異常部位の同定およびそれに基づく客観的診断法の開発を行うとともに、うつ病動物モデル系や神経—グリア相関、特にオリゴデンドロサイトなど脳細胞レベルのモデル系の解析を通してより副作用の少ない治療法の開発を目指す。 つまり、鬱など心の病は、脳の中に答えがあるはずだということです。 自我の世界観は基本的に物質主義ですね。自分(体)がいて、他の人(体)がいて、それらは分離していて、その体に個別の意識がそれぞれついている。そして、その意識は脳が生み出している・・・という世界観です。 ですが、科学では脳が意識や感情、思いを生み出しているということは、まったく証明されていないんですね。 この脳と意識の関係はハードプロブレムと呼ばれ、多くの科学者たちを悩ませているわけです。脳のある部分が感情と深い関係があることは認められていても、実際に感情を生み出しているのかどうかは分からないんです。 ところが、もう十年以上前から量子学の分野やブルース・リプトン博士のような先駆的な多くの科学者から、もしかすると、脳は受信機のような役割をしているのではないか?という実験結果が出されています。 これは実は、空(=純粋意識)が本質であるという非二元とも非常にマッチするんですね。また、ユングの集合意識という考えにもぴったんこです。そして、セラピーの現場ともすご~く合います。 つまり、意識(量子フィールド=純粋意識)が先にすでにあり、体が後なのではないか? 物質によって世界が構成されているのではなく、純粋意識といったものが存在の根本なのではないか?という考えです。 例えば、「量子論の父」と呼ばれる、ノーベル賞物理学者のマックス・プランクも下記のように言っています。 “素粒子を振動させ、この最も微小な素粒子で太陽系を成り立たせているフォースから、すべての物質は誕生し、存在している。 このフォースの背景に、ある知性的なマインドの存在があると推測しないわけにはいかない。このマインドこそがすべてのものをつなぐマトリックスなのである。”  彼が言っている「マインド=マトリックス」とは、非二元の言葉では、気づいている意識、純粋意識、全体、空・・・etcです。 で、ここにあらゆる感情、思い、記憶が蓄積されていて(脳ではなく)、脳はその情報を受信しているレシーバーだということです。 エックハルト・トーレのいう人類のペインボディやユングの集合意識のように、人類の記憶、感情、思いなどが情報として貯蓄されている。そしてまた、個人のローカルフィールドというものがあり、そこにその人固有の記憶、感情、思いなどが保存されていて、脳はそこへアクセスしたり、受信したりしている・・・ということです。(そして、実は脳だけではなく、心臓も by Heartmath Institute) これは、私が普段使っているEFTやマトリックス・リインプリンティングのベースとなっている考えですが、とりあえず効果が非常に高いんです。 やはり真実をベースにしたものは、自然の法則に沿っているから効果がでるのではないか?とざっくり思っていたりします。 つまり、正常な脳が正常な感情を生み出す~のではなくて、正常な心の状態が正常な脳の機能を促すという逆転の発想でないと、鬱にしろ、そのメカニズムは解明されないのでは?と思うのです。 では、正常な心の状態とはどういうことなのでしょう? 反対に正常ではない心の状態から考えてみると、たとえば、悲しいなら悲しいと、きちんと悲しみが表に出されずに押さえつけられてしまったり、仕事上のことで実はものすごく焦っているにもかかわらず、まったく気づかずに放置され、焦りの緊張がずっと続いたり。 または、ありのままの自分(=自然体の自分)をダメな私、弱い私、できない私などなどと否定したり、またはトラウマ時に起きるように感情をフリーズさせたりした状態が続いているということです。 アメリカでは、過去に17,000人を対象に心の状態と身体の症状の関係をリサーチした研究があり、広く知られています。(Adverse Childhood Experiencesで検索すると見つかります) 実際この業界にいて、複雑に抑圧された感情や思いを解放していくことで、様々な体の症状や心の問題が解消されていくのを山ほど見てきました。 このように、心の病を物質主義的な観点ではなく、意識というフィールドの観点から見ると、私たちが注目しなければいけないのは、脳よりも心の状態だと思うのです。 宣伝になってしまいますが、OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、まさにこれをやっているんですね。 現在の心の状態を探り、心のなかにある抑圧や否定などを解除していくのです。すると、そこに再び生命のエネルギーが流れだし、健康な感覚、正常に戻った感覚、生きる感覚が蘇ってくるのです。 そもそも私たちは、本来その生命エネルギーそのものだから、現在どれだけ心がどんよりしていたとしても、すべての人がそこに帰れるはずですね♪ ☆ ☆ ☆ 北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー” 日程:2017年6月24日(土) 時間:10時~16時30分 場所:函館市亀田福祉センター http://www.kame-fuku.com/ 費用:1万2千円 【詳細とお申し込みはこちらから】 ☆ ☆ ☆ ゴールデンウィークに感情解放を学ぼう♪ JMET認定EFTプラクティショナー講座開催! 2017年5月3日~5日(3日間)東京 詳細はこちらから ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座、東京、大阪とも募集終わりました。 大阪ノンデュアリティと癒しのカフェはまだ若干お席あり♪ お申し込みはこちらから ※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、 […]

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オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)

オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)

知っている方も多いと思いますが、改めて私は「癒しおたく」です。そして、 たまの休みの気分の良いときに自己ワークしたくなり、“被害者意識まみれた乖離していた私”を見つけて、おいおい泣き、その後“デカイもの釣った!”と喜んでいる変態でもあります。 とはいえ、この分野の勉強を始めたばかりの頃は、自分を見つめるのが嫌で嫌で、見たほうが良いと分かってはいたけど、いつも先延ばししていたものです。それが一度投影が落ちて、その違いに驚いてやみつきに・・・・。 さて、今日はそんな癒しおたく街道を15年以上歩みながら、作り上げてきた「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」のご紹介をさせてください。 OADとは、「インテグレイテッド心理学」×「問いかけ」×「セラピー」の三つのプロセスを踏んだ癒しのプログラムの総称です。 まず、癒しおたくのこだわりは「セッションで何かしらの結果」を出したい!です。そこにおたくの喜びがあります。 当たり前のように聞こえますが、そこを追求しない心の専門家もけっこういるんです。研究や理論、方法論のほうに興味があったり、薬を出すだけだったり・・・。 心理学の議論をふっかけられたりすることもありますが、基本まったく興味ありません。実践第一! 生身の人間の生の悩みや苦しみを扱うのは、もし、本当にその人が楽になることを目指していたら、決して簡単なものではありません。 ノンデュアリティの真実も役に立ちません。それはたとえば、津波で愛する人や家が流されたトラウマを抱えている人を目の前にすれば、一秒でわかります。人を実際に癒すためには、まったく別の知識やスキルが必要なんです。 とはいえ、クライアントさんには言わずとも、セラピスト側がノンデュアリティの観点を持っていることは非常に役立ちます。(このへんについては、またいつか) また心の分野は、多くの人が自分でどうにかできるものだと思っている傾向もあり、心の専門家でない人も、あれこれアドバイスをしたりします。(新聞の人生相談から覚者まで) それらの人のアドバイスがある程度は有効である一方、実際にその人が癒しの仕事に携わっているかどうかは着目ポイントです。そうでなければ、たぶん大雑把なアドバイスの可能性大です。 といのも、私たちの心の構造は多くの人が思っている以上に複雑です。 ということで、こちらの図をご覧になってください。 これは理論ではなく、100%体験をベースに私が作った図です。(おたくにとっては価値が高いので、無料で公開するかどうか悩みました。) 例えば、この図にある意識の三段階のなかで、その人がどのレベルで苦しんでいるのかを知ることはとても大切なんです。なぜなら、それによって効果があるものやないものがあるからです。 多くのカウンセリングはレベル1か、せいぜいレベル2の上層しか扱っていません。そのレベルで苦しんでいる人にとっては、カウンセリングで楽になることもあるでしょう。 ですが、実はかなり多くの人がレベル3に苦しみの原因を抱えているんです。とくにトラウマは完全にこのレベルです。それが一過性であれ、複雑性であれ。 複雑性とは、ちなみに愛着障害、アダルトチルドレン、といった幼い時に虐待の経験が日常的にあったケースです。そうすると、通常のカウンセリングではあまり楽にはなれないんです。 そしてもう一つ、とっても大切だと思うのは、苦しみの原因を探すのではなく、「心の状態」をみつけていくということです。 例えば風邪を引いたとして、原因は昨日寒い場所でずっと立っていたから~では、治せませんよね。 でも、心の問題に関しては、かなりこんな感じなんです。鬱になったのは、職場のストレスのせい。だから、職場をしばらく離れたら良い、みたいな。 または、私が今恋愛で苦しいのは、幼い頃からのお父さんとの関係が原因だ、だから、幼い自分(インナーチャイルド)を癒して、ビリーフを変えれば良いのだ~とか。 こっちのほうはだいぶ近づいてきましたね。それなりに結果もでるでしょう。 しかし風邪の例に戻れば、一番知りたいのは、「今」その人の体の状態はどうなの? 喉が腫れているの?熱が高いの?ということです。 心の問題もまったく同じで、原因や過去に何があったかとかではなく、「今」その人の心の状態がどうなのかを探ることが大切なんです。 どのレベルにどんな感情がたまっているの? どんな否定が走っているの? どんな抑圧? どんな抵抗? 乖離はある? トラウマはある? 体の症状でいえば、スキャンやレントゲンなどにあたる部分ですね。OADでは、問いかけという、普段とはかなり違ったアングルからの質問をすることで、今の心の状態を見ていきます。 この問いかけは、実は同時に自分との「対話」でもあるんです。セラピストは単にサポーター役です。 また、体の症状を検査するには、解剖生理学の知識がないと一体どこを狙って検査するのか、どう診断するのかも分からないでしょう。 問いかけもまったく同じで、クライアントさんがお話しされるストーリーのなかで、一体どこをポイントに問いかければ、心の深いところが見えてくるのか?は、心のしくみを知らないとできません。 その部分が「インテグレイテッド心理学」なんです。 解剖生理学が理論ではないと同様に、インテグレイテッド心理学も理論ではありません。すべての人に共通した心の作用、つまり自我の働きがベースになっています。なので、悟りや非二元の教えとマッチするんですね。 そして、たとえばレベル3に固い自己否定や何重もの抵抗があった場合、セラピーを使ってその部分と「対話」していきます。セラピーを使わないと、ここはほぼほぼ無理です。 操作しようする意図のない開かれた空間で、隠された自己の思いや感情を見つけ出し、対話していくことで変化、変容が起きる。 さて、図をもう一度見てください。レベル3は、集合的無意識と純粋意識の場にとても近いんです。 ここでずっと抱えていた否定や抑圧などが解けていったとき、自分がいかにずっと受容のエネルギーの中にいたかということが分かるんですね。 ので、もしご本人さえ、自分の深い所と向き合う準備さえあれば(←これがとっても大切)、深いレベルの苦しみは、実は真実にもとても近いんです。 長くなりました。でも、説明したいことのまだまだ10分の1にも満たない感じ。 とりあえずOADのリーフレットはこちらです。 また、今までOADのセッションを受けてくれた方々の感想はこちら。 ぜひご覧になってください♪ ☆ ☆ ☆ 北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー” 日程:2017年6月24日(土) 時間:10時~16時30分 場所:函館市亀田福祉センター http://www.kame-fuku.com/ 費用:1万2千円 【詳細とお申し込みはこちらから】 ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座、東京、大阪とも募集終わりました。 大阪ノンデュアリティと癒しのカフェはまだ若干お席あり♪ お申し込みはこちらから […]

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恐れは愛の変形バージョン♪

恐れは愛の変形バージョン♪

幼い頃より親に虐待を受け、心に傷を受けたままの人がいます。そういった幼い者への痛みの経験には、必要であった意味付けなどありはしないと思いますし、裏返しても、その経験を愛ととることには当事者にとっては無理があります。いかなる救済も及ばない。届かない。いま、わたしが立つこの現状をどのように捉えて開いてゆけるでしょうか。 というコメントを頂きました。ありがとうございます!(*^_^*) さて、直接的なお返事ではありませんが、どんなに心の傷を受けた人でも、必ず癒しに辿りつき、愛を感じられるというのが私の信念なんです。 それはもちろん、スピリチュアルや非二元を持ち出して、すべては愛だから~と言い放って頭で納得させるものでは決してありません。 すべては愛だけれども、じゃぁどうやってそこに帰還するのか? それが一番難しく、そして最も大切なところだと思うのです。 一見話は逸れますが、心が苦しいときや人生に悩んでいるときにどこに行ったら良いのか分からないという大きな問題が社会にあるかなと思います。 例えば、病院や学校、著名な心理学者やお医者様など、思いつくところはすべてあたって、それでも解決しない場合、宗教やスピリチュアル、または自己啓発や私たちのような市井の“怪しい”セラピストのもとへ行くしかないような状況です。 また本を読んでも、分析は盛りだくさんでも、実際の解決方法となるとあまり書いていなかったり。 一体誰が良いのか?どこが良いのか?または何をしたら良いのか? 文明はいろいろと発展してはきましたが、心の分野はまだまだ未開地だと思うのです。 その理由として、社会があまりに物質主義的な考えにはまってしまっていることがあるでしょう。なので、心の問題も脳の神経やホルモンのアンバランスといった、結局“体の問題”として見てしまったり。 または心理学的な「理論」や「考え方」で解決しようとする「思考至高主義」もある意味物質主義の産物だと思うのです。 そのために、目に見えないものや意識上に捉えらないもの(抑圧された感情や思い)、または私たちの本質といったものがほぼ完全にスルーされてしまいます。 ですが、私たちの本質が物質を超えたものであるなら、物質主義の中に救済を見出すことはできないですよね。なので、現代社会を見渡すとあたかも救済などないかのように見えるでしょう。 では、どうやって愛へと帰還するのか? もちろんブログの一記事で書ける内容ではありません。 でも、長い間癒しに携わってきて、以前よりもいろいろと見えてきたものがあります。 その一つとして、「恐れ」に対する見方です。以前は、恐れの感情を取り去れば、愛が見えてくると思っていました。 ところが、恐れを癒すとそれはもともと「愛」だったという体験を重ねていくうちに、本当の意味で恐れというものは存在するのか?と思うようになったのです。 例えば、虐待されているとき、幼い心なりに自分を守ろうとその瞬間心を麻痺させたり、体を縮めたり、無意識にしているものです。もちろん、怖い!という感情でいっぱいになっているはずです。 また、自分は無力だ、人は自分を痛めつけるとか、ネガティブなビリーフも出来上がってしまうでしょう。 でも、幼い心なりに自分を守ろうとする自己愛がまずあって、そしてネガティブなビリーフの下にいつも「無力な自分なんて嫌だ!ほんとうは違う」という愛である自分に戻りたい声があるんです。 そして癒しの現場では、この恐れと愛は決して分離しておらず、表裏一体で、緊張や感情がほどけていくと、そのまま自然に愛の姿に戻っていくんですね。 つまり、恐れとは愛が歪曲したもの、愛が抑圧されたもの、愛が硬直してしまったもの・・・というように愛の変形バージョンだと思うのです。 それは大海が水(愛)で満たされていて、ときには荒波(苦しみ)になったり、穏やかな波(平和)になったりするのと同じように。 とはいえ、幼いときの虐待(複雑性トラウマの記事もご参照に)は、人間が最も刷り込まれやすいときに行われているため、愛への帰還もそれなりに時間がかかり、簡単ではありません。 次回の記事でご紹介したいと思っている「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」では、まず今一番自分を苦しめている思いや感情を入り口にして、その人の心の状態、自我の構造を見ていきます。 今自分が生き辛いのは、子供の時に虐待されたからだ・・・・というのは、今自分が風邪を引いているのは、昨晩湯上りに薄着をしていたからだ・・・・と言っているのと同じぐらい役に立ちません。 喉が腫れているのか、熱が高いのかなど、実際に体の状態を知らないといけないように、その人の心の状態を丁寧に見ていく必要があります。 で、心の状態をしっかり見極めて、セラピーを使って緊張や抑圧、硬直した思い、乖離した感情などを受容し、変化、変容させていきます。すると、荒波も水(愛)だったと実感できるんですね。 正直言えば、これらのプロセスができるようになるには、それなりの努力と時間がかかります。まして傷ついている当人が自分でどうにかするのは、かなり無理があるでしょう。 でも、お伝えしたいのは冒頭に書きましたように、すべての人が愛へと帰還できるということなんです。 ということで、社会そのものが本質を思い出し始めるといいなぁと心から思うのです♪ ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座開催 東京:5月20日(土)、21日(日)10時~17時 2日間(キャンセル待ち募集♪) 大阪:5月27日(土)、28日(日)10時~17時 2日間(キャンセル待ち募集♪) 大阪ノンデュアリティと癒しのカフェはまだお席あり♪ お申し込みはこちらから ※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、 ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。 ☆☆☆ JMET認定EFTプラクティショナー講座開催 2017年5月3日~5日(3日間)東京 詳細はこちらから 感情解放のツールとして抜群♪

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わたし目線♪ あなた目線♪

わたし目線♪ あなた目線♪

ときどき、悟り系のセミナーやお話会は、無料か低額でするべきみたいな意見をみかけます。ノンデュアリティのブログを発信するようになってから、私のところにもたま~~~にそんな声が寄せられます。 ちなみにイギリスではほとんどそういた話を聞いたことがなく、価値観がずいぶん違うなと思ったりもします。 ただ、私自身が心理セラピストなので、どうしてもこういった議論?を心のしくみから見てしまう癖があります。ということで、このテーマを心の観点から見てみたいと思います。 つまり、自分が「わたし目線」でものを見ているか、「あなた目線」でものを見ているかということです。 説明させてください。 例えば、ときどき“自分の地域でもセミナーを開催してもらえないか?”といったような声を頂きます。それはもちろんとっても嬉しいことです。 で、その理由が、自分が開催して、友達にも聞いて欲しいから~であれば、「わたし目線」なんです。“私がやりたい!私が動きますよ~”という自分主導型でハートベースの開かれたエネルギーです。 一方、遠い所に行くのは自分にとっては大変なので、あなたがこちらに来てやってくれませんか?という場合は、「あなた目線」です。 “私の都合に合わせて、あなたが努力して、あなたがどうにかしてください”という無力な私(恐れ)からの発想です。 例えば、「わたし目線」の人が、セミナーの開催場所や受講料を見て、自分にとって高過ぎる、遠すぎると思った場合、たんにあきらめるだけです。シンプル。 一見、あきらめるという引っ込んだエネルギーに見えますが、それは誰の問題か?という健康な境界線が引かれているんですね。料金を決めるのは相手の問題であって、自分ではないし、行く、行かない、または行ける、行けないは自分の問題だとはっきり分かっているんです。 他者を変えようとしたり、人のせいにしなくて良い、自分の土台に立った、とっても楽な位置です。 一方、「あなた目線」の場合は、自分は、たちまち遠い開催場所、高い(自分にとって)受講料のせいで参加できない犠牲者になってしまいます。開催者を恨むかもしれないし、自分の不運を恨むけかもしれません。 ちなみに、自分を不運だと思っていれば、やっぱり自分は世界や運命の犠牲者になりますね。 そして、相手や世間がどう変わるべきかというストーリーが始まり、“あなたがいけない、あなたが変わるべき、あなたはひどい人だ”と、超「あなた目線」になってしまいます。 当然、「あなた目線」で生きていると、あらゆることが他人次第になるので非常に苦しいです。自分が正しいと信じ切っているのに、他人は決して自分の思い通りにならないし、不満が永遠に終わらない・・・。 なので、境界線も超えまくります。相手が決めることに不平不満の嵐になり、こうすべきだ、ああすべきだとなり、言われた方も反発するので、人間関係がどんどん悪くなり・・・・。(経験済み) また、「わたし目線」で生きている人と、「あなた目線」で生きている人の見えている世界があまりに違い過ぎて、基本、両者ともまったくお互いが理解できません。 「わたし目線」の人からすると、「あなた目線」の人は、ごちゃごちゃ言ってくる面倒臭い人に見えて、「あなた目線」の人からすると、「わたし目線」の人は、つけはなす冷たい人、みたいに見えたり。 では、この目線ってどうやって作られたのでしょうか? おぎゃ~と生まれた赤ちゃんが、何か特定の目線を持っているでしょうか? そうです。なんらかの理由で否定や抑圧を意識的にも無意識的にも強いられた環境で育った場合、どうしても「私は無力」「自分は弱い」「私は犠牲者」といった思い込みが出来上がっていきます。 自分への否定が多いほど、当然、自分は小さくなっていきますよね。で、小さい自分が生き残るには、周囲がちゃんとしていないといけないわけです。 だから、目線がどうしても「あなた目線」になってしまう。 しかも、そのちゃんとして欲しい周囲も、「小さい私」というフィルターを通して見るので、優しくて、受け入れてくれる人たちというよりは、自分に危害を与えてくるような人たち見えてしまいます。 なので、「あなた目線」の世界の中は、虎視眈々とした、弱肉強食的な風景や人々は自己中心的で他者への思いやりを知らないような風景が広がっていたりします。 反対に、自分の存在が喜ばれ、自分らしさを表現することが許されていて、なんだかんだ言って、親は自分を愛しているという確信が持てる環境で育つと、「私は大丈夫」「私はやれる」といったビリーフが出来上がっていきます。 そんな「わたし目線」の世界は、個人、個人がやりたいことをやっていて、助けを求めれば誰かがいて、いろいろ起きるけど、基本、自分も周囲もつながっている風景が広がっているでしょう。 たとえ同じ家に住んでいたとしても、目線が違えば、経験しているものはまったく違います。 でも決して、「あなた目線」を批判したり、良くないと言いたいのではありません。「あなた目線」の胸の中には、健気な自分や愛おしい自分がたくさんいるんです。 一生懸命自分を守り、固く縮こまっているけど、なんとか必死で生きてきた自分。絶望感を感じないように死んだふりした自分。そして人を攻撃することで自分を見ないようにしている自分。だって、もし自分を見てしまったら、どんなにひどい自分がいるか分からないし、立ち直れないかもしれないから。 「あなた目線」が癒されるということは、これらの自分に光が当たっていくということです。最終的に、「わたし目線」も「あなた目線」も、一つの生命から現れた現象です。 そして、「あなた目線」の胸の中にある抑圧が解けるということは、生命が自らの抑圧から目覚めるということでしょう。 そんな目覚めの美しさはいつも感動的で、あぁ~、多くの人に体験して欲しい~と思うのです♪   ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座開催 東京:5月20日(土)、21日(日)10時~17時 2日間(キャンセル待ち募集♪) 大阪:5月27日(土)、28日(日)10時~17時 2日間(キャンセル待ち募集♪) お申し込みはこちらから ※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、 ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。 ☆☆☆ JMET認定EFTプラクティショナー講座開催 2017年5月3日~5日(3日間)東京 詳細はこちらから 感情解放のツールとして抜群♪

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感情のABC♪

感情のABC♪

よく観察してみれば、私たちの行動のかなりは感情に支配されていますよね。 恥ずかしいからやらない、叱られると怖いからやっておこう、食べていけなくなるかもしれない(不安)から、とりあえず仕事は続けよう、将来が不安だから貯金しておく、あいつは嫌いだから昇進させない、気に入ったからサポートしてあげよう・・・、などなど。 私たちは人生の大半といっても良いほど感情に支配されているにもかかわらず、感情はなぜかいつも二の次にされているものです。 自分では理性(頭)でものごとを決めていると錯覚し、なぜかスルーされやすい感情。 ということで、そもそも感情って何?というのを見て行きませんか? とはいえ、ブログの記事としての限界があるので、結論を先にどんどん書いてしまいます。 で、感情とは、あるエネルギーに名前がついたものです。つまり、エネルギーです。エネルギーなので変化、変容するのがその性質です。 そして、エネルギーとは生命のエネルギーですね。一つの生命のエネルギーがあらゆる形となり、感情もその一つです。 ですので、私たちが感情を押し殺してしまうと苦しいのは、生命の流れを止めてしまっているからです。感情も出口が欲しいのに、様々な理由で私たちは蓋をしてしまいます。 で、私たちは感情を押し殺していると思っていますが、実際は、その感情を持っている自分を押し殺しているんです。だから、感情を押し殺せば殺すほど、本来の生命としての感覚がどんどん薄くなっていきます。 一方で思考は活発化していきます。でも、ネガティブループの思考になってしまうので、生き辛いし、不満だらけで、自分も世間も大嫌い~な感じになってしまいます。(大投影ワールド) また少し前は、ポジティブ思考とか波動を挙げるという名の下に、ネガティブな感情にたくさんの蓋がされていたかもしれません。または、ノンデュアリティや悟りも立派な蓋になりえます。 イギリスのサイトか本で、ネガティブな思いや感情が入ったつぼの蓋の上にアロマを焚いて瞑想をしている図をどこかで見たことがあります。でも、ネガティブな感情の匂いも蓋からもれていて・・・・。 基本、私たちはネガティブな感情の付き合い方が分からず、蓋するか、逃げるかしかやらないものです。 私自身もこの仕事を始める前は、自分が感情を押し殺していることも気がつかず、なんでこんなに生き辛いのだろう?とさっぱり分かっていませんでした。 さて、話を戻して、では、感情の役割とは何でしょう? いくつかありますが、スペースの関係上、最も大きなものだけ書いてしまうと、 じゃん、「思考をリアルにすること」です。 例えば、“明日のプレゼン、失敗したらどうしよう”という思いに何も感情がついていなかったら、まったくリアル感がない、ただの文字づらですね。 EFTでは感情のレベルを図りますが、もしこの思いにレベル10(マックスに高い)の不安がついていたら? 自分が失敗するイメージが沸いてきたり、みんながしらける顔が見えてきたり、まだ何一つも起きていないのにものすごくリアルなはずです。 では、不安のレベルが3ぐらいだったら? 少しドキドキするけど、大丈夫!なんとかなる!など、自分を奮い立たせることが恐らくできるでしょう。 感情値が高くなればなるほどリアル感が増して、頭では“そんなことはない”と分かっていても、感情にくっついてくるストーリーに私たちは呑み込まれてしまいます。 で、このマックスに高い感情(エネルギー)を押し殺すのに、私たちは実はかなりのエネルギーを費やしているんです。 ちなみに英語で、欝のことをdepression(下に押す)と言いますが、エネルギーが抑圧することに使われ、息ができなくなり、活力がまったくなくなってしまう状態です。 また、感情と一言で言っても、感情には深さのレベルがあります。どのレベルの感情なのかによって、簡単に解放できたり、なかなかできなかったり。 例えば、深いところで“私はなにもできなくて弱い”というセルフイメージがあれば、そこにかなりの恐れがあるかもしれません。で、そのためどこかで “人に依存している自分”という罪悪感もあったとします。すると、依存している相手が少しでも自分について不満を言うと、罪悪感が刺激され、怒り!となって現われたりなどです。 この場合、この怒りをどうにかしようとしても、根っこにある恐れがドン!とある限り、どうにもなりません。つまり、一つの感情を他の感情や思いが支えていることもとっても多いんです。 EFTを使っている方は、最初の感情から違う感情へと移っていく体験をしていますよね?(ちなみにEFTでは、これを「エネルギーを追っていく」と言います) なので、こうやれば感情解放できます~♪みたいな簡単な方法はないんです。 簡単な方法はないのですが、一つ言えることは、自分の感情にきちんと気づいているということがものすごく大切です。 現代人はあまりに思考型になりすぎていて、自分の感情に気づいていない人、思考と感情の区別がついていない人が非常に多いです。 そして気づいたら、それを嫌がったり、持っていてはいけないとせず、どんなエネルギーなんだろう?と“好奇心”を持って眺めてみます。 そして、眺めながらも、徐々に眺めている自分(気づいている意識)のほうにより寄り添い、しばらくそこにあってみましょう。 実は、これだけでも脳がDefault mode network(ネガティブのループ)からPresent centered mode network(緊張が解け、ポジティブモードになっていく)というのに変わるとMRIの実験で分かっているそうです。 対処療法ですが、根深くないものなら、これでけっこういけるかもです。でも、いつもある感情や繰り返し出てくるものは、できれば自分を見つめて根っこから癒すのがお薦めです♪   ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座募集中♪ 東京:5月20日(土)、21日(日)10時~17時 2日間(キャンセル待ち募集♪) 大阪:5月27日(土)、28日(日)10時~17時 2日間(キャンセル待ち募集♪) お申し込みはこちらから ※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、 ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。

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心のしくみと悟りが出会えば・・・♪

心のしくみと悟りが出会えば・・・♪

インテグレイテッド心理学は、心のしくみを追求していった結果、真理(悟り)の教えと出会い、誕生した心理学です。というととても格好良いのですが、実際はへなちょこ心理セラピストの必要性から生まれた心理学とも言えます。 以前にも書いていますので詳細は省きますが、イギリスで学んだ心理学やカウンセリングが実際のセッションではほとんど使えず、どうにか現場ですぐに使えるやり方はないか?という試行錯誤から始まりました。 その結果、「奇跡のコース」をはじめ、エックハルト・トールなどいわゆる悟り(非二元)の教えにたどり着き、そこに書いてあることを実践してみると(一年ほぼ引きこもって自己ワークの日々でした)、学んだ心理学では行き詰ったいたものが、するすると解決の道が見えてきたのです。 どう違うのか?をブログの記事で書くのは難しすぎるので書きませんが、中でも大きなポイントの一つは、「抑圧→投影」という心のしくみです。 「投影」という言葉は、心理学にもありますし、自己啓発などでも使われているのを見かけます。しかし、非二元ベースの「投影」は、それらと少し意味が違います。 自分は分離した存在だという勘違いをした瞬間から、私と他のもの、私と世界、私とあなたという二元の世界観が生まれます。インテグレイテッド心理学では、この世界観がすでに投影であるとしています。 例えば、私が椅子を眺める。もうこれ自体が投影なんです。椅子というものが自分と別に存在していて、そして「椅子だ」とうい知識を通してそれを見ている状態です。 つまり、自我にとってはただの普通の状態ですね。なので、えっ?こんな普通なことをベースにして何が見えてくるの?と思う方もいるかもしれません。 ですが、この投影のしくみをもっと詳しく見ていくことで、苦しみのしくみがすご~くよく見えてきます。 例えば今でもよく覚えているのは、15年以上前のカウンセラー駆け出しの頃、同僚のミスで事故が起きて、自分が半身不随になり、仕事を辞めざるを得なくなって、将来への希望を見失ったという男性のセッションを何度かしました。 もちろん、駆け出しだったからともいえますが、彼の絶望感はがんとして動きませんでした。 でも今振り返って、もし当時すでに投影のしくみが詳しく分かっていたら、私はこの男性のおかれている状況や起きた原因に縛られず、また彼がどう思っているか、どう感じているかでもなく、彼の心の深層(投影元)をただ見ていくことで、もっと彼の気持ちを軽くすることができたのに・・・と心から思うのです。 ちなみに彼だけではなく、どうにもできなかったセッションのクライアントさんの顔は今でもよく覚えています。 彼らはある意味私に大きなレッスンをくれましたし、おかげで通常のカウンセリングとはまったく違うアプローチの今のやり方を生み出せたと思っています。(オープン・アウェアネス・ダイアローグ、略してOADと名づけました。詳細は来月お知らせいたします♪) さて他にも、例えばパートナーの言動が暴力的で、その人が変わらないと自分の悩みも解決できないように見えるというケース。 または、親子の問題、姑との関係といった長い間に蓄積した確執があり、今もそれが続いていて、カウンセリングをするとエピソードが多すぎてエピソードの大海に溺れてしまうような場合。 または、自分の容姿がどうしても嫌いだ、自分のことが嫌いだといった自分についての悩み、そして、自分の将来が不安だ、自分の今の人生が辛いという自分の人生への悩み。 強迫観念症、摂食障害といった特定の悩み。 アダルトチルドレン(複雑性トラウマ、愛着障害)のような子ども時代の辛かった記憶が多すぎるというケース。 こういった様々なケースのベースとしてほんとうに使える!と実感しています。セラピストにとって大切なのは理論ではなく、実践と結果ですよね。 もちろん、最終的にはどうしても本人次第ですので、なんでも誰でも癒せるということはありません。また、悩みによってはそれなりに時間もかかります。でも、時間がかかっても確実な変化だと私は思っています。 また、特に私が好きな部分は、インテグレイテッド心理学をベースにしている場合は、セッション中、カウンセラーやセラピストの分析や解釈、意図、アドバイスなどが一切入らないことです。 また原因探しもしません。過去がこうだったから今こんなふうなのだね~というアプローチもしないんです。それなりに有効な点はありますが、変化に限界があることが多いと感じるからです。 “もうそれは癒しました”と言いつつ、まだなんか苦しいという方は、そういったアプローチでやっている人が多いなぁと感じます。 それよりも、その人の自我の構造を明らかにしていき、見えてきたものを理解と受容という形で変容させていくほうがずっと深く恒久的な変化が起きます。 さて、こうやって人生の悩みを解決していくことも、その人の中に本来あるのびのびとしたもの、自然なものがよみがえってくることは、もちろん素晴らしいことです。 でもさらに私が経験して欲しいなぁと思うことは、その先にある個を超えた受容のエネルギーなんです。 インテグレイテッド心理学は、分離の幻想による自我の心理から始まり、やはり終わりはその幻想を超えるところに行きたいなと思うのです。 自分がボロボロのセッションしかできなくて首を突っ込んだ悟り(非二元)の世界でしたが、たまたま一瞥体験をしたことからお尻に火がつき、真実を深める旅にもどっぷりはまりました。そして今、本当の意味で両者が融合(インテグレイト)してきたと感じています。 一見個別に見える小波も、深いところでは分離のない大海であるように、心の深層というのも、文字通り個を超える場であるんですね。 ということで、ぜひ悟りの教えベースの実践に役立つ心理学、知ってみませんか? ☆ ☆ ☆ インテグレイテッド心理学講座募集開始しました♪ 東京:5月20日(土)、21日(日)10時~17時 2日間 大阪:5月27日(土)、28日(日)10時~17時 2日間 お申し込みはこちらから ※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、 ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。

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中心のない生き方へ♪

中心のない生き方へ♪

フェイスブックやメディアを眺めていると、どう生きていくかという記事が多いなぁと感じます。ということで、私も生き方について思うことを書いてみたく、でも、なんとなくノンデュアリティの話へ飛びそうな予感・・・・♪ インテグレイテッド心理学にもあるように、自我の一番の恐れは、肉体の死と自己価値の死ですね。 体が死なないように「食べていく」ということは非常に大切で、また役に立っている自分とか、存在価値がある自分でいることも生き残りにとっても大切なわけです。経済的に豊かでも、こんな自分なんて生きていても・・・と思ってしまえば、やはりとても苦しくなります。 で、そうやって「自分を存在させる」こと、しかも単に存在させるだけではなく、できるだけ良い感じで存在させることに、私たちはものすごくエネルギーを使っているわけです。 いや、自分はダメダメな自分だからもう人生あきらめている、・・・という人でも、本当に自分を受け入れていなければ、そこに恐れや無力感やら、いろいろな思いやらがあり、かなり重たいエネルギーを保持しながら生きています。 もし、「いけている私」であれば、エネルギーはだいぶ軽くなりますが、それでも、その自分を維持するエネルギーはかなりのものです。 とくに知らぬ間に使っているエネルギーは、「私がどうにかする」という思いでしょう。お腹のあたりにある「意志」のエネルギーですね。 私が決める、私が計画する、私がやる、私が考える、私の責任、私がしないといけない・・・。 私のことは、私しか決められない、という思い自体は、もちろんその通りで、自分のことを他者に依存してしまったら(境界線越え)、それは人間関係の不幸の始まりです。 そういう意味で、精神的な自立というのは、健全な人間関係の基礎ですよね。 なので、決してそれが問題だ~などと話したいわけではまったくありません。 でも、もう一つの生き方があると私は思うのです。それは、ある意味センターがない生き方。 自我的に考えると、センターがない生き方って、ふぬけな感じ、中心がないの?自分軸がないってこと?というように聞こえるかもしれません。 それはもちろん、ふぬけなフラフラした状態で生きるということではなく、今まで個の自分が中心にいて、サバイバルゲームに必死に勤しむ生き方をしていたけど、そのセンターを「気づいている意識」に明け渡すということなんです。 つまり、自分軸を「生命、気づいている意識、純粋意識」軸にする。そこは空っぽどころか、無限のエネルギーで満たされるんですね。 例えば、あまり知らない人たちが集まっているミーティングに行く前、私はいつも緊張をしてしまいます。ちなみに、楽しい会合やよく知っている人たちに会うときは、あまり考えずに現地まで行ったりしませんか? 相手がどんな人たちなのか分からない、自分がどう受け入れられるのかが見えない、そんなとき、私の頭の中でシュミレーションが起き始めます。 こんなふうに挨拶して、とりあえずこれは伝えて、そしてあとはさっさと帰ろう・・・みたいな「私計画」立ててしまったりするんです。で、相手が見えないだけに、この計画の中に相手はぬけてしまっています。 これは例えば、個の私がどうするかを決めている状態ですね。緊張すればするほど、頭の中が忙しくなり、あぁしよう、こうしようと考えてしまう。ですので、自分が決めているのですが、基本、恐れがベースになっています。 でも・・・・、やっぱりここでノンデュアリティに話が飛びます。皆さま、シートベルトをお締めください。(これ、2回目の登場) でももし、「わたし」が何かしなければ、ということ自体が幻想だったら? それがそもそも不必要な緊張だったら? 人生は、私が決めているのではなくて、生命が私を動かしているのだったら? 深呼吸をして、緊張を落とし、流れ、生命を信頼し、リラックスしたまま、自分から出てくる言葉、行動を信頼する。そして、相手の言動に対してそのときに自分から出てくる反応を信頼する。 恐れや緊張ではなく、本質の流れを信頼した生き方。 こうすれば、すべてはうまく行く~とかそういう話はまったくありません。そういう話にしたとたん、自我の狭いワールドに戻ってしまうでしょう。 自分にとって都合が良いか、悪いかではなく、生命が指し示す優しさ、智慧、深さが見えるかどうかということですね。 生命を信頼し、一見、自分にとって不都合なこと、悲しいこと、腹立つことの中に生命の宝を見つけることができるか?ということなんです。 そして、それが生きる軸となるかどうか。 そのために、やはり、自分は本当は何なの?という根本的な問いって大切だなぁと思うのです。 私たちが、体や思いや感情を自分だと思っている限り、生命軸へのシフトは難しいですよね。 でも、個の自分というものは幻想で、真実は、ただ一つの意識、純粋意識、生命がダンスをしているということ。 今もし、それが感じられなくてもまったく良いのです。大切なのは、思い込みや理論、知識で自分を縛らず、心をオープンにしていることでしょう。 そうであれば、生命のタイミングで必ず大海に運ばれるはず。なぜなら、それ以外に私たちが行くところはなく、そして本当は最初からそこにしかいないのだから♪♪   ☆☆☆☆ お知らせ ☆☆☆☆ インテグレイテッド心理学講座の募集を2月15日(水)より開始を予定しております。 今回は、先行予約制度をなしにしましたので、そんなに急がなくても大丈夫だと思います。が、お申し込みはそれなりにお早めに~☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ インテグレイテッド心理学をベースに問いかけやセラピーを使い癒していくやり方をこの度、「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」と名づけました。詳しい発表は来月末あたりの予定です。 ということで、このやり方(OAD)で癒しのジャーニーを歩んでくださった方の事例を今回もご紹介させてください。「絶対に父を許せない私」by セラピスト浦松真澄 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ また、現在「赤坂溜池クリニック」で、下田屋寛子さんが、OADセッションを行っています。パニック障害、または他の心の問題でお悩みの方、問い合わせてみてはいかがでしょうか?

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愛への一番のガイド役~それは見たくない自分~

愛への一番のガイド役~それは見たくない自分~

なぜだか分かりませんが、警察の不祥事みたいな動画を先日見ていました。不祥事をあばいて、正義を通そうと頑張る側、必死に不祥事を隠す側・・・。おそらく人類が始まってから、ずっとあっただろう戦いです。 で、これも人類始まってからありがちだと思いますが、隠す側が権力者で、だから隠せ通せてしまうみたいな。そして、庶民は泣き寝入り・・・。 一見外側から見ると、庶民は弱い犠牲者側のように見えるでしょう。実際、人生は翻弄され、目に見えたダメージを受けているので、そう思うのは当然です。 話は少しずれますが、実際自分の中にある犠牲者意識にワークをしていると、あっという間に人類の犠牲者意識(集合的意識)につながってしまいます。人類の歴史を振り返れば、支配される側のほうが圧倒的に多いので、人類として犠牲者意識が集積されてしまっていてもまったくおかしくないなぁと思います。 ちなみに、一番最初そこにつながったとき、わぁ~手に負えないと思いましたが、そこはある意味個を超えた純粋意識の場でもあり、私はあっという間に愛と受容のエネルギーにも包まれました。 こんなふうに書くと、なんだか違う次元にアクセスしたとか、スピリチュアルな話に聞こえるかもしれませんが、普通に地味なセラピーのワークをしているだけです。(フォーカシングやマトリックス・リインプリンティングなど) さて、話を戻します。 一見、強いのは不祥事を隠している権威側、弱いのは犠牲者側に見えるわけです。 でも、こころのしくみから見ると、守ろうとすることで圧倒的に自分を弱めてしまっているのですね。地位や収入、世間の評判とか、そういったものを失うことからなんとか自分を守ったかもしれません。 ので、外側から見れば、引き続き安定した人生を送っているように見えるでしょう。しかし、“私は本当は不祥事を働いた”という事実に毎日向き合うのは辛いので、たいていは理由をつけて抑圧し始めます。 つまり、そこは絶対に見たくないゾーンになるんです。で、見たくないゾーンが私たちに何をするかというと、実は、私たちをコントロールし始めるんです。 ないことにしたものに、逆に私たちは支配されてしまうのです。このケースの場合、人それぞれでしょうが、どんな感じになるかというと、まず、自分は悪くないという仮面をしっかりつけ続ける努力をしないといけなくなります。 無意識の努力ですが、かなり疲弊します。そして、ちょっとでも悪い自分になりそうな状況があれば、必死に守り、攻撃しないといけませんね。 そして、潜在意識のある意味怖いところは、もともとの一つの出来事だったことを広く一般化してしまうことです。つまり、最初は不祥事という出来事だったのが、いつの間にかいつでもどこでも悪い自分になってはいけなくなるんです。 すると家庭でも、自分が悪いと言われているような気がする(←脅迫観念状態になります)だけでも、反応してしまったり。 どんな形で出るかは、人それぞれです。ですが、ポイントは、表向きは安定した暮らしを維持したのかもしれませんが、心の中は毎日防衛と攻撃だらけで、精神的にはかなり疲れる状態になってしまうんです。 でも私たちは、たいていこんな心の動きには気づかず、不幸感やイライラ感などがただ高まっていくだけです。 ですが、確実にその人の精神や人生の輝きを奪い、弱点となってしまうんです。 ちなみに、例えば愛する家族を守るとか、そういうケースの守るではないことはお分かりかと思います。 例えば、家族を守った自分をないことにしなくても良いわけです。そういう意味で、“ないことにしておきたいもの”を守っているという場合です。 例えば、ネガティブなセルフイメージもそうです。“私は頭が悪い”、“私はいなくて良い存在だ”、“私は罪深い”、“私は醜い”といった思いと向き合っていたくない、または、頭が悪い私をダメだとまた否定する、などです。 “否定する”と“ないことにする”は、ある意味同じです。この場合はなんとか“できる私”にならないといけないんですね。で、そうすると同じようなことが心の中で起きます。 つらつらと説明してきましたが、これは決して理論でも私の考えでもなく、心の観察と自己ワークやセッションからの経験を書いています。 現場のセラピストですので、心理学の理論、データ、分析などにはあまり興味がないんです。なぜなら、セッションでほとんど役に立たないから、終わり。 さて、また話を戻して、私も自分が不誠実だなと感じることがあります。本当のことを言っていない、自分を守ろうとしている・・・と。そんなときはやっぱり心が落ち着かず、体に力が入りません。 例えば、本当はすごく腹が立っているのに、寛容な自分にみせたいなど。些細なことに聞こえますが、いつもやってしまうとやはりすごく疲れてきますよね。 あとは、自分が傷つかないように心を開かないようにしておく、がっかりしすぎないように期待を持たないようにしておく、というような形で自分を守ったりすることも、私たちはよくやると思います。 弱い自分、悲しむ自分をないことにしたいんですね。でも、ハートを閉じてしまうことで、実は恐れがひどくなり、希望を持たないことで、うっすらとした憂鬱が私たちを支配し始めます。 じゃぁ、どうすれば良いのでしょうか? すべての平和は、防衛や攻撃ではなく、「対話」から始まる。 ということで、「ないことにしたい自分」との対話が最初のステップです。 その自分をどうにかしようとするのではなく、理解しようとすることから心の平和は始まります。 で、対話を続ければ、どこにたどり着くと思いますか? そうです。最終的には、弱い自分や悪い自分というものは存在しなかったと分かるはずです。 そしてそのときに、本当の意味で私たちのハートが開き、いろいろな幻想が落ちます。 ということで、見たくない自分とは、実はどんな聖人の言葉よりも一番パワフルに私たちを愛へと導いてくれる存在ですね♪   ☆☆☆☆ お知らせ ☆☆☆☆ 春までの日本でのセミナースケジュールをアップしました♪ インテグレイテッド心理学講座 ~悟りの教えと現場から生まれた心のしくみの融合~ ご興味ある方は、ぜひダイアリーにメモってくださいませ~☆

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ペインボディに気づく♪

ペインボディに気づく♪

この仕事をしていて、最も難しいなぁ~~と感じるのは、本当はかなり苦しんでいるのに自分が苦しいのだということが認識されていないケースです。 ので“苦しい~~!”と言っている人は、実はかなり良い感じなんですね。それが他者の注目を引くために使われていない限り、正直ですし、基本的に癒しのオープンです。 では、ほんとうは苦しいのに、なぜそれが認識されないのかというと、例えば“私はもう充分癒しをしてきて良くなった”とか、“悟りを実践しているから見なくても良いのだ”といったような思考で説き伏せてしまっているからです。 つまり言い換えれば、思考に同化し、感情や感覚がちゃんとキャッチできていないんですね。 思考に同化しすぎると、同化しているという認識も失ってしまい、感情や経験のすべてなにもかもが思考に吸収されてしまいます。 なので例えば、“~~されてどう感じましたか?”という質問にも、“まただっていう感じです。”と、感情や感覚ではなく、思い(思考)が返ってきたりします。 そこで、“まただって”思って、どう感じましたか?と尋ねると、この質問にしばしば沈黙が起きます。えっ、まただって感情じゃないんだ~というような。 なので、こちらで例えば、悲しいとか腹が立つとか?と助け舟を出して初めて、あぁ、悲しい感じです、と感情をやっと認知できるんです。 でも、こうやってせっかく感情を引き出しても、なんでだろう?あのせいかな?などと理由、原因探し、または分析などの思考にあっという間に飛んでしまい、また感情を尋ねて、でもすぐ思考に戻ってしまう・・みたいなやりとりはセッションでも年中あります。 で、同化している思考が、他者を悪く見ている、自分を否定している、または何かに不安や恐れを抱いているといったことであれば、まだ不幸感が認識されやすいのですが、悟りやスピリチュアルなメッセージの場合、それはほぼスルーされてしまいます。 例えば“私がいない・・・ということが見えてしまったら、まともな人生を生きられなくなってしまうのではないか?”というノンデュアリティへの疑問のふりをした不安のストーリーになって現われたり。 または、“自分が恐れを感じたとしたら、それは分離感のせいなのだから、すべては愛だと分かれば、恐れは消えるはずだ”といったような完全に思考の理解によってスルーされたり。 先日、フェイスブックに投稿した記事にこんなご質問を頂きました。 “私の理解不足で、最近、疑問に思うことがあります。悟りや奇跡のコースでは、この苦しみや出来事は幻想だから、このことを現実のものとしてはいけないと。ゆるしの実践をしている友人がいます。その友人は最近、病気になりました。病気も幻想だから、ないものとしている。長年、家族から否定的なことを言われても、幻想だからとゆるしの実践をしています。” これなどは、真実のメッセージが思考活動に呑み込まれてしまった例かなと思います。「苦しみや出来事、病気は幻想である」という思い自体は真実を指しているだけに、余計気づきにくいでしょう。 しかし、幻想の終わりとは、言い換えれば本質(愛)の始まりです。そして本質は言葉(=思考)では決して現せないものであって、「苦しみや出来事、病気は幻想である」と単に思っただけでは、肝心の本質はすっかりスルーされたままです。そして「ないことにする」という行動だけが残る。 もし、本当に幻想が幻想だと見抜けていれば、出来事も体もないことにするのではなく、本質(=愛)が体現されたものとしてきちんと向き合い、ケアするはずです。 でも、もしこの方が実は思考に同化してしまっているのだと気づかなければ、そしてまた許しも“幻想なのだから許そう”というような思考でやっていたとしたら、苦しみは認知されずに、放置されたままになってしまうでしょう。 人づての話なので、まったく間違っているかもしれませんが、ただ、このようなケースはけっこうあるかと思います。 で、でもやっぱり、どこかで自分がハッピーではない、すっきりしない、変わった感じがしない。どんなに知識が増えて、しくみが分かったとしても、心の中は何も変化していない。 密かに怒りや苛立ちが高まってくるけど、それも認識されない。 エックハルト・トールのいう“ペインボディ”の出来上がりです。 ネガティブな感情の集積が、まさにその人そのものとなり、生き物として人生を生きている状態です。 つい、自分のフィールドである癒しや悟り中心に語ってしまっていますが、思考にしか意識がいかなくて、ネガティブな感情をためこんでいる人は世の中にごまんといますよね。 では、どうすれば良いのでしょうか? もちろん、答えは一つではありません。 でも、とりあえず、思考という妄想やストーリーをがんがん生み出すものから、もう少し言葉数が少ないものに注意を向けてみませんか? つまり、「体」です。 一日のうちに数秒でも良いから、何度か体に意識を持っていくんです。長くやるよりも、回数が多いほうが効果的です。 体に感じられる感覚、感情があれば、そこで分析やレッテル張りに走らず、「好奇心」を持って、その感情や感覚が動くままに自由にさせてあげます。 理想的には、落ち着ける時間と場所があれば、それらの感覚や感情とダイアローグを持ってみることです。ただそれは、“どうして?なぜ?”という質問ではなく、“望んでいることを教えて?”、“言いたいことがあったら、100%受け入れるよ”といったようなダイアローグです。 この問いに頭で答えるのではなく、感覚に集中したまま、しっくりくる返事が現われてくるまでただそのままでいます。(これは、多少経験がないと難しいかもです) ペインボディは基本的に理解してもらいたがっているんです。かたくなになっていることが多いのですが、本当は受け入れて欲しいんですね。 ということで、セラピストの半澤久恵さんが書かれた、ちょうど良いブログの記事がありますので、それを最後にご紹介させてください。自分の中にあった感覚とのダイアローグが物語り風になっていてとても読みやすいです♪ 題して「村に虹をかけた男の子」のお話。 PS:マトリックス・リインプリンティングやRFTでは、こんなジャーニーが山ほどあります。もちろん、大切なことは、自分の中に受容のエネルギーが増え、ペインボディが薄くなっていることですね♪

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賢者の言葉よりも聞きたい言葉♪

賢者の言葉よりも聞きたい言葉♪

この仕事を始めてから、例えばフェイスブックでシェアされている感動的な言葉に複雑な気持ちを抱いてしまったりします。 例えば今日たまたま拾ったのは、イギリス人の友人がシェアしていたものです。(日本語訳しました) 一日でも後悔しないでいこう 良い日は幸せを与えてくれ 悪い日は経験を与えてくれ、 最もひどい日はレッスンを与えてくれる そして、最良の日々は思い出をくれるのだから 個人的にはおぉ良い言葉だ~、トイレに貼っておきたい!と思ったりします。 じゃぁなんで複雑な思いになるのかというと、美しくて正しいと感じる言葉ほど、抑圧の道具にも使われやすいからなんです。スピリチュアルやノンデュアリティのメッセージなども。 ひどい一日だった・・・という本当の思いを抑圧して、“でもこれはレッスンを与えてくれているのだから”とか、“起きていることが起きているだけ”とか、良いことにしてしまうというような。 でも実際は“ひどい一日だった、もうたまんない、やっていられないわぁ~~~”と本心を認めてあげるほうが楽になる早道ですね。もちろん、単に愚痴って叫べば良いということではなく、きちんと本心を深く見ていってあげるということです。 すると、やっていられないわ~~の叫びの下に、“誰か助けて”という声が隠れているかもしれません。その声をちゃんと受け止めてあげたとき、本当の意味で気持ちが落ち着きます。 でも実は単に気持ちが落ち着くだけではないんです。で、それはもう少し後で触れることにして、他には説教系?のようなものもみかけます。 例えば、 “人と比べることは愚かなことです。”とか、“怒りは人を苦しみの牢獄に閉じ込め、許しは人を解放し、心を温める。”(By あゆか 今、でっちあげました)みたいな類です。 まったく無自覚に人と比べていたり、ただただ誰かを悪者にして怒りを抱いている場合は、これらの言葉にハッとするかもしれません。それはそれでお役目を果たしているでしょう。 しかし、人と比べないように頑張るとか、怒りを持ちながら無理やり許そうとするとか、失敗が目に見えていることをチャレンジしてしまうと逆に不幸です。 これも、どうしても人と比べてしまう理由や怒りが手放せない原因をちゃんと見てあげたほうが、逆に早道です。 ので、私がこういったメッセージをもし書くとしたら、 “賢人の言葉よりも、自分の中にある言葉に耳を傾けよう” となるかもしれません。(そのまんまだ) でも、この違いは実はとっても大きいんですね。 前者は、他者の言葉を頭で捉えて、頭で納得し、それを自分の考えとして採用するという、すべてが思考レベルでの試みになります。 誤解して欲しくないのは、もし、どの言葉でも自分が楽になる、心が晴れるということでしたら、とりあえずガンガン採用してください。ポイントとしては、ただそれだけでどうにかしようとしないほうが良いかも~ということです。 話を戻して、一方、自分の中にある声を聞くというのは、思考Aを思考Bに変えるのではなく、気づかずに信じ込んでいた思いからの同化がはずれるんです。 自分の中の声を聞くには、なるほどそうか~と頭のレベルだけで終わらず、自分の感情にも寄り添っていかないといけせん。そしてそのためには体に寄り添うことになり、思い、感情、体と三つのレベルでワークすることになります。 で、よくあるのは、誰か助けてという声の下に、どうしたら良いか分からないという声、そして例えば目隠しして歩いているような自分のイメージ、さらにその下に、“分からない私でいるのは嫌だ!私はほんとうは違う!”という真の声・・・・。 いくつもの声が抑圧されたまま、思考のレベルでなんとかしようとしても、それはとても浅い試みとなってしまいます。 ちょっとここで私の大好きなエックハルト・トールの言葉を借りたいと思います。 “自分の中にネガティブな状態があると気づいても、それは失敗ではない。それどころか成功である。それに気づかない限り、内面の状態と同一化したままであり、それがエゴとの同一化なのだから。”*「ニュー・アース」P130 つまり、抑圧された思いたちに気づかない限り、私たちはそれらにすっかり同化し、エゴに同化したままだということです。それはある意味思考の催眠状態にいるのと同じです。 ですが、隠れていた思いや感情がきちんと認識されたとき、もうそれらに同化することは難しくなります。もちろん、このレベルの思いは気づいても、感情がついている限り、セラピーなどを使わないと外れない場合が圧倒的に多いです。 それでも、無意識に同化している状態に比べれば、はるかに楽。 ですので、気分が落ち着くだけではなく、自我の幻想を崩すことになるため、もっと根本的な癒しになるんです。楽になるだけではなく、物の見方、感じ方がぐんと変わります。 思考に同化している限り、本当の意味の変化を知ることはできないでしょう。 なので、思考を観察する状態に自分を持っていくこと。そして、できれば、心の奥深くにある思考を観察できる状態になること。 なぜなら、気がついていない思いほど私たちは強く信じ、同化しているからです。そして、それを通してものごとを判断し、反応し、人生を体験しています。 では、どうやったら、自分の心の奥深くの思いを見つけられるのか? 正直言って、簡単ではありません。自分がスルーしている思いに自分で気づくのは至難の業です。ヒントは、とりあえず本心をきちんと把握し、そこにある感情、感覚の声を頭で考えずに拾っていくことです。 こういう授業が義務教育であったら良いなぁと妄想します。 とりあえず、自分の声(言葉)も忘れずにね!というご提案でした♪   ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆ ハートレジリエンス協会が送るショートセミナー♪ 「不安がなかなか頭から離れないあなたへ」 2017年1月29日(日)14時~16時半  

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クリスマス難民のあなたへ♪

クリスマス難民のあなたへ♪

クリスマスやお正月の時期は、もしかするといつもより人と自分を比べてしまうかもしれません。特に独身者や単身者は、家族でワイワイしていない自分・・・が身に染みる季節かもしれません。 イギリスで貧乏学生をしていた頃、クリスマスの日は電車も一切動いておらず、家で一人で過ごすしかない状態でした。そんなとき、アンソニー・デ・メーロの「Awareness」という本に“クリスマスは、自分の頭の中にしか存在しないって知っている?”という言葉があり、目を開かされたものです。 そのとき、「クリスマスを外国で一人ぼっちで過ごす私」という思考がパラパラと落ちて行ったのです。 とはいえ、それですっかり孤独が癒されたわけではありませんでした。ですが、それなりに楽になったしとテレビを観て気を紛らわしてその日は過ごしました。 その後、どれぐらい経ったとか、まったく覚えていませんが、人と比較されて傷ついたことをテーマに自分を見つめていたことがありました。今振り返れば、このときのワークはその後の私に大きな影響を与えくれたような気がします。 当時他者の批判に敏感だった私がよりにもよって、“~~さんと比べて溝口さんはぜんぜんダメですね。”みたいな分かりやすい比較と否定の言葉に、気持ちがどん底状態に陥ってしまったのです。 で、その晩は眠れない、眠れない。思考は、私にも良い所があるとか、相手は私のことを誤解しているだけだとか、なんとか気持ちを静めようと頑張りますが、やっぱりすっきりしません。 ということで見つめていくと、まず、相手へのものすごい怒り。その怒りを自由にしてあげ、しばらく罵詈雑言を放ち、そして泣いたらかなりすっきり。(当時はEFTを知らなかったので、あるワークショップで習った、怒りを体で表現するという方法をやりました。始めて見たときはかなりひいたエクササイズでした。) すっきりした~と思ったのですが、なんかやばい感じが・・・・。 これは今ならはっきり分かるのですが、一つの感情や思いが解放された直後にやばい感じがでるときは、基本大物の登場です。 ただ、その当時はそれを知らなかったので、???な状態のまま、そのやばい感じに寄り添うことにしました。で、今でもお気に入りのツールであるフォーカシングをやってみたのです。 すると、そのやばい感じは、暴力的なほどの怒りになり、そこで再び怒りを体で現すということをやってみると、なんと手にナイフを持っているようなジェスチャーで自分の首を何度も刺そうとするのです。 うひぁ~~、エクソシスト?憑依された?殺される~? 恐怖が走る中、とりあえずそのジェスチャーを続け、私は必死にそれが“なくなる”方法を模索していました。しかし、その怒りとジェスチャーはまったくびくともせず、ひどくなるばかり。 詳しい流れは覚えていませんが、何かを問いかけた瞬間、 “そんなに私を嫌わないで”という声が浮かんできたのです。そして、“息も絶え絶えで死にそうなんだから”という声も聞こえてきました。 そこには、すべての人から嫌われていると信じ切っている私がいたのです。そんな自分が自分の中にいたとはまったく気づいていませんでした。モンスターのように思えていた怒りは、死にそうなほど自己価値が落ちて、なんとか生き延びようとしているもがきだったのです。 そのとき、イメージの中でその自分をしっかり抱きしめたい衝動にかられ、気がつけばモンスターはいなくなっていました。 癒しとは、ネガティブな感情を解放してくことだと思っていた私に、これは大きなレッスンとなりました。またなぜ、フォーカシングが「過激な受け入れ」を教えているのかも深く腑に落ちた瞬間でした。 一連のワークが終わった後、例の比較の言葉は楽しくはありませんが、単にその人の考えというニュートラルなものになりました。(今なら、マトリックス・リインプリンティングを確実に使うところ、たぶんもっと楽になります。) ある意味ほっとしたのは、比較したり、されたりしたときの解決方法は、もっと良い自分になることではないんだとはっきり認識できたことです。 ところが、楽になっていたのは比較されて傷ついた心だけではありませんでした。それまでいつもうっすらとあった孤独感が和らいでいる、というかほとんどない。これは嬉しい副産物でした。 自分の中に放置している自分がいる、否定している自分がいる、見捨てられた自分がいる、これらの自分が「孤独感」というサインを送っていたのです。 自分の中の否定された部分は、孤独を生み出したり、比較されて怯えたり、いろいろな形で出ることも見えてきました。 しかし、おそらくここで私が一番学んだことは、「私は私から逃げなくて良いし、戦わなくても良い」ということだったでしょう。 つまり、「受け入れると良い」と頭では知っていたけど、結局、いつの間にかネガティブな感情から逃げたり(頭で説得したり、納得させたり、何かで気を紛らわしたり)、またはなくす(あっちへいけ!)ために受け入れようとしていたことがよく分かったのです。 真の受け入れとは、ネガティブな感情の奥をよく見ること。その下に隠されている言葉を聞いてあげること。そして、自分の中のすべての自分ともう一度家族になること。(それが私たちの本質だから) それはもう一つのカミングホームとも言えるでしょう。自分の中の忘れ去られていた自分が「わたし」という家に帰ること。 これは一見、非二元の真実(私はいない)の真逆のように見えるかもしれません。でも、自我が「空」に憧れる大きな理由の一つは、もうこんなうんざりするような感情から逃れたいということだったりします。 でも、「わたし」という家にすべての私を受け入れたとき、「わたし」はわたしをあきらめ、生命にゆだねることがもう怖くなくなるんです。なぜなら、もう守るもの、とどめるものがなくなるから。 そして、本当のカミングホームが起こる♪ (*^_^*) すべての私にハッピー・クリスマス!   ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆ ハートレジリエンス協会が送るショートセミナー♪ 「不安がなかなか頭から離れないあなたへ」 2017年1月29日(日)14時~16時半  

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理想と現実のギャップに悩んだら?

理想と現実のギャップに悩んだら?

おぉ、一か月近く更新していませんでした。いやぁ、公私ともども日本にいると忙しいです。 さて、先日、一橋大学×東工大の大学院の学生さんにインテグレイテッド心理学(来年名前が変わります)の講義を1日させて頂きました。好感触でとても楽しかったです♪ で、学生さんと話をしていて、私自身もほんとそうだったのですが、やっぱり「理想の結婚像」とか「理想の人生」とかいろいろ描くわけです。 こんなふうな家庭が欲しい、こんなふうな人生にしたいという漠然としたイメージですね。これは人間がほぼ全員やることでしょう。 ですが、そのイメージ自体は基本、とっても大雑把でぼんやりしたものです。 「笑顔が絶えない明るい家庭」とか「自分らしさを活かしていきいきと」とか。(←学生さんたちがこう言っていたわけではありません) でも、例えば笑顔が絶えないって、実際に現実にはどういうこと? パートナーの仕事が忙しくなって相談する時間がなくなっても笑顔でいられる? まったく意見が合わないことがあっても? 自分らしさを活かすって、具体的にどんなこと? 何をしていること? いきいきしているってどんな状態のこと? せっかくの楽しいイメージに重箱の隅をつっついているようですが、なんでこんな話をしているかというと、イメージはやっぱりイメージなんです。そこになんの実体もないんですね。 ですが私たちは、それがあたかも現実味があるように思えたり、またはそうなるべきだと強く思ってしまったりします。結果として、多くの人がイメージと現実とのギャップに苦しんでしまうんですね。 で、それでもイメージが間違っているのではなく、現実が間違っていると私たちは思いがちです。 なので、必死にイメージに合うように現実を持って行こうとして、ここでまたさらに苦しんでしまう・・・・。 でも例えば、「明るい家庭」を理想像としながら、心の深いところで「誰も私のことを気にかけない」みたいなビリーフを抱えていたとしたら、パートナーのちょっとした言動が、自分を愛していないように見えるかもしれません。(←投影) そうすると、「明るい家庭にしたかったのに、彼の愛情が薄いからできない(怒り!)」など、イメージとかけ離れた現実にがっかりとなりがちです。 さて、そもそも、イメージとは頭の中の「絵」ですね。感情や感覚と違って、頭の中に描ける「かたち」です。「笑っている」とか「いきいきしている」といった、気持ちが高揚したり、幸せを感じたりする「絵」です。 こういったイメージにくっついてくる気持ち良さが曲者なんです。このせいで私たちはコロッといイメージに騙されてしまいます。 ほんとうは幸せの根源は常に自分の中にちゃんとあるのに、イメージの中にだけあるように感じてしまうんですね。 とくに今の現状を悩んでいたり、不満や不足を感じていれば、「こうだったら良いのに・・・」というイメージを私たちは必ず持つはずです。で、そのイメージとのギャップに「はぁ~~」とため息をしてしまうみたいな。 つまり、私たちは「イメージ」を目指し、「イメージ」とのギャップに苦しみ、でもつい「イメージ」を追ってしまうんです。 ちょっと意地悪ですが、このイメージという言葉を「幻想」という言葉に置き換えてみると、 私たちは「幻想」を目指し、「幻想」とのギャップに苦しみ、でもつい「幻想」を追ってしまう・・・。 どうでしょう? えっ? じゃぁ、なにかポジティブなことを描いたり、目指したりするのは無意味なの?と思われるかもしれません。 もちろん、そうではありません。というか、イメージを抱かないようにするというのは不可能でしょう。(勝手に起きるし) ですが、実体のないものを生きる動機にしてしまうのもやはり危ういものですね。じゃぁ一体何が一番頼りになるのでしょうか? となると、やっぱり同じ答えしかありません。それは、自分が一体ほんとうは何を求めているのか?ということ、イメージではなく、自分の深いところからくる感覚、思い、衝動。 結婚であるなら、自分が一番求めていることは何? もし、子供たちと楽しく暮らしている私であるなら、そこに何を求めているの? 「イメージ」や「かたち」ではなく、もっともっと深いところから来るものは? 信頼?無償の愛の感覚?つながり? 社会やマスメディアは、いかに「良いかたち」を作るかが幸せだ!と刷り込んできます。なので、自分の深いところに本質の声があるということを知らない人もとても多いです。 そのため、何を一番求めているの?という質問にも、非常に上っ面なぼんやりとした答えが返ってくることもとても多いです。頭の中のイメージを単に文章化しているだけというか。 ですが、自分が真に求めていることがクリアになれば、それがすでに「自分らしさ」であり、また自分を深く受け入れていれば、それがすでに「愛の発動」であって、そこからどんな人生が織りなされていったとしても、自分らしさと愛は消えないんですね。 ということで、これも耳タコだと思いますが、「感情・感覚」と仲良くなること。思考は同じところをぐるぐるしたり、衝突する思いの間で揺れたりしますが、感情・感覚は一貫していて、嘘がありません。 そして、自分が自分をどこまで条件なしに受け入れているのか?受け入れられていない自分はどんな感情を抱いているか?よく感じてあげるんです。 思考も大切な人間活動の一つですが、感情・感覚が私たちに示してくれるものもとても大きいんです。幸せは思考でするものじゃないですしね♪ 最後にイメージはいつも過去か未来に飛んでいますね。いまここにないものではなく、いまここにあるもの(特に自分の中にあるもの)をしっかり見て、やっていく。終わり。 あぁ、人生ってそれぐらいシンプルだよって、大学生の時に誰かに教えて欲しかった・・・。 (ピンとこなかったかもしれないけど) ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆ 感情解放のツールEFTプラクティショナー講座♪ 東京:2017年2月10日~12日(下田屋寛子) 福岡:2017年3月18日~20日(西川佳宏) ※東京の2月の講座を受けた方は、3月のマトリックス・リインプリンティング (講師:溝口あゆか)も受講して頂けます。(若干お席あり)

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誰かのことで苦しいときは・・・

誰かのことで苦しいときは・・・

私たちが誰かについてあれこれ考えているとき、心配していたり、腹が立っていたり、気にしていたり・・・。 当然、私たちはその人について自分は考えていると思っているわけです。ある意味その通りですよね。○○さんは、ああで、こうで、そして・・・といろいろ思いを巡らすわけです。 ですが、ああで、こうで、そして・・・の部分は、100%自分の考えです。 それは分かっているさ、と思われるでしょうが、ここがミソなんです。とりあえず、「自分の考え」と手のひらに書いてみてください(笑)。 では、その自分の考えはどこから生まれたのでしょうか? もちろん、自分です。 自分から出てきたものです。 つまり、相手について思っている、語っていると私たちは思いがちですが、実は自分はどうか?という「自分のこと」を語っているんです。 まだ分かりにくいかもしれません。ちょっと例を挙げてみましょう。 “○○さんは、どうしても自分の思い通りにしないと気が済まなくて、ほんといつも振り回される。他の人の気持ちを考えられないし、それに気づいてもいない。そして・・・・” こんなとき、私たちは完全に○○さんについて考えていると思っているでしょう。でも実際は、たとえば、 “私は思い通りにされるということに非常にこだわっている。正直大嫌いだ。というのも、普段感じないようにしている、ほんとうは無力な自分が刺激されるからだ・・・・” (これは一つの例です) などといった「自分はこうなのだ!」という話が無意識のレベルにガツッとあるんです。 その人が、思い通りにしようとする○○さんのことを力を込めて話をすればするほど、聞いているほうは、“なんかよく分からないけど、この人、そこにこだわりがあるんだな”と感じたりもするかもしれません。 または、 “娘が東京でちゃんと一人でやっていけているか不安だ。変な詐欺や事件に巻き込まれないだろうか。きちんと食事はとっているのだろうか?”という思い。 この場合も娘についていろいろ考えているように見えますが、たとえば、 “私は娘の自立を信頼できない。もっと言えば、私は自分を信頼できない。信頼できるものが何もないから、いろいろなことが不安だらけだ” (これも一例) などという「私はこうです」という話だったりします。 こんなふうに、自分は他者について考えていると思っていても、実際は「自分のこだわる点はどこか?」という話だったり、「私はこういう人です」という話だったりするんですね。 で、何を言いたいかと言うと、“○○さんは、どうしても自分の思い通りにしないと気が済まなくて・・・”と考えているとき、私たちはおうおうにして、それは100%相手の問題だと思ってしまっているということです。 でも、誰かについて思いを巡らしていて、怒りや恐れ、不安や心配、嫉妬やねたみなどが出てきて苦しいのなら、それは「自分のこだわり」「自分の心の傷」「自分の恐れや不安」などなどが発動しているからですね。 なので、実際は相手は関係なくて、自分のこだわりや心の傷、恐れの中に私たちはどっぷりつかってしまっているわけです。 かつて、夫が浮気性だということでかなり苦しんでいる方のセッションをしたことがあります。パーティーへ行くと夫が女性の肩に手を回したり、楽しそうに話したり、自分をほったらかしにして楽しんでいるということで、離婚寸前の状態でした。 セッションルームでは、夫への怒りがすごく、夫がいかにひどいかということを必死に私に説得しようとしていました。 クライアントさんが求めていることは、自分への賛同や理解だというかことは分かるのですが、同意をしてしまうと、「相手が悪い」ことが決定されてしまいます。 なので、私はこういうとき、「謎の微笑」という武器(笑)でイエスともノーとも言わず、いつもかわすようにしています。 ただ、あまりに相手が悪いというエネルギー(思い)が強いとき、自分を見てもらう方向へ持って行くのは至難の業です。それよりも、ひどい相手によって傷ついた私を癒して欲しい、という気持ちが強いんですね。 でも、この方向では決して楽にならないんです。癒しとは、相手は悪者ではなかったし、自分も悪くなかったと、自分の中に悪者がいなくなったときに本当の意味で完結します。 ということで、もし誰かについてあぁだ、こうだと考えが止まらなくて苦しいとき、手のひらの文字を思い出してみると良いかもしれません。 自分の頭の中から相手が消えて、自分がスルーしていた自分の声を聞き始めたとき、それだけでもだいぶ心が落ち着きます。 そして、自分の中にあった恐れや怒り、不安などが癒されたとき、内側に優しくて、前向きな健全さが感じられるはずです。 それでも相変わらず相手の言動は不愉快かもしれません。平気になりましょうという話ではまったくありません。悪者じゃないけど、言動は好きじゃないというのもぜんぜんOKですし、相手にそう伝えても良いわけです。 ただ、もう苦しんでいないし、自分の心の中が変われば、そこから出てくる言葉や言い方、声のトーンなども自然と変わりますね。それが相手への変化を起こすかもしれません。(または、起こさないかもしれません。相手次第) そして、どっちもOK♪ さて、今日からまた気仙沼でメンタルケアプロジェクトを開催します。熊本でも素晴らしい出会いがいくつもありました。親しい顔たち、新しい顔たち、またお会いできるのが楽しみです♪   ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆ ◎「ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋」 2016年12月3日(土)13:30~16:30 詳細はこちらへ→☆ ◎ショートセミナー≪ビリーフが遺伝子をコントロールする?≫ 波動から見る心と体の癒し 2016年12月18日(日)13:30~16:30 講師:溝口あゆか・西川佳宏 キャンセル待ち募集中 ◎一般社団法人ハートレジリエンス協会認定心理セラピスト養成講座 キャンセル待ち募集中

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自我がうすうす知っていること

自我がうすうす知っていること

例えば、相手が自分を認めてくれない、バカにしている、なめている、評価してくれないと私たちが感じたとき、たいていすごく嫌な気分になったり、傷ついたり、腹が立ったりしますよね。 で、インテグレイテッド心理学では、これは自分の投影ですよ~と話をしているわけです。正確に言えば、認めてくれないように感じる、バカにしているように見える、なめられているような気がする、評価してくれないように聞こえる、などなどです。 つまり、感じる、見える、気がする、聞こえるという自分の主観の世界です。 自分はつまらない人間だと深いところで思っていれば、相手の言動が自分をバカにしているように見えたり、聞こえたりするわけですね。 で、その思いが変われば、たとえ相手がほんとうに自分をバカにしようとしていたとしても、不愉快でしょうが、「相手の問題」だと分かるわけです。 なので、どうしてもそういう風にしか見えなくても、感じているのが自分である限り、それは投影だよ~~と分かることが、まず癒しの第一歩なんです。 が、自分中心の解釈しか知らない自我(私たち)にとって、自分の感じていることや経験していることはリアルな事実であって、それが投影だと見抜くのは非常に難しいです。 でも、“うわぁ~、相手は自分のことをバカにしていたんじゃなかった~~!!!まじ~!たまげた!”という体験が一度でもあると腑に落ちやすくなります。 しかし、そもそもなぜ自我は、他者が自分のことをどう見ているか、どう思っているかにそこまで反応するのでしょう? インテグレイテッド心理学では、それを「自己価値の死」「肉体の死」の二つに恐れがあるからとお話ししています。 他者から受け入れられない→一人ぼっちになる→生きていけない→死、みたいな。 これは何度やっても、セミナーの参加者全員が必ずここに行きついています。 分離している自分、大きな世界の中で生きている小さな自分が生き残るには、他者から良く思われていなければいけない、願ばくは、普通以上に受け入れられているほうが良い、そうすればさらに生き残り率が上がる・・・・。 つまり、バカにされて腹が立つのは、深いレベルでは、生き残りの不安を刺激されるからですね。ですからある意味、人間としては普通の反応です。 さてでも、ここでの話題はバカにされていないのに、勝手にバカにされていると思って怒ったり、傷ついたりしているケースです。究極の一人芝居ですが、この状態が一番苦しいです。 苦しいから、セッションを受けたり、セミナーへ出かけたりしますが、セラピストのささいな言動に腹が立つ、セミナーの講師の言ったことが気に入らなかった、受付の仕方が悪い・・・。あらゆることに反応し、怒りをさらにためていってしまいます。 苦しいから行くけど、またそこで怒りをためる・・・・という悪循環です。本人は、相手が悪いと信じて疑っていないために苦しみは非常に大きいです。 さて、ここから一気にノンデュアリティに飛びます。皆さん、シートベルトをお締めください(笑)。 生き残りとも関わってきますが、自我は深いところで「自分が空っぽ」だと分かっているんです。 自分の頼りなさ、どこに立っていたら良いのだろう? 永遠の暗闇に消えてしまうのではないか? 薄皮一枚でなんとか存在している感じ。私は役に立っている、受け入れられているとか、存在していて良いというストーリーがないと自分はどう立っていられるだろう? なので、深いレベルで常に自分の存在なんとか証明していたい、自分はいるんだ、生きているんだと感じていたいという思いがあります。 人生がうまくいっていたり、他者との強いつながりがあったり、自分が好きだと思えているときは、この感覚はあまり感じられないでしょう。 でも、自己否定が激しいと、それはこの感覚とマッチし、加速していきます。存在していたいのに、私はダメダメ人間だと自分で自分の存在を否定してしまう。 もちろん、ぜ~~んぶ、潜在意識の深いところで起きています。 とにかく、自分はダメダメ人間だけど、なんとか薄皮一枚の思いで存在していられる。その思いとは、ジャン!、「私は犠牲者だ」 私が悪いのではなくて、世間や他者が悪いからこんなみじめな自分、ダメにされている自分、誤解される自分、理解されない自分でいるしかない・・・・。 このとき、やっと薄皮一枚でつながっている「私は犠牲者だ」という思いを癒すことは、まずものすごい抵抗があります。というか、たぶん、もしそんな話でもしようものなら怒られます。悪いのは相手なのに!!! さて、このように、自我は自分が空っぽだとうすうす知っていますが、見過ごしているのは、その空っぽさに逃げ込む(ゆだねる)ことが本当は一番の救いだということなんです。 例えてみれば、小波が自分は空っぽだと思っていて、必死に形を保とうとしているけど、もしそれをあきらめて空っぽさに身を投げたら、消えちゃうどころか自分は大海だったと知るという感じですね。 つまり、自我が描いている最悪のシナリオは消えてしまうことですが、実は大海に戻るだけなんです。そしてそこは実は自分が一番求めていた愛、受容の場。 と書くと中には誤解する人もいるかもしれませんので、付け加えておくと、肉体の死(自殺)ではそれは決して見えてこないんです。ここで言っているのは、自己否定や犠牲者意識を手放す(握りしめていたものをあきらめる)という話です。 または、自己受容、自己愛を高めていくことで、自己を超えていく・・・。だから、奇跡のコースでは、「罪悪感を癒す」ということが繰り返し書かれているのだろうと思います。 いずれにしても、他者が悪く見えているとき、それも絶対相手が悪いと確信しているときほど、もし楽になりたいのなら、相手に怒りをぶつけたり、責めたりすることをあきらめてみること。 そして、ストーリーもあきらめ、「感情」に目を向けることです。(怒り、悲しみなど) そして、その感情が持っている感覚の中に沈んでいきます。無抵抗に。あたかも自分は存在していないかのように。空っぽになってしまうんです。(これが降参=受容♪) こうしてストーリーから自分を解放し、自分の中にあるものに身をゆだねたとき、やっと空回りから抜け出せ、本質、そして癒しへ帰るスタート地点に足を踏み出すことができるでしょう。 多かれ少なかれ、皆が深いところで感じている空っぽさ。一番感じたくない感覚。 でも、その先に実は愛と受容がある♪ ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆ ◎「ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋」 2016年12月3日(土)13:30~16:30 詳細はこちらへ→☆ ◎ショートセミナー≪ビリーフが遺伝子をコントロールする?≫ 波動から見る心と体の癒し 2016年12月18日(日)13:30~16:30 講師:溝口あゆか・西川佳宏 キャンセル待ち募集中 ◎一般社団法人ハートレジリエンス協会認定心理セラピスト養成講座 キャンセル待ち募集中  

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お金のダイエット♪

お金のダイエット♪

それにしても、お金にかなり不必要な重みをもたせていたなぁとつくづく思います。 事実はシンプルで、今手元に○○○円のお金がある。終わり。 ちょっと分かりにくいかもしれません。 ということで、ちょっと視点を変えてみましょう。 お金は、もっとも私たちを過去や未来へ連れて行くものの一つだと思うのです。 私は、ずっと「お金を無駄にする」「お金を損する」ということに非常に罪悪感を抱いていました。もちろん、無駄にした、損をしたというのは私の解釈で、一体損なのかどうかは誰にも分かりません。 でも例えば、大金を払って買ったものを使わない、または、実際の価値以上に払ってしまった・・・と私が思ったとき、ものすごい自己嫌悪に陥っていたのです。 もちろん、金額が大きくなればなるほど、自己嫌悪だけではなく、恐れまでくっついてきたものです。(なぜかセラピーに費やした場合は、罪悪感なし←たぶんおたく病) で、見ていくと、そこには「お金とは努力と汗の結晶」という思いがあり、つまり、お金の無駄や損は、私にとって「自分の努力を無駄にした」ことになっていたのです。 で、自分が苦労して得たものを無駄にするというのは、私にとって生きてきた証を損ねるもので、それを続けてしまったら、生きている意味がなくなり、そして「死」→きゃぁ、怖い!になっていたのです。 つまり、今までの頑張りという過去のストーリーをお金につけまくっていたわけです。 では、無駄や損をしないように「賢く使う」「正しく使う」ようにしようとすると、いきなり「未来」に飛ぶしかなくなります。 今これを買って、来年も使うだろうか?この資格を取ってほんとうに役立つのか? これは絶対損しない投資だろうか? 将来お金はずっと入ってくるのだろうか・・・・そもそも使わない方が良い? などなど、やはりこちらにも心配や不安を投影した未来というストーリーがお金にどっさりついてきます。 過去の後悔や罪悪感、未来への心配や不安を持ち続けるのが嫌になると、自我的には「そうだ!お金がもっとあれば良いんだ!」となるでしょう。 お金がもっと入れば、過去の間違い(?)をチャラにしてくれるし、未来への心配もなくなる! ということで、やっぱり「どうやったらもっとお金が入るか?」と意識が未来へ飛びますね。 でも、実際は「今、○○○円のお金がある」、終わり。 今、払える家賃がないのなら、どうにかする。どうにもならなかったら、そういう状態が今ある。なんか冷たく聞こえるかもしれませんね。 でも、そういう状態(=ありのままの状態)は、そのときに過去や未来に思考が囚われすぎていなければ、とてもシンプルです。心配や後悔、自己嫌悪などが苦しみを生み、ありのままはただ静かです。 そして、思考が過去や未来に囚われていないほど、地に足の着いた方法が見えてくるものですね。 また例えば、今、行きたい講座を受けるお金がないのなら、どうにかしてみる。どうしてもお金が見つからなかったら、やっぱりそういう状態があるということ。 ここでも、講座に行けない情けない自分とか、行かなくて良いセミナーということだよね~ストーリーなどに囚われなければ、過去からも未来からも自由でいられますね。 どうしてこんなことを書いているのかと言うと、私は物心ついたときに祖父の会社が倒産し、なぜか父がすべて負債を負ったために、すべてを失うということがありました。 なのでお金に関しては、家族のストーリーもバンバンに含んだあらゆるものがごっちゃりついていたからです。 今もお金に関しては、ストーリーが生み出されてきますが、ただ、巻き込まれるよりはだんだん冗談になってきました。 そして今思うのは、「お金がどうやったら入るか?」という一見ポジティブな行為も、実はけっこうなストレスがあったなということです。 こうやればお金が入るといったノウハウやメッセージは、世の中にほんとうに多いですよね。私自身もかつて真剣にそれらの本を読んでいたこともありました。中には感銘するものもあり、それなりの智慧にはなったかもしれません。 でも、お金にまつわる過去と未来から解放されてみると、すべてはとてもシンプルで、そしてもっと地に足が着いた安定感を感じます。 さて、誤解して欲しくないのは、過去や未来に囚われずに「いま」にあっていれば、すべてはうまくいく、良い方法が思いつく、という話をしているのではまったくありません。 もっと地味な話で、やることはやっている上での話です。 思いを変えるだけでお金が入るとか、または、なるようになるから天におまかえ(自分は何もしない)みたいな話も耳にしますが、ひまわりの花を咲かせたいのなら、ひまわりの種を植えないといけないように、お金が入ることにつながる行動は必要だよね、というのが私のスタンスです。 どこかに勤める、自分で仕事を始める、なんでも良いのですが。 なんか狭苦しい話に聞こえるでしょうか? でも、お金のために働けと言っているのではなく、何かを生み出す行為をしないと生まれないよね、というシンプルな話です。 そして、仕事も子育てもなんでも、生きる営みとして一つ一つの行為は、それが行為者によって愛されたとき、それがなんであってもとても美しいものだと思うのです。 なんだか今日は「シンプル」を連呼してしまいました。でも、ほんと、Simple is Beautiful♪ ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆ ◎一般社団法人ハートレジリエンス協会認定心理セラピスト養成講座 キャンセル待ち募集中 ◎ショートセミナー≪ビリーフが遺伝子をコントロールする?≫ 波動から見る心と体の癒し 講師:溝口あゆか・西川佳宏 ◎「ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋」 2016年12月3日(土)13:30~16:30 詳細はこちらへ→☆

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依存に陥らない健全な疑い♪

依存に陥らない健全な疑い♪

本日より、ハートレジリエンス協会認定「心理セラピスト養成講座」の募集が始まります。なんかドキドキ~♪ ノンデュアリティが昨年流行ったため、私をノンデュアリティのスピーカーだと思っている人もそれなりにいらっしゃるようですが、私は基本、“癒しおたく”です。うふふ。 ということで、癒しの職人仲間を増やしたい! と、同時にもう一つ、ハートレジリエンス協会の活動として、鬱、引きこもり、心の病といった、なかなか答えがない状況に何か貢献したいという野望もあります。(ケアラーのケアも地道に続行します) 例えば、鬱で引きこもりになった方の親御さんからのご相談などをそれなりに受けます。が、病院に行っても仕方がないし、周囲に分かる人もいないしと、行き場がないことが問題だなぁといつも感じるのです。 ネットで検索すれば、多くの情報は出てきますが、肝心の自分に合う答えは見つかりません。どれだけ情報社会になっても、自分特有の人生の問題に答えてくれるものは、やっぱりないんですね。 どなたかが私のセミナーでおっしゃっていましたが、そのためスピリチュアル、自己啓発、悟りといった方向へ流れていく人も多いでしょう。(私もその一人) ところがこの方面がまるでごっちゃ煮で玉石混交なので、右往左往してしまう・・・。そして、自分の中でもこれらがぜんぶミックスされ、これはこれでまた混乱が生じてしまう。 例えば、イギリスである女性が、世界的に有名な非二元のティーチャーに“毎日パニックが起きてほんとうに生き辛いです”(パニック障害)と訴えていました。で、そのティーチャーの返事は、“パニックは存在しない”でした。 女性はそのメッセージをすがるように聞いていましたが、それが役に立ったとは女性の表情を見て、とても思えませんでした。(心の中でEFT!!と叫んでいた私) ちなみにガンガジさんは、そういう人たちに、“一応確認ですけど、専門家に見てもらっていますか?”と聞いていました。 これもアメリカで実際にあった実話ですが、非二元のメッセージにはまりすぎた人が、足の痛みを“ただ現れているだけ”とやり続けていたため、足切断まで行ってしまったそうです。 足切断は、目に見えるためある意味分かりやすいですが、トラウマやパニック障害なども私から見れば、きちんとセラピーを受けたほうが良い部類に入ります。 でも、トラウマやパニック障害、鬱などが病院へ行ってもよくならない場合、もう一体どこへ行ったら良いのか分からず、途方に暮れる人も多いはずです。 で、結局、私たちのような怪しい?市井のセラピストのところへ行くしかないのが、今の現状かもしれません。 話は逸れますが、一昨年からは大手メーカー、金融企業、または東工大、一橋大学でストレスマネジメント講座で開催させて頂いたり、セラピーは怪しいというイメージの払しょくにも努めております。 で、話を戻して、人生の悩みや苦しみに対して答えがないとき、どうしても私たちは何か頼りになるものが欲しくなります。または、漠然と不安が大きいとか、自分に自信がない場合も、誰かにポジティブ投影をし、その人に依存したくなったりしますよね。 こういう状態でスピリチュアルや悟りなどのセミナーへ行くと、メッセージをそのまま鵜呑みにしたり、スピーカーのファンになったりということも起きるでしょう。 ですが、ある意味皮肉なことに、メッセージの鵜呑みやファンになっている状態では、ほんとうに自分にとって必要なことは見えてこないことが多いんです。 なぜなら、自分で選び取り、自分で開拓していく姿勢になっていないからです。 でも、そもそもその自分が信頼できなくて、自分で考えても分からないし・・・、という方もいらっしゃるでしょう。 そんな場合、お薦めしたいのが「健全な疑い」を持つことです。 有名なティーチャー、スピーカー、カウンセラーの言葉をなんでもかんでも鵜呑みにするのも、または逆にすべてインチキだ~とただ疑ってしまうのも、自信のなさの現れとして同じことです。 が、健全な疑いとは、否定もしていないけど、鵜呑みにもしていない状態ですね。すると、そこから出てくるのは、本当だろうか?という好奇心です。 好奇心というのは、ハートから出てくるエネルギーですね。なので、好奇心は他者依存から、自分を自分の中心に戻してくれるエネルギーです。また、面白そうだから吟味してみようという自分で模索するという姿勢になっていくでしょう。 なので、そのときの「分からない」は、まだ分かっていないこと、知らないことへのオープンなスペースとなり、ティーチャーやスピーカー達のメッセージは、依存するものではなく、サポートするものとなっていくはずです。 で、そうやって試行錯誤しながら模索するうちに、何か自分に必要なものにたどり着いたりしするんです。また、思考錯誤自体が自分の智慧になりますね。 また、単純に「心のしくみ」を知ることも、鵜呑みや依存にならない手助けになるなぁと思います。 「しくみ」を学ぶことは単なる知識ですが、知識も生きる上での大切なリソースです。知らないから人の話を鵜呑みにして、依存してしまうということもあるかなと思います。 20代の頃、生き辛くて仕方がなかったとき、哲学から心理学、自己啓発、そして精神系の本を読み漁り、楽にならなかったばかりか、もしかすると憑依されているから私は苦しいのかも?と真剣に思ったこともありました。 自分の心の中をきちんと見ていくなんて思いもよらなかったのです。でも、歯が痛かったら、歯を見ないといけないように、心が痛むのであれば、心をきちんと見る必要がありますよね。 ということで、もちろん私の言葉も一切うのみにせず、「健全な疑いを持つ」というご提案にも健全な疑いを持って(笑)、好奇心から試して頂けると嬉しいかなと思います。 で、自分の体験と私の言葉がマッチしなかった場合、もちろん自らの体験、経験の方がいつもあなたにとっての正解です♪ (*^_^*) ☆☆☆ お知らせ ☆☆☆ ◎一般社団法人ハートレジリエンス協会認定心理セラピスト養成講座 募集開始! ◎ショートセミナー≪怒りの原因と克服セミナー≫ 怒りのしくみを知ってみよう! ◎「ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋」 2016年12月3日(土)13:30~16:30 詳細はこちらへ→☆

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