郷原信郎が斬る

東芝監査をめぐる混乱は、受任したPwCに重大な責任~「真の第三者委員会」で“東芝をめぐる闇”の解明を

東芝監査をめぐる混乱は、受任したPwCに重大な責任~「真の第三者委員会」で“東芝をめぐる闇”の解明を

会社と監査法人が対立したままの有報提出という「異常な結末」 8月10日、東芝は、2017年3月期の有価証券報告書を関東財務局に提出した。同報告書には、会計監査人のPwCあらた監査法人の監査報告書が添付され、そこには、17年3月期の財務諸表について「限定付き適正」、内部統制に関する監査には「不適正」とする監査人意見が、それぞれ表明されている。 4月11日に、2016年度第3四半期レビューについて、PwCが「意見不表明」として以来、東芝の2017年3月期の決算報告をめぐって、PwCと東芝執行部、それに、前任監査人の新日本監査法人(以下、「新日本」)まで巻き込んだ「泥沼の争い」が繰り広げられ、注目を集めてきたが、PwCは、「限定付き適正意見」で、一部とは言え「適正な決算ではない」との評価を押し通し、一方、東芝側は、それを受けても決算を全く修正せず、会社と会計監査人との意見が対立したまま有価証券報告書を提出するという異常な結末となった。 「原発子会社のウェスティングハウスエレクトロニクス(WEC)社がCB&Iストーン・アンド・ウェブスター(S&W)社を買収したことによって最終的に生じた工事契約にかかる損失を、東芝が認識すべきだった時期」について、PwCは、2016年3月以前の段階であった可能性を指摘し、「意見不表明」のまま調査を継続してきた。PwCの指摘どおりだとすると、東芝の16年3月期決算は訂正が必要となる可能性がある。それに対して、東芝執行部は2017年3月末時点までは認識できなかったと主張し、16年3月まで会計監査人だった新日本も、16年3月期決算には問題はないとしてきた。 今回、有価証券報告書に添付した監査報告書で、PwCは、 工事損失引当金652,267百万円のうちの相当程度ないしすべての金額は、2016年3月31日現在の連結貸借対照表の非継続事業流動負債に計上する必要があった としているが、その根拠についての記述は、「工事原価の発生実績が将来の工事原価の見積もりに反映されていなかった」などの抽象的なもので、損失計上すべきであった時期も特定されず、金額も「相当程度ないしすべての金額」と曖昧な表現とにとどまっている。2016年3月以前の段階で損失を認識すべきだったとする根拠として十分なものであるのか疑問がある。   東芝が損失を隠ぺいした「疑い」を持って調査を行ったPwC S&W社の買収によって生じた巨額損失でWECは法的整理に追い込まれ、東芝に、最終的には7,166億円もの損失が生じたことは客観的事実である。その買収自体が、WECの原発事業で大きな損失が生じていることを隠ぺいする目的だったのではないかとの指摘もある(【NBO 東芝、原発事業で陥った新たな泥沼】)。PwCが、東芝への「不信」を募らせ、東芝側が2016年3月末時点で損失を認識しながら隠ぺいしたのではないかと疑うのは致し方ない面がある。2016年3月期以前に損失が認識できたとの疑いをもって必要な調査を行うのは会計監査人としては当然だと言えよう。 しかし、結果的に、6ヶ月も「意見不表明」を続け、上場企業では前例のない事態で証券市場の混乱を生じさせたが、東芝の会計報告を具体的に是正させるだけの根拠を示すことはできなかったといえる。東芝が損失を認識していた、或いは、認識すべきだったとする具体的な「証拠」は発見できなかったが、監査報告書の意見は、「適正」ではなく「限定付き適正」とされた。   監査受任の段階でPwCは東芝を「信頼」できたのか そのような異例の事態に至った最大の原因は、東芝が一連の会計不正に関して監査法人に対して行ってきた対応や、その後のWECの巨額損失の表面化の経緯等から、東芝とPwCとの間に、本来、顧客企業と会計監査人の監査法人との間に存在していることが不可欠の「最低限の信頼関係」すらなくなっていることであろう。 しかし、PwCが東芝の会計監査を受任した2016年3月末の時点で、「最低限の信頼関係」が作れる見込みはあったのか。PwCはなぜ東芝の会計監査を受任したのか。 その時点においても、東芝には、一連の会計不祥事に関して、監査法人に対して悪質な「隠ぺい」を行った疑いが指摘されていた。東芝は、会計不正の疑いが表面化したことを受け、「第三者委員会」を設置し、その報告書公表を受けて「責任調査委員会」を設置して歴代経営者への責任追及について検討したが、それらの一連の「第三者委員会スキーム」では、調査の対象は、原発関連ではなく、調査対象とされた事業の範囲も責任追及の範囲も極めて限定的で、当時の室町正志社長は、責任追及の調査の対象にすらされず、問題の幕引きが図られた。そして、2015年9月末の臨時株主総会では、社外取締役に財界のオールスターメンバーと法曹界の重鎮等を揃えた新体制が選任され、「東芝の再生に向けて万全の体制」がアピールされた。 しかし、その直後の2015年11月に日経ビジネスが、【スクープ 東芝、米原発赤字も隠蔽 内部資料で判明した米ウエスチングハウスの巨額減損】【スクープ 東芝 減損隠し 第三者委と謀議 室町社長にもメール】という二つの衝撃的なスクープを報じたことで、状況は激変した。 これらの記事から、WECが2012年度と2013年度に巨額の減損処理を行なった事実を東芝が公表せずに隠していたこと、第三者委員会発足前に、当時の田中久雄社長、室町正志会長(現社長)、法務部長(現執行役員)等の東芝執行部が、米国原発子会社の減損問題を委員会への調査委嘱事項から外すことを画策し、その東芝執行部の意向が、東芝の顧問法律事務所である森・濱田松本法律事務所から、第三者委員会の委員の松井秀樹弁護士に伝えられ、原発事業をめぐる問題が第三者委員会の調査対象から除外されたことが明らかになった。 また、東芝が、一連の会計不正を行っていた間に、会計監査人であった新日本に対して悪質な隠ぺい・虚偽説明を繰り返していたことは、第三者委員会報告書でも極めて不十分ながら指摘されていたが、2016年3月初めに発売された文芸春秋2016年4月号の【スクープ・東芝「不正謀議メール」を公開する】と題する記事では、東芝が、大手監査法人の子会社であるデロイト・トーマツ・コンサルティング(以下、「デロイト」)に「監査法人対策」の指導を依頼し、損失を隠ぺいした財務諸表を新日本が認めざるを得ないような「巧妙な説明」を行ってきたことが指摘された【最終局面を迎えた東芝会計不祥事を巡る「崖っぷち」】。 このように、会計監査人の監査法人に対して不誠実極まりない対応を繰り返してきたことが相当程度明らかになっていた東芝の会計監査を、PwCは、敢えて受任したのである。しかも、受任する際には、その時点での東芝の財務諸表や内部統制に問題がないか、事前調査も行ったはずである。その段階で、東芝の監査法人への対応に問題があることに気づかなかったのであろうか。   新日本の立場 一方、PwCに東芝の会計監査を引き継いだ、それまでの会計監査人の新日本は、東芝側の虚偽の資料や説明で騙され、会計不正を見抜けなかったことで、金融庁から課徴金や一部業務停止などの厳しい行政処分を受け、東芝を担当していた複数の公認会計士が業務停止処分を受け、新日本を退職することを余儀なくされた。 新日本がそのような事態に至った最大の原因は、東芝の監査についての問題について、新日本の当時の執行部が、「東芝との契約上の守秘義務」を強調し、独自の対社会的対応をほとんど行わなかったことにある。(【年明け早々から重大な危機に直面している新日本監査法人】) そのような新日本の対応にも、新日本の顧問法律事務所が、東芝の顧問法律事務所であり、前記の「第三者委員会スキーム」にも関わったとされる森・濱田松本法律事務所と同じであったことが影響している可能性がある。 2016年3月末で会計監査人がPwCに交代することが決まっており、それまでさんざん東芝に騙されてきた新日本としては、その時点で、東芝にたいして、甘い監査で「お目こぼし」などする動機は全くなかった。2016年3月末の段階で、その前年末にS&Wを買収したことによる損失発生の可能性についても、徹底して厳しい目で監査を行ったはずだ。その新日本ですら損失発生の可能性を認識する根拠は見出せなかった。   PwCにとって東芝監査受任が重大な誤り ところが、PwCは、東芝の会計監査を受任した後、2017年度の第1四半期、第2四半期はいずれも、東芝の決算を「適正」と評価しておきながら、2016年12月に、S&W買収による巨額損失が表面化するや、一転して、東芝に対する「不信」を露わにし、2017年3月期の会計報告について「意見不表明」を続ける一方、前任会計監査人の新日本が、2016年3月末の時点で東芝が損失発生の可能性を認識すべきだったのに、見過ごしたかのような主張を始めたのである。 少なくとも、東芝のS&W買収による巨額損失が表面化して以降の東芝監査へのPwCの対応には、監査法人の世界の常識からすると、かなり疑問がある。しかし、PwCは、現在のところ、大きな批判を受けてはいない。それは、現時点においては、東芝という企業や執行部に対する「不誠実で信頼できない」という認識において、PwCと社会一般の認識とが共通しているからである。東芝の会計監査で徹底して厳しい対応をとることは、基本的に社会的要請に沿うものなので、PwCを批判する声があまり上がらないのである しかし、一連の会計不正への対応を見る限り、東芝執行部の監査法人への対応が不誠実で信頼できないことは、監査受任の段階で十分に認識できたはずだ。PwCは、それでも、敢えて東芝の監査を自ら受任したのである。もし、PwCが受任していなければ、他に受任できる大手監査法人はなく、東芝は上場廃止に追い込まれていた可能性が高い。東芝監査をあえて受任したPwCには重大な責任があることを忘れてはならない。   「真の第三者委員会」設置によって「東芝をめぐる闇」の解明を 東芝とPwCの関係は「限定付き適正意見」を東芝側が無視し、何も措置をとらないという「異常な関係」となっている。今後もPwCが東芝の会計監査人にとどまるのであれば、その条件として、「不誠実で信頼できない」状況を解消するための抜本的な是正措置を求めるべきである。そのための重要な手段が、「東芝不祥事」の全容を解明するための、東芝執行部からの独立性・中立性が確保された「真の第三者委員会」の設置である。それが受け入れられないということであれば、PwCは会計監査人を辞任すべきである。 東芝の一連の会計不祥事の発端が、WECの買収による海外の原発事業によって大きな損失を生じたことにあったのは、もはや疑う余地がない。その失敗の根本原因がどこにあったのか。海外原発事業の損失が、東芝社内でどのように認識され、どのような対策が講じられてきたのか、それに関して、デロイトを使った監査法人対策がどのように行われ、そこにどのような問題があったのか。海外の原発事業をめぐる問題が、「4事業」の会計不正にどのようにつながったのか。会計不正が表面化した後の「偽りの第三者委員会」の設置等による問題の本質の隠ぺい工作は、誰が主導し、誰が関わって行われたのかなど、東芝の会計不祥事をめぐって起きたあらゆる問題を徹底解明すべきである。 PwCがこだわり続けた、「S&W社買収による損失を東芝が認識した時期」というのは、「東芝をめぐる闇」の一コマに過ぎない。今、重要なことは、来年3月までに債務超過を解消し上場を維持することではない。「東芝不祥事」の全容を解明し、「日本を代表する伝統企業」が「最も不誠実で信頼できない企業」に転落していった原因を明らかにすることである。そのうえで、経営体制の刷新、組織の抜本改革を行うのでなければ、東芝に対する社会の信頼を回復することはできない。 東芝監査に関わった以上、PwCには、それを徹底して追求する社会的責任がある。    

Continue reading
検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか

検察はなぜ”常識外れの籠池夫妻逮捕”に至ったのか

昨日、籠池泰典氏夫妻が、大阪地検特捜部に、「詐欺」の容疑で逮捕された。 驚くべきことに、この「詐欺」の容疑は、今年3月下旬に大阪地検が告発を受理した「補助金適正化法違反」の事実と同じ、森友学園が受給していた国土交通省の「サスティナブル建築物先導事業に対する補助金」の不正受給であり、「補助金適正化法違反」を、「詐欺罪」の事実に構成して逮捕したということなのである。 詐欺罪と補助金適正化法違反の関係は、「一般法と特別法の関係」というのが常識的な理解だ。一つの事象に対して一般的に適用される法律があるのに、適用範囲が狭い特別の法律が定められている場合は、法の趣旨として、その特別法が適用され、一般法の適用が排除されるというのが「一般法と特別法」の関係だ。 補助金を騙し取る行為は、形式上は詐欺罪が成立する。しかし、国の補助金は本来、当局による十分な審査を経て支給されるものであり、不正な補助金交付を行ったとすると、国の側にも問題がなかったとは言えないこと、国からの補助金の不正は地方自治体等の公的な機関でも行われることなどから、補助金適正化法は、不正受給の法定刑を、詐欺罪の「10年以下の懲役」より軽い「5年以下の懲役・罰金」とし、「未遂罪」が設けられている詐欺罪と異なり、未遂を処罰の対象外としたものだ。つまり、あえて「詐欺罪」より罪が軽い「補助金適正化法違反」という犯罪を定めたものだといえる。 このような法律の趣旨からすると、国の補助金の不正受給である限り、詐欺罪が適用される余地はない。 しかし、それなのに、なぜ、大阪地検特捜部は、「小学生レベル」とも思える誤った逮捕を行ったのか。 3月29日に、NHKを始めとするマスコミが「大阪地検が、籠池氏に対する補助金適正化法違反での告発を受理した」と大々的に報じた。その経過からして、その報道が、明らかに検察サイドの情報を基に行われたこと、そしてその情報は、何らかの政治的な意図があって、東京の法務・検察の側が流したもので、それによって「籠池氏の告発受理」が大々的に報道されることになったとしか考えられないことを【籠池氏「告発」をめぐる“二つの重大な謎”】で指摘した。 しかも、私自身が、その補助金適正化法違反の告発に関して、3月中旬に、マスコミ関係者を通じて事前に相談を受け、告発状案にも目を通したうえで、その後の報道で「請負契約書が虚偽だったとしても、国の側で審査した結果、適正な補助金を交付した」と報じられており、偽りその他不正は行われたものの、それによって補助金が不正に交付されたのではないと考えられること、「森友学園は既に補助金を全額返還したこと」と報じられており、過去の事例を見ても、よほど多額の補助金不正受給でなければ、全額返還済みの事案で起訴された例はないことなどから、「籠池氏の補助金適正化法違反による起訴の可能性はゼロに等しい」と明言した。 そのような、起訴の可能性のほとんどない事件の「告発受理」が、法務・検察幹部のリークと思える経過で大々的に報道された時点で、「この件で、検察は、大変な事態に追い込まれることになるのではないか」という予感がしていた。 本来、詐欺罪が適用されるはずのない「国の補助金の不正受給」に対して、詐欺の被疑事実で逮捕したのは、余程の事情があるからであろう。上記のとおり、国交省側の審査の結果、適正な金額を算定したので、結果的には「不正な補助金支給」が認められず「未遂」にとどまっていて、補助金適正化法違反では不可罰であること、同法違反では不正受給額が「正規に受給できる金額と実際に受給した金額」の差額になるが、詐欺であれば支給された全額が形式上の被害額となるので、マスコミ向けに金額をアピールできること、の2つがその「事情」として考えられる。そこで、逮捕事実を「水増し」するために、敢えて詐欺罪を適用した可能性が指摘できる。 しかも、籠池氏夫妻に逮捕の要件である「逃亡のおそれ」「罪証隠滅のおそれ」が認められるのか。前者がないことは明らかだし、この国交省の補助金受給をめぐる事実関係については主要な物証は大部分が押収され、関係者の取調べも実質的に終わっているはずだ。敢えて罪証隠滅の可能性があるとすれば、籠池氏の「夫婦間の口裏合わせ」だが、それなら、先週木曜日(7月27日)に初めて任意聴取した段階で逮捕すればよかったはずだ。その時点で「罪証隠滅のおそれ」がないと判断して帰宅させたのに、なぜ、その4日後に「逮捕」ということになるのか。 法務・検察の幹部が関わっているとしか考えられない「告発受理」の大々的な報道の後始末として、何らかの形で事件を立件して籠池夫妻を逮捕せざるを得なくなったとすると、「検察が追い込まれた末」の籠池夫妻逮捕だということになる。それは、法務検察幹部が政治的意図で告発受理を大々的に報じさせたことが発端となって、自ら招いた事態だと言わざるを得ない。 それは、検察の常識として凡そあり得ない逮捕であり、過去に繰り返してきた数々の検察不祥事にも匹敵する「暴挙」だと言わざるを得ない。このような無茶苦茶な捜査からは直ちに撤退すべきである。      

Continue reading
加計問題、「総理のご意向」を仕組んだ“真犯人”は誰か ~恐るべき18歳の推理

加計問題、「総理のご意向」を仕組んだ“真犯人”は誰か ~恐るべき18歳の推理

安倍晋三首相も出席して行われた衆参両院の閉会中審査での「加計学園が今治市に獣医学部を新設する話は今年1月20日まで知らなかった」との答弁が、野党の集中砲火を浴び、マスコミでも厳しい批判を受けたことで、加計学園問題に関する安倍首相の疑惑は解消されるどころか、ますます深まっており、一向に沈静化する兆しはない。急速に下落し「危険水域」に入ったと言われている内閣支持率の回復も見込めず、安倍内閣は危機的な状況に陥っている。 こうした中で、まだほとんど注目されていないが、 Tomoaki Kitaguch(北口)氏による【 加計問題の真相?(フィクションとしてお楽しみください)】との注目すべき記事が、フェイスブック上に登場している。ご本人も、「より多くの方に、この考察を読んでいただきたい」と了解してくれたので、以下に全文を引用する。 新たな報道を見聞きして、「加計問題の真相」は、巷で議論・想定されている内容とは違うところにあるのではないか、と考えるようになりました。 以下、報道されている情報を基に、国家戦略特区ワーキンググループ(以下、特区WG)の視点から構成した「フィクション」(少なくとも、現時点では)を掲載します。 信じるか信じないかは、あなた次第です。 *   *   * 『獣医学部新設の制限は、株式会社による農地保有の禁止などと並んで有名な岩盤規制だ。だから特区WGは、2013年の特区制度設立時から、「国家戦略特区がこれらの岩盤に穴を開けなかったら、国家戦略特区の存在意義を問われる」と考えていた。』(特区WGについて、WG座長・八田氏) 安倍首相のビッグスポンサーであるが故に「籠池氏の二の舞」とならないだけで、加計学園は「利用された」のだ。渦中の人となっている、安倍首相・萩生田氏といった政界の大物たちも「利用された」のだ。誰に? そう、「規制緩和ありき」で獣医学部新設を推進してきた、特区WGに、だ。 現在の疑惑の中心は、安倍首相・萩生田氏を始めとする官邸関係者だが、獣医学部新設の実働部隊は、特区WG・内閣府。実働部隊が共有する行動理念は「何がなんでも、獣医学部を新設し、岩盤規制を打破する」というもの。つまり、当初は「加計ありき」というより「規制緩和ありき」だった。悩みの種は「どうすれば、文科省と獣医師会をねじ伏せられるか」ということ。彼らにとっては、岩盤規制にドリルで穴を開けることさえできれば、特区の指定先はどこだって良かった。 獣医学部新設は、特区WGの「実績づくり」のために、致命的に重要だ。「日本の検疫行政の未来」や「石破四条件との適合性」といった観点から、慎重に政策の妥当性を検討する暇などない。最速で規制緩和をしなければならない。しかし、文科省と獣医師会の抵抗は、想定以上に強力だ。「特区が実現しさえすれば、メリットのエビデンスは腐るほど付いてくるはず…。そうなれば、文科省や獣医師会はぐうの音も出なくなるのに…」。市場原理を妄信する特区WGは、皮算用を始めていた。 16年3月時点で公募に応じたのは、加計学園と京都産業大学の2校。「平成30年開学」というゴールから逆算して考えると、京都産業大学では間に合わない。長年申請を続けてきた(程度が低かったのか、15回却下されているが)加計学園の方が、準備も進んでいるはずだ。 8月に地方創生相が、石破氏から山本氏に代わった。これを「官邸からのメッセージ」と捉えた特区WGは、ついに加計学園に白羽の矢を立てる。「規制緩和ありき」が「加計ありき」に変わった瞬間だった。「加計学園で、ほぼ確定」と内定を伝え、開学への準備を急いでもらう。一般公開されていない裏情報を渡したり、申請書の内容にアドバイスしたりして、認可のハードルを下げるといった工作もした。 文科省・獣医師会の同意を未だ取り付けられていない中で、「見切り発車」を一私大に求めることには、懸念もあった。交渉が上手くいかなかった場合、莫大な損失を与えながらも、政府として責任を取ることは不可能、という事態に陥りかねないのだ。しかし、特区WG内部では、「加計学園なら、大丈夫だろう」という打算があった。加計学園の、圧倒的な「政治的コネクション」に賭けたのだ。 パートナーの愛媛県知事・加戸氏は、言わずと知れた「アベ友」。「愛媛県への大学誘致」(獣医学部新設ではない)を悲願とする彼は、獣医学部新設に並々ならぬ情熱を注いでいる。しかも、文科省のOB。加戸元知事だけではない。加計学園サイドは、政界に強い影響を持つ人物を、多数擁している。安倍首相と加計理事長は、自他ともに認める「腹心の友」の間柄。千葉科学大学客員教授を務める萩生田氏は、内閣官房副長官。加計学園で理事を務める木曽氏は、元内閣官房参与で、文科省OBだ。 「加計学園で行きます。でも、文科省と獣医師会がうるさくて…」。こう伝えれば、特区WGの感知しない部分で、憎き文科省・獣医師会に「政治的な圧力」をかけてくれるのではないか。「獣医学部新設のためなら、どんな手段でも使う」、そう胸に誓った特区WGにとって、「加計ありき」路線の選択に迷いは無かった。この判断を端緒として、単なる「規制緩和ありき」の段階では考えられなかった速さで、事態は進展していくことになる。 果たして、先述の面々は、様々な形で「政治的な」折衝を行った。16年9月~12月のことである。文科省の前川事務次官には、あの手この手で揺さぶりをかける。獣医師会には、山本大臣が直々に馳せ参じる。この時点では「加計ありき」は隠さなければならないのだが、山本大臣は「加計で行きます」と口を滑らせてしまった。根が正直で、政治工作に向かないのだろう。何はともあれ、各員の努力が奏功して、文科省・獣医師会の抵抗も徐々に収束してきた。 「加計ありき」路線に同調する権力者が、各所で「総理の意向」をちらつかせたのは、大きかった。内閣人事局と国民の支持率に由来する「絶大な権力」を有する安倍晋三に盾突く者は、もはや日本の政界にはいない。また、案件が「獣医学部新設」であるだけに、「総理の意向」の中身についての「ミスリーディング」が期待でき、実質的な圧力は二倍。というのも、「スピード感を持って規制緩和する」という「総理の意向」を、それとなくボカして伝えるだけで、「加計学園で何としても獣医学部新設を実現する」とのメッセージとして解釈してくれるのだから、扱いやすい。どうせ、オトモダチの加計理事長から色々頼まれているのだろうから、罪悪感など欠片も無い。規制緩和のために、有効に活用させてもらうまでだ。 交渉の過程で飛び出した、「獣医学部の空白地帯に限る」や「一校・一地域に限る」といった後付けの条件は、最終的には「全国展開」を見据える特区WGとしては不本意なものだが、「加計ありき」で動いてくれている人々にそれを言っても仕方のないことだ。「1つの区域で規制改革が認められれば、他の区域でも認められる」という「特区ルール」を発動させることができれば、「事情が変わった」などと言い訳して、ちゃぶ台返しすれば良い。加計学園で実現すれば、後はどうとでもなる。後付けの条件で京都産業大学も手を下してくれたし、向かうところ敵なし。8月の文科省設置審で不認可にでもしようものなら、「総理の意向」で文科省解体しまっせ…(脅迫)。 規制緩和バンザイ! 自由競争バンザイ! 安倍首相バンザイ! *   *   * …以上、北口の妄想でした。安倍首相・萩生田官房副長官・前川前次官・加計理事長・加戸前知事…などと、役者揃いの「加計問題」ですが、どうも彼らは「何者かの手玉に取られている」感が、半端ない。では、この問題に「黒幕」がいるといたら、誰か。「規制緩和ありき」で突き進んできた特区WGなのではないか。「獣医学部新設」という彼らの目標を実現するために、安倍首相も「加計ありき」の人々も、利用されたのではないか。このような直感と、「疑惑は確かに存在しているのでは」という素直な実感に従って、ストーリーを描いてみました。 あくまでフィクションですが、既存の報道と不整合な部分があれば、ご指摘願いたいです。僕が知っている範囲の情報とは、整合性が取れるように組み立てているつもりですが…。現時点では、きちんと突っ込み始めたらキリがないくらいのミスはある気がします。 最後に、もう一度。「「信じるか信じないかは、あなた次第です。」」   北口氏は、「妄想」、「フィクション」(少なくとも、現時点では)などと言っているが、加計学園をめぐる問題全体に対する極めて鋭い推理・分析に基づく、リアリティ溢れる「迫真のストーリー」であある。 しかも、驚くべきことに、これを書いた北口氏は、フェイスブックに掲げられている「ディベート甲子園」、「地学五輪」、「数学理科甲子園」等での輝かしい成績から、“灘高校3年在学中の高校生”と特定できる。   特区WGの主体的かつ積極的な動きへの着目 この「北口ストーリー」の特筆すべき点は、「加計ありき」の獣医学部新設の動きに関して、野党での国会での追及、マスコミ報道などが「安倍首相と加計孝太郎氏との『腹心の友』の関係」に偏り、そこに、世の中の関心も集中している中で、国家戦略特区特区ワーキンググループ(以下、「特区WG」)の動きに着目し、それを中心軸に関係者の動きをとらえるという「視点」、そして、安倍首相などの政権首脳と文科省の前川前次官らが、まるごと「何者かに手玉に取られている」のではないか、「真犯人」は特区WGではないかとの「推理」を行っていることである。 前者の「視点」は、加計学園問題全体を分析・整理した私のブログ記事【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】を参考にしてくれたものだと思うが、特区WGを「中心軸」としてとらえるという「視点」は、私にはなかった。そして、後者の「推理」は、私には考えも及ばなかった奇想天外な「ストーリー」であるが、そこには、かなりのリアリティがある。 この「特区WG真犯人ストーリー」のリアリティの最大の根拠となるのが、特区WGの民間議員らが、今回の加計学園問題に関して、異常なまでに「主体的かつ積極的に」動いていることである。 6月13日には、国家戦略特区諮問会議の有識者議員(民間議員)及びWG民間議員が記者会見を行い、今治市に獣医学部の新設を認めた手続にも経過にも全く問題はない、 一点の曇りもない と断言した。そこで根拠とされた《2016年3月末までに文科省が挙証責任を果たせなかったので、勝負はそこで終わっている。延長戦で9月16日にワーキンググループをやったが、そこで議論して、もう「勝負あり」》とする「挙証責任」「議論終了」論を、特区WGの民間議員の八田達夫氏や原英史氏が、国会の参考人質疑で滔滔と述べている。 また、原氏と同じ株式会社政策工房の会長の高橋洋一氏は、前川喜平氏が加計学園問題で「行政が捻じ曲げられた」と公言した頃から、「挙証責任」「議論終了」論をネット記事やテレビ出演で繰り返し主張し続けている。 この特区WGの主張は、「4条件」の閣議決定の文言・趣旨とも、実際のWGでの議論の経過とも一致しておらず、凡そ通る余地はない。それは、7月8日放映のBS朝日「激論!クロスファイア」での高橋氏と私との「激論」からも、私のブログ記事(【加計問題での”防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊】【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】)などからも明らかだ。 ところが、その後も、特区WGの民間議員達は、「挙証責任」「議論終了」論によって加計学園の獣医学部新設を認めたことを正当化する主張を、今なお続けている。 特区担当の山本幸三大臣は、特区WGで獣医学部新設に関する議論が続いていた2016年11月には、大臣自らが獣医師会に乗り込んで、獣医学部新設を認めるように説得したり、国会答弁では「挙証責任」「議論終了」論をそのまま「受け売り」するなど、その答弁は、安倍首相や松野博一文部科学大臣の答弁などからも遊離し(7月24日の参院予算委員会閉会中審査での日本維新の会浅田均議員の質問等に対する答弁)、「閣内不一致」ともいえる状況になっている。 しかも、24日の国会での山本氏の「加計学園と同様に獣医学部新設を検討していた京都産業大とも連絡をとっていた」との答弁について、内閣府は、26日に、「大臣が答えた中身について確認できていない」とする見解を明らかにしており、山本氏の対応は、内閣府の担当部署とも乖離しているように思える。 これらから見えてくるのは、加計学園問題をめぐって、野党・マスコミの追及に対抗する側が、安倍首相を中心とする内閣・政府の組織と、特区WGの民間議員達と彼らに担がれた山本担当大臣に「二分化」しているという異常な構図なのである。 北口氏は、そこから、「特区WGが、主体的に『加計ありき』の獣医学部新設に向かって動き、それが問題とされるや、『挙証責任』『議論終了論』によって正当化する主張を積極的に行っている」という「特区WG主導のストーリー」を想定したのであろう。   特区WGが「安倍首相の意向への忖度」を利用したとの“大胆な推理” そして、そのような「特区WG主導のストーリー」から、北口氏は、次のような「大胆な推理」を行うのである。 和泉洋人首相補佐官が、前川前文科次官に対して「総理が言えないから、私が言う」と言って、獣医学部新設を認める方向での文科省の対応を促したこと、萩生田光一官房副長官が、文科省の高等教育局長に「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた」という趣旨の発言をしたこと、そして、それらから、文科省側は「総理のご意向」を感じ取り、前川氏も総理の意向で文科省の行政が捻じ曲げられたと考えたことなどは、ほぼ事実である。それらは、これまで、「『腹心の友』の加計氏の便宜を図ろうとする安倍首相の意向」に結び付けられてきたが、実は、安倍首相の「お友達」が経営する加計学園の獣医学部新設を俎上に載せれば、関係者に当然に「安倍首相の意向への忖度」が生じて、学部新設を早期に実現しようとすることを熟知していた特区WGの民間議員達が、それらを、丸ごと利用したのではないか。 北口氏は、「安倍一強」体制の下で、首相本人の意向が明確に示されなくても、それを確認することなく、「忖度」するのが当然の状況にあり、その構図をうまく利用すれば、「加計ありき」の獣医学部新設が「総理のご意向」によって進められているかのように認識し、猛烈な勢いでその実現に向かって邁進させることも可能だったのではないかと考えたのである。選挙で選ばれたわけでもない特区WGの民間議員達は、「忖度」の構図を巧みに操って、「獣医学部新設」で岩盤規制を打破するという彼らの目標を実現したのではないかと「推理」するのである。 この推理の下では、関係者の証言の多くが、矛盾なく整合していく。安倍首相は、加計氏から今治市での獣医学部新設について何の依頼も受けておらず、その認識すらなかったとの、「にわかには信じ難い弁解」が仮に真実であったとしても、「文科省の行政が捻じ曲げられた」との前川氏の主張と相反することもない。特区WGの仕掛けによって、官邸・内閣府側と文科省側という対立する両者が、いずれも「安倍首相の意向」のように信じ込んだということで、事実として両立するのである。   […]

Continue reading
”危険な賭け”に出たことで「詰将棋」に陥った安倍首相

”危険な賭け”に出たことで「詰将棋」に陥った安倍首相

安倍晋三首相は、昨日(7月24日)の衆議院予算委員会での閉会中審査で、加計学園の特区への申請を知った時期について質問され、「1月20日に申請が正式決定した時点」と明言した。「腹心の友」の関係にある加計孝太郎氏と、頻繁に、ゴルフ、会食などを繰り返していた安倍首相が、加計学園が今治市の特区で獣医学部新設の申請をしていることを、最終的に加計学園が事業者に決定された今年の1月20日まで知らなかったというのは、常識では考えられないことであり、昨日の国会での安倍首相の答弁の中で特に注目されている。 昨年10月以降、獣医学部新設を認める条件として、「広域的に獣医学部が存在しない」「平成30年4月設置」などが設定され、「加計ありき」であった強い疑念が生じていることを受け、それらが安倍首相自身の「加計学園への有利な取り計らい」であったことを否定することが目的なのであろう。 なぜなら、昨年9月9日の国家戦略特区諮問会議の時点で、安倍首相が、加計学園の特区申請を認識していたとすると、そこでの議長の安倍首相の指示が、加計学園の獣医学部新設に便宜を図ったものであることを、事実上認めざるを得なくなるからだ。 7月8日の【激論!クロスファイア】で高橋洋一氏の「挙証責任」「議論終了」論をめぐって議論した際にも、昨年9月9日の諮問会議での安倍首相の指示のことを指摘した。(【加計問題での”防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊】) 民間議員を代表して八田達夫氏が 獣医学部の新設は、人畜共通の病気が問題になっていることから見て極めて重要ですが、岩盤が立ちはだかっています。 と発言したことを受けて、安倍首相は、会議の最後に 本日提案いただいた「残された岩盤規制」や、特区での成果の「全国展開」についても、実現に向けた検討を、これまで以上に加速的・集中的にお願いしたい。 と発言している。そして、それを受けて、獣医学部新設の問題を本格的に議論するために開かれた9月16日のWGの冒頭で、藤原豊次長(内閣府地方創生推進事務局審議官)が、 先週金曜日に国家戦略特区の諮問会議が行われまして、まさに八田議員から民間議員ペーパーを御説明いただきましたが、その中で重点的に議論していく項目の1つとしてこの課題が挙がり、総理からもそういった提案課題について検討を深めようというお話もいただいております。 と発言している。つまり、実質的にこの日のWGから始まっている獣医学部新設に関する議論は、「9月9日の諮問会議での安倍首相の指示」によるものであることを、藤原氏が明言しているのである。 この時点で、安倍首相が、加計学園が特区申請をしていることを認識していたとすれば、その指示によって加計学園に便宜を図ったことが否定できなくなる。 「広域的に獣医学部が存在しない」「平成30年4月設置」などの条件については、担当大臣の山本幸三氏が、「安倍首相の指示・意向は一切なく、自分が決定した」と言い続け、徹底して安倍首相を守り抜く姿勢をとり続けている。そういう意味では、一応、ディフェンスが存在している。しかし、9月9日諮問会議での安倍首相発言と、それを受けての9月16日のWGでの藤原氏の発言は、八田氏などが強調する「議事録などに残された透明なプロセス」の中でのことなので、ディフェンスのしようがないのである。 安倍首相側では、昨日の閉会中審査に出席するに当たって、どのような答弁をするかを十分に検討したはずだが、そこで「9月9日諮問会議での安倍首相指示」のことが意識されたのかもしれない。 しかし、常識的に考えても、構造改革特区で何度も獣医学部新設の申請をしていることを知っていたのに、それを国家戦略特区では申請していたことを知らなかったということは考えられない。 しかも、安倍首相は、加計氏と、新たな学部への「挑戦」の話をしたことは認めているのであり、「その学部は何か」ということを親しい間柄で、話さないということは考えられない。安倍首相は「相談も依頼も受けたことはない」としきりに強調しているが、ここで問題となっているのは、加計学園が今治市で獣医学部を新設しようとしていることを認識していたか否かなのである。 国会で、そのような常識では考えられない内容の答弁をしたことは、安倍首相にとって「危険な賭け」だったと言わざるを得ない。 私個人としては、規制緩和における「挙証責任」論や国家戦略特区の在り方に関する議論が取り上げられることを期待していただけに、若干残念であるが、安倍首相側が、防衛線を敢えて「1月20日」に設定した以上、そこが当面の最大の攻防の焦点になることは避けがたいであろう。 今日の参議院での閉会中審査では、この点は野党側からの追及のポイントになるであろうし、仮に、それを耐えしのいだとしても、その不合理性は明らかであって、どう考えても、「加計学園の特区申請は今年1月20日に知った」という話が維持できるとは考えられない。 安倍首相にとって将棋の盤面は、「詰将棋」の状況に入ったと言わざるを得ないだろう。

Continue reading
京産大記者会見への反応に見る”更なる「二極化」”

京産大記者会見への反応に見る”更なる「二極化」”

超長文ブログへの反応 一昨日出したブログ記事【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」】は、2万3000字に及ぶもので、これまでも長文のブログが多かった私にとっても、最長のブログとなった。ブログ転載サイトのBLOGOSでは、【前編】・【後編】に二分割して転載されている。 この超長文記事に対する反応が、大変興味深いものだった。 まず、超長文だったわりには、ブログ閲覧数等、全体として反応が大きかった。特に、嬉しかったのは、超長文の記事全文をしっかり読んだと思える人から、私の意図を理解してくれたと思える反応が相当数あったことだ。 その中に、次のような有難いツイートがあった。 ちょっと長かったけど読んだ。郷原先生は民主主義に対する信頼がある、そして愛情がある。一般にはちょっと難だが、わかる人にはわかる論点整理をして、実働しなければならない野党や現役の検察官への厳しくも愛情あるエールを投げている。しっかりこの論点を各現場でつなげていってほしいもの。 私が敢えて超長文の記事を出した意図は、短く表現すれば、このツイートの指摘のとおりだ。 加計学園問題で、安倍政権の支持率が急落する中、安倍首相も出席して予算委員会での閉会中審査が開かれることが決まり、国政に関する重大な問題になっているが、この問題に対するマスコミの批判も、野党の国会での追及も、いずれも、問題の本質に迫るものではなく、一方の安倍支持者側の主張も、不正確で一面的なものである。双方の意見が、激しく対立し、全くかみ合わない状況を踏まえ、この問題をめぐる論点を全体的に整理し、それを踏まえて、政権側の対応がいかに拙劣だったか、野党の追及もいかに本質から外れたものだったのかを指摘し、今後の議論を少しでも充実したものにできればと考えたものだ。 一つの記事で関連する論点を幅広く取り上げ、相互の関係まで示そうと思えば、通常の記事を大幅に上回る文字数になるのは致し方なかった(冒頭で示しているように、「第1」から「第5」まで5部構成で、それぞれ独立した内容となっており、個別に読んでもらうこともできる。)。 私も、自営の弁護士であり、個人で事務所を構え、自分の時間を糧として生きている人間だ。どうしても自分以外の人は書かないだろうと思えることがあると、時間をやりくりし、睡眠時間を削り、ブログ【郷原信郎が斬る】で発信している。それは、一国民として、一市民としての使命感からだ。もちろん、弁護士である以上、無責任なことは書けないので、内容面も、形式面も、事務所スタッフのチェックを受け、正確を期している。それだけに、今回の超長文をしっかり読んで、私の意図を理解してくれた人がいたことで、3連休のほとんどの時間を費やし、改めて資料を確認した上で、「修行僧」のように執筆を続けた苦労が報われた思いだった。 しかし、一方の「安倍支持者」と思える人達の反応は、予想されたこととは言え、ほとんどが、辟易させられるものだった。「第5」で、政権側だけではなく、野党側も厳しく批判している。それは、最後まで読まなくても、サブタイトルを見ただけでもわかるはずなのに、ブログの内容を「野党の追及」と同視して誹謗するもの、「長文を書くのは説明能力がないから」「元検事が書くことと思えない」など記事の内容と無関係なことを言ってくるもの、或いは内容を誤ってとらえているものがほとんどだった。 そして、いまなお、彼らが書いていることの中心にあるのが、「挙証責任」論である。「第3」で、「挙証責任」論と一般的な規制緩和論との関係を、私なりに丁寧に解説したつもりだが、さしたる反論もなく、とにかく「文科省は挙証責任を果たしていない」の一点張りだ。 要するに、内容を確かめもしないで、「安倍内閣批判」に対して感情的に反発し、ただただ、「挙証責任」論にしがみつくというのが、「今なお安倍政権を支持する人達」に共通する傾向なのである。   現時点での「加計疑惑解消」の論拠 そして、現時点での「安倍内閣支持者」の「加計疑惑は解消した」との主張の最大の論拠となっているのが、京都産業大学の記者会見と、前愛媛県知事の加戸守行氏の国会での発言だ。「感情論」としての加戸発言、客観的根拠としての京産大記者会見の二つを根拠に、「加計学園問題に関する疑惑は全て晴れた。今更何を言っているんだ」と主張している人が多い。 このうち、加戸氏の国会での発言が、加計学園をめぐる疑惑とほとんど無関係であることは、超長文ブログの「第1」の後半で詳細に指摘したとおりであるし、【“加計ありき”の証拠が続々! でも安倍応援団は「加戸前愛媛県知事の証言で疑惑は晴れた」の大合唱、そのインチキを暴く!】などの記事でも指摘されている(末尾で『加戸氏が「アベ友」であること』の指摘があるが、他の指摘だけでも、加戸発言の無価値は明白だ。)。 問題は、7月14日に行われた京都産業大学記者会見の内容をどう見るかだ。 この会見について、「何か水面下で蠢いているのでは」などとツイートしたことで批判を浴びている民進党議員がいる。内容を十分に確認・評価することなく「陰謀論」的な見方を公言することの軽率さには呆れるばかりだ。「野党側の安倍内閣批判」の質の低下を端的に表わすものであり、これも不毛な「二極化」の要因の一つと言える。 前の記事でも書いたが、京産大の記者会見の内容は、加計学園の獣医学部認可の経過に関して疑惑を深めることはあっても、疑惑を稀薄化するものでは決してない。 京産大が会見で述べた内容と、今回の加計学園をめぐる疑惑との関係について詳しく検討してみよう。   京産大記者会見質疑全文 【京都産業大学会見】は、読売新聞のネット記事に掲載された会見での質疑応答全文に、筆者が発言ごとに番号を付したものである(読売新聞なので、少なくとも政府側に不利な方向に編集されていることはないと考えてよいであろう。) 京産大の発言のうち、加計学園問題に関連すると思える部分を以下の[1]~[18]で整理した。 [1]国家戦略特区の実施主体とて申請し、構想は準備できていたが、今年1月4日の告示で「平成30年4月の設置」が条件とされたために、それまでには設置認可の申請の準備ができないということで応募を断念した(③)。 [2]その後、加計学園が申請することになり、仮に、2校目、3校目の設置認可が認められるとしても、獣医学部やその教員の数が全国で限られている現状からは、質の高い教員を必要な人数確保するのは困難なので、今後の獣医学部設置は断念した(③) [3]ライフサイエンスの研究・教育は、生物工学科を設置した平成元年から続けてきた。平成22年に設置した総合生命科学部の動物生命医科学科を母体とする研究を、その特長をのばす方向で獣医学部開設につなげようと考えたが、それが果たせなかったので、新しい学部で活用、継承する(①⑤)。 [4](加計学園との比較において)実験動物と感染症を中心に創薬に強いライフサイエンス系の獣医学部を作る構想では自負がある(⑧)。 [5](開設の時期が「京産大外し」につながった認識は)ない。告示を見て判断しただけ。 [6]申請が認められれば教員の確保や建物の確保に着手するつもりだったが、構想段階で終わった(⑩)。 [7]「広域的に獣医師養成大学が存在しないところに限り新設可能」との条件が入ったが、広域ということだけで対象外となったとは思っていなかった(⑬)。 [8]不透明な決定という感触は無かった(⑭)。 [9]平成30年4月が無理だった。告示からスタートするとなると、3か月あまりで設置計画から教員の確保が必要になるが、そのスケジュールは無理だった(⑭)。 [10]獣医学部を断念したことで、獣医師を養成できないことに加え、獣医師の実験動物として、ミニブタなどを使うことができなくなった。小動物に限定されることになる(⑯)。 [11]「4条件」をクリアすべく、蓄積してきたノウハウを盛り込んで、ライフサイエンスに強い獣医系学部を作るという最善のものを用意した(⑰)。 [12](特区はスピーディーにやるものと言っても)、平成30年4月開学は考えていなかった。特区に認定されても、そこから文部科学省の認可申請をクリアする必要がある。通常の単独申請ならば、文科省への申請が認定されれば、学部が開設できるが、今回のケースは違う。そこを確認したうえでないと、人、建物、設備は整えられない(㉖)。 [13]「広域的」ということが本学にとって、ちょっと不利だなとは思ったが、それだけをもって今回、対象外になったとは思っていなかったので、引き続き継続して見守っていた(㉚)。 [14]諮問会議での「広域的」のキーワードと、昨年11月18日の平成30年度開設のパブリックコメントを経て、どのように最終的な判断が今年1月4日にされるのかを注目していた(㉛)。 [15](加計学園は申請が認められる前から、教員集めやボーリングをしていたが)、本学は綾部市でキャンパスを設けるとすると学部は獣医学部に限られる。その設置がかなわなくても違う学部を設置できるならば事前着手も可能だが、そうではなかったので、リスクはとれなかった(㉜)。 [16]教員の確保が難しい理由は、獣医学部を持つ大学は日本で16校ぐらいしかなく、教員も六百数十人しかいないこと。国際水準の獣医教育をしようとすると、教員72人が必要とされているので一般的には教員確保が難しい(㊳)。 [17]国家戦略特区ということで、まずは内閣府をクリアしないと、そもそも文科省に申請できないという認識だったので、特区の提案の中で、獣医学部の新設に関して事前相談で文科省の方には行かなかった(㊸)。 [18](加計学園の動きで影響を受けたことは)ない。1月4日以降、自分たちの方向に進んできた。回りの影響を受けたことはない。(㊻)   京産大の立場・心情、会見を行った事情 このような京産大の会見内容を、加計学園問題との関係で評価するに当たって、京産大の置かれた立場と心情、会見を行った事情を考えてみる必要がある。 京産大には平成元年からのライフサイエンスの研究・教育の歴史がある。2015年6月30日の閣議決定の「4条件」で、「新たな獣医師の分野」「ライフサイエンス」が、獣医学部新設の条件として明示されたことで、かねてからのライフサイエンス研究を、獣医学部構想として具体化させ、京大の山中教授のIPS細胞研究との連携も図っていくことに夢を膨らませていた。16年10月17日の国家戦略特区ワーキンググループでのヒアリングでは、その獣医学部でのライフサイエンス研究の構想について、説明する場も与えられ、獣医学部構想実現への期待は一層高まったはずだ。しかし、結果的には、「平成30年4月設置」という条件のために応募を断念せざるを得なくなり、教員確保が困難となることから、やむなく、獣医学部新設そのものを断念し、ライフサイエンス研究は他の構想に転換せざるを得ない事態に至ったことが、学部新設構想に関わった京産大関係者の人達にとっていかに残念であったかは察するに余りある。 しかも、重大な政治問題となっている加計学園問題に関連して、京産大の獣医学部設置構想は社会的に注目されていた中、安倍首相が、神戸での講演で「獣医学部全国展開」を打ち出し、「今後、二校でも三校でも認可していく」と明言した。現時点で、次の獣医学部新設の最有力候補が京産大ということで一層注目を集めているのであるから、獣医学部設置を将来的にも断念したのであれば、それを世の中に公表せざるを得ない。 しかし、京産大側の発言による政治的影響は極めて大きいと考えられ、国の認可のもと、私学助成も得て大学を運営している私立大学の立場としては、記者会見で、根拠のない推測や不確かなことを発言するのは、今後の大学運営にマイナスになりかねない。 そういう状況の中で、今回の記者会見での京産大側の発言内容には、国家戦略特区への応募を断念した理由と、なぜ将来的な獣医学部新設をも断念したのか、という点について事実を淡々と説明する一方で、加計学園問題に関するどのような質問を受けても、京産大側には直接関係がないこと、不確かな根拠で政府を批判することになるような発言は避ける、という姿勢で臨んだものと思われる。それは京産大の立場を考えれば誠に適切な姿勢である。 従前からの「京産大は『加計ありき』の獣医学部新設の被害者」というような見方からの質問に対しては、それを否定する発言をしている([7][8])。それが、「安倍支持者」の人達には、「野党の加計問題による安倍内閣批判を否定するもの」であるかのように受けとられた。しかし、それは、上記のような京産大の立場からは当然なのである。   京産大会見から明らかになった重要な事実 […]

Continue reading
加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する  ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」

加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」

  加計学園問題をめぐり、かみ合わず、対立する主張 森友学園問題は、小学校開設のための国有地が不当に安く払い下げられたことが、安倍晋三首相の夫人安倍昭恵氏が名誉校長を務める学校法人森友学園への「不当な優遇」ではないかが問題とされたが、加計学園問題も、森友学園問題と同様に、「安倍一強」と言われる安倍内閣への政治権力の集中の中で、安倍首相と親密な関係にある特定の学校法人が国から不当な優遇を受けたのではないかが問題とされたものだった。 その問題をめぐる構図を大きく変えたのが、前川喜平前文科省事務次官が、記者会見を開き、文科省内に「総理のご意向」文書が存在したことを認め、「行政が捻じ曲げられた」と明言したことであり、それ以降、最近まで文科省事務次官という中央省庁の事務方のトップの地位にあった人間の発言や、その省内で作成された文書によって、「不当な優遇」を疑う具体的な根拠が示され、それが、国会の内外で安倍首相や安倍内閣が厳しい追及を受ける事態に発展した。 国会での追及を免れるため、先の国会の最大の対決法案であった「テロ等準備罪法案」を、委員会採決を省略して本会議で議決するという不当な「奇策」まで使って、会期を延長せず国会会期を終了させたが、このようなやり方や、一連の問題に対する安倍内閣の不誠実な対応が、安倍内閣への批判を逆に高め、都議選で自民党が歴史的惨敗、その後、安倍内閣の支持率は政権発足後最低の水準まで低下している。 都議選での自民党の惨敗、支持率の急落を受け、7月10日には国会両院で閉会中審査が開かれたが、外遊中の安倍首相が出席しなかったことへの批判が高まり、安倍首相が出席して両院の予算委員会で閉会中審査が開かれることになった。 ここに来て顕著なことは、加計学園問題について、「重大な問題だ」と指摘する論者と、次第に少数になりつつあるが「全く問題がない」とする論者との間で、激しく意見が対立し、しかも、両者の主張がほとんど噛み合っていないことである。 【加計問題での“防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊】でも述べたように、7月8日放映のBS朝日「激論!クロスファイア」(司会田原総一朗氏)に、元大蔵官僚の高橋洋一氏と私が出演し、同氏の「挙証責任」「議論終了」論をめぐって激しい議論を展開した。私の諮問会議・WGの議事録に基づく指摘で、少なくとも高橋氏の「議論終了論」はほぼ完全に崩れたと思えたが、ネットでは、多くの人が「郷原氏、高橋氏に圧勝」とする一方で、一部に「高橋氏の完勝だ」と評価する人もいる。 また、閉会中審査の結果についても、自民党の青山繁晴議員の前川氏への質疑、前愛媛県知事の加戸守行氏の発言の評価等をめぐって、見方が真っ向から対立している状況にある(猪野亨氏【閉会中審査でのやり取りを自民党に軍配を上げるネトウヨたちの異様性 国会軽視の安倍自民党】)。 安倍首相が出席して行われることとなった予算委員会での閉会中審査をめぐって意見・評価が全くかみ合わないまま激しく対立する状況が続くことが予想される。 なぜこのような状況が続くのか、「安倍首相を支持するか、しないか」という政治的意見の対立の先鋭化によるものであることも確かである。しかし、それ以上に、この問題は、「安倍首相の指示・意向があったのかどうか」という事実認定の問題のほかに、社会的、経済的、或いはコンプライアンス的に重要な論点を多数含んでおり、その点についての見解の対立があること、しかも、この問題についての国会での議論が低レベルで本質的な問題を指摘し得ていないことなどが、影響しているように思われる。 この「見解の対立」も、かなり本質的な違いであり、その解消は容易ではないが、まず、何がどう対立しているのかを全体的に整理することは、今後の加計学園問題をめぐる議論に関しても有益なのではないかと思う。 そこで、政権の帰趨を決する重大問題となった加計学園問題をめぐる議論の混乱を解消し、少しでも充実したものとするため、この問題全体に関する論点を、可能な限り網羅的に取り上げて整理し、解説してみたいと思う。 私のブログ記事としては過去に例がない程の長文になってしまったので、最初に内容を全体的に示しておきたい。 第1 安倍首相の指示・意向という「事実」に関する問題 第2 利益相反、公正・中立性の確保という「コンプライアンス」に関する問題 第3 規制緩和をめぐる「挙証責任」に関する問題 第4 「犯罪性」に関する問題  第5 安倍政権側と野党側の対応を“斬る”   第1「事実」に関する問題([A])   安倍首相の指示・意向の有無と意向の「忖度」 加計学園問題をめぐる最大の争点が、「『腹心の友』の加計孝太郎氏が経営する加計学園に有利な取り計らいをするよう安倍首相の指示・意向が示された事実があったか否か」であることは間違いない。しかし、この点についての事実が明らかになる可能性はほとんどないに等しい。仮にその事実があったとしても、安倍首相がそれを認めることはあり得ないし、その指示・意向を直接受けた人間がいたとしても、それを肯定することは考えられないからだ。 安倍首相の直接的な指示・意向のほかに、官邸や内閣府の関係者が、安倍首相の意向を「忖度」して、加計学園の獣医学部新設が認められるように取り計らったのではないかも問題となるが、【官僚の世界における“忖度”について「確かに言えること」】でも述べたように、「忖度」というのは、される方(上位者)にはわからないものだし、行う本人も意識していない場合が多い。「忖度」があったかなかったかを、安倍首相にいくら質問しても、関係者をいくら追及しても、事実を明らかにすることは、もともと極めて困難である。 しかし、それらの事実が直接証拠によって立証されることはなくても、間接事実によって推認されることはあり得る。国家戦略特区の枠組みによって加計学園の獣医学部新設が認められた経緯の中での関係者の発言のほか、手続自体が「最初から加計学園ありき」としか考えられない「歪んだもの」だったとすれば、その背景に、安倍首相と加計氏との関係があることが影響したことが合理的に推測され、安倍首相の指示・意向や、忖度が働いたことが強く疑われることになる。 立証命題としての「事実」は、安倍首相の指示・意向([A]①)と意向の忖度([A]②)だが、実際には、「間接事実」によって、[A]①及び[A]②の事実が推認できるか否かという問題([A]③)に尽きる。 その点に関して重要なのが、前川氏の証言と文科省の内部文書の存在である。その主な内容が、以下のようなものだ。 [前川証言] ア 2016年9月頃、和泉洋人首相補佐官から、「総理は自分の口から言えないから、私が代わって言う」と言われた。 イ 同年8月下旬頃、木曽功加計学園理事(元文科省官僚)から、「国家戦略特区制度で、今治に獣医学部を新設する話、早く進めてほしい。文科省は(国家戦略特区)諮問会議が決定したことに従えばいいから」と言われた。 ウ 11月9日の諮問会議で「広域的に獣医学部の存在しない地域に限り」という条件が付され、11月18日の共同告示のパブリックコメントの際に「平成30年度開設」という条件が付され、1月4日に共同告示が制定された際に、「一校に限り」という条件が入り、結局加計学園だけが残ることになった。初めから加計学園に決まっていた、加計学園に決まるようにプロセスを進めてきたと見え、このプロセスは内閣府あるいは内閣官房の中で進んできた。 [文科省文書] エ 「これは総理のご意向だと聞いている」 オ 「これは官邸の最高レベルが言っていること」 カ 「閣内不一致を何とかしないと文科省が悪者になってしまう」   これらを総合すると、[A]③の間接事実としては相当程度有力なものであるといえ、これらを否定する根拠、合理的な説明・反論がない限り、[A]①及び[A]②が推認されることになる。とりわけ、文科省側の事務方のトップであった前川氏が、「初めから加計学園に決まっていた」と具体的な根拠を示して証言したことの意味は極めて大きい。存在が明らかになっている文科省内の文書も、その内容だけでは、内閣府等の関係者の言動を正確に示すものとは必ずしも言えないが、文科省と内閣府の間のやり取りについて、内閣府側からは、文科省側の文書を否定する文書・資料は全く開示されておらず、担当大臣の山本氏の説明も、前川氏の指摘に対する合理的な説明・反論になっているとは言い難い。そのため[A]①及び[A]②の事実に関して、[A]③の間接事実による推認が、相当程度強く働いていると言わざるを得ない。   加戸守行氏の証言と京都産業大学の記者会見 閉会中審査における前愛媛県知事の加戸守行氏の証言と、その後に行われた京都産業大学の「獣医学部開設断念」の記者会見の内容をどう評価するかも問題となっている。これらによって、加計学園をめぐる安倍首相の疑惑が解消されたかのように評価する声もあるが、いずれも、加計学園をめぐる疑惑を解消することにつながるものではない。 加戸氏については、愛媛県知事の時代から、今治新都市開発の一環として大学誘致に熱心に取り組んできたこと、同氏にとって獣医学部誘致が「悲願」だったことは、国会で切々と述べたとおりであろうし、教育再生実行会議での同氏の、唐突な、いささか場違いとも思える「獣医学部新設問題」への言及からも、誘致への強い熱意が窺われる。しかし、加戸氏は、獣医学部の認可を求める側の当事者、政府にとっては外部者であり、政府内部における獣医学部新設をめぐる経過とは直接関係はない。また、「愛媛県議会議員の今治市選出の議員と加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながれてきて飛びついた」というのも、今治市が加計学園の獣医学部を誘致する活動をする10年以上前の話である。その後の誘致活動、とりわけ、前川氏が「加計学園に最初から決まっていた」と思える「行政の歪み」があったと指摘する2016年8月以降の経過に、安倍首相と加計理事長の「お友達」の関係がどのように影響しているのかとは次元の異なる問題である。 また、長年にわたって誘致活動を進めてきた加戸氏の立場からは致し方ないことのようにも思えるが、同氏の話にはかなりの誇張がある。愛媛県知事時代の「鳥インフルエンザ、口蹄疫の四国への上陸の阻止」の問題を、公務員獣医師、産業担当獣医師の数が少ないことの問題に結び付けているが、加戸氏自身も認めているように、上陸阻止の手段は、船、自動車等の徹底した消毒であり、獣医師の「数」は問題とはならない。獣医師が必要になるとすれば上陸が阻止できず感染が生じた場合であろうが、実際には、四国では鳥インフルエンザも口蹄疫も発生していない。また、加戸氏が長年にわたって今治市への獣医学部誘致の活動をしてきた背景には、知事時代に今治市と共同して進めた新都市整備事業で予定していた学園都市構想が実現しておらず、土地が宙に浮いた状態だったという事情があったことを加戸氏自身も認めている。獣医学部誘致に今治市民の膨大な額の税金を投入することを疑問視する市民も少なからずいることを無視して、獣医学部誘致が「愛媛県民の、そして今治地域の夢と希望」と表現するのは、現実とはかなり異なっているように思える。 結局のところ、加戸氏の国会での発言は、政府の対応を正当化する根拠にも、前川氏の証言に対する反対事実にもなり得ないものであり、加計学園をめぐる疑惑に関しては、ほとんど意味がないものと言える。 次に、京都産業大学が7月14日に記者会見を開いて獣医学部設置断念を公表した件だが、そこで明らかにされた理由は、 1月4日に公表された文科省告示で『平成30年4月開学』が条件とされたことで、準備が間に合わないと判断したために応募は断念した。 (獣医学部を断念した理由について)加計学園が来春、愛媛県今治市に獣医学部を開学する予定であることで、国際水準に足る質の高い教員を確保することが難しくなった というものだった。 既存の獣医学部などが「広域的に存在しない地域に限り」新設を認めるとした条件について「これで対象外になったとは思わなかったが、ちょっと不利だと思った」とも述べている。この会見での説明からすると、「30年4月開学」という条件が付けられたことで、京都産業大学が応募を断念せざるを得なくなり、しかも、加計学園が先に開学することで教員確保が困難となり、結局、国家戦略特区諮問会議で決定された条件のために、「加計学園のみ獣医学部設置」という結果につながったことが明らかになった。 京都産業大学の記者会見での説明は、「平成30年開学」の条件が、「加計ありき」につながったとの前川氏の指摘を裏付けるものと見ることができ、[A]③の間接事実による[A]①及び[A]②の推認を、むしろ強める方向に働くものである。 ところが、高橋洋一氏は、この京都産業大学の記者会見について、獣医学部設置断念の理由についての説明を、《「教員確保が困難だったため」としたうえで、今回の戦略特区の選定作業が不透明だったか否かについては、「不透明ではなかった」と明言している。》などと引用し、加計学園をめぐる疑惑が晴れたかのように述べている(現代ビジネス【加計問題を追及し続けるマスコミの「本当の狙い」を邪推してみた】)が、「平成30年4月開学」の条件が付されたことが特区への応募断念の決定的な理由であったとの大学側が繰り返し述べた理由を意図的に除外している。しかも、表面上は公開の手続で決定されたのであるから、内閣府と文科省との間で何があったのか知り得ない同大学側が「不透明だった」と言う根拠もない。会見の内容を歪曲して、疑惑が晴れたとの結論を導こうとしているものである。   第2 コンプライアンスに関する問題([B]) 次に、国家戦略特区に関する権限を有する総理大臣と、加計学園理事長とが「腹心の友」であることの「利益相反」という問題がある。これは、公正・公平な判断ではない疑いが生じる「外形」の問題である。過去50年以上にわたり認められてこなかった獣医学部の新設を、安倍首相がトップを務める内閣府所管の国家戦略特別区域法に基づき、大学認可を所管する文科省の従来の方針を変更して実現しようとしているのであるが、その権限を持っているのは安倍首相自身だ。首相と加計理事長との親密な関係が、国家戦略特区の枠組みによる獣医学部新設認可の判断に影響を与えることがないようにする必要があった。それは、安倍首相が強調するように「関与していない」「指示していない」ということで済む問題ではない。安倍首相と加計理事長の親密な関係が、「忖度」等によって事実上影響した可能性もあり、外形上そのような疑いが生じること自体が問題なのである。 これが、事業を行う組織のトップの「利益相反」というコンプイアンス問題であり、それを[B]-①と呼ぶとすれば、もう一つ、この点に関して重要なのが、「利益相反」が生じかねない枠組みという[B]-②の問題である。 […]

Continue reading
加計問題での”防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊

加計問題での”防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊

昨日(7月8日)放映のBS朝日「激論!クロスファイア」(司会田原総一朗氏)に、元大蔵官僚の高橋洋一氏とともに出演した。 森友学園問題・加計学園問題に関して、安倍内閣の不誠実な対応、疑惑の高まりで、安倍内閣への支持が大きく低下し、都議選でも自民党が歴史的惨敗したことなどを受けて、加計学園問題が、改めて取り上げられた。 山本大臣の「挙証責任」「議論終了」論 当初、菅官房長官が「怪文書」等と言っていた「総理のご意向」文書の存在が、文科省の再調査の結果、否定できなくなった後、山本地方創生担当大臣は、 今回の話というのは、(国家戦略特区)ワーキンググループで議論していただいて、去年の3月末までに文科省が挙証責任を果たせなかったので、勝負はそこで終わっているんですね。もう1回、延長戦で9月16日にワーキンググループやってますが、そこで議論して、もう「勝負あり」。その後に何を言っているのかという気がして、私はなりませんけども。 などと述べている。【山本幸三・地方創生相、加計学園問題の「勝負は終わっている」】 このような「挙証責任」「議論終了」論による文科省批判は、高橋氏が、朝日新聞が「総理のご意向」文書をスクープした時点から行っている。その後、前文科省次官の前川喜平氏が記者会見で、加計問題で「文科省の行政が捻じ曲げられた」と発言するようになって以降は、高橋氏の前川氏批判の根拠にもなっている。 高橋氏の主張は、単なる個人的な主張というだけではなく、今では、担当大臣による安倍内閣の「公式な主張」にもなっている。そればかりか、現在の状況からは、加計学園問題での安倍内閣の防衛線が、この「挙証責任」「議論終了」論だと言っても過言ではない。 そのような状況を踏まえて企画されたのが、加計学園問題についての「安倍政権の主張」の提供者とも言える高橋氏と私との討論番組だったものと思われる。 獣医学部の認可に関する国家戦略特区での議論の経過は、以下のように整理できる。 2014年7月18日 第1回新潟市区域会議:新潟市追加要望項目の1つに獣医学部新設 8月  5日 WG:文科省・農水省ヒアリング(7/18要望獣医学部新設について) 8月19日 WG:文科省・農水省ヒアリング(8/5WGの続き) 2015年6月  8日 WG:文科省・農水省ヒアリング 6月30日 閣議決定:獣医学部新設の4条件が明示される 12月15日 第18回諮問会議:「広島県・今治市」特区指定が決まる 2016年3月24日 第8回関西圏区域会議:京都府が獣医学部の設置提案 9月 9日 第23回諮問会議:重要6分野の1つとして獣医学部新設の「岩盤規制」が挙がる。安倍首相が「残された岩盤規制」への加速的・集中的対応を要請 9月16日 WG:文科省・農水省ヒアリング(安倍首相の指示を受け、獣医学部新設について議論) 9月21日 第1回今治市分科会:獣医学部提案 10月17日 WG:京都府(京都産業大構想の説明) 11月9日 第25回諮問会議:「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を直ちに行う」ことを 決定 「激論!クロスファイア」での高橋洋一氏との“激論” 高橋氏は、 需要見通しについて文科省に『挙証責任』がある 2016年3月末の期限までに挙証責任を果たせなかったことで『議論終了』 文科省の『負け』が決まり、『泣きの延長』となった2016.9.16時点でも予測を出せずに完敗 文科省文書はそれ以後のもので、文科省内の『負け惜しみ』 という従来からの自説を展開したが、その「挙証責任」「議論終了」の論拠は全く示せなかった。 獣医学部の認可については、2014年の8月に、新潟市の提案に関連して2回のワーキンググループ(以下、「WG」)が開かれ、文科省・農水省からのヒアリングが行われている、そこで、小動物、産業動物、公務員獣医師という既存の獣医師の分野の需給に大きな支障が生じることはない、という説明がなされ、一応議論は終わっている。 そして、2015年6月8日のWGで、今治市からの提案を受けて、「ライフサイエンスなど獣医師が新たに対応すべき分野」に関して議論が行われ、ここで、「新たな分野」についての対応方針を文科省が示したのを受けて、「ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要」を前提に、獣医学部の新設を検討するとの閣議決定が行われているのである。 このような経過からも、「ライフサイエンスなどの新たな分野」が議論の核心であることは明らかだが、それを高橋氏は全く認識していなかったらしく、私からの反論の冒頭で、高橋氏が「挙証責任」の対象としている「需要見通し」とは、獣医師のどの分野の見通しなのか、と質問したのに対して、高橋氏は「全体の見通し」と答えた。その時点で、高橋氏との議論はほぼ終了したに等しかった。 その後、「9月16日WGで議論が終了した」という高橋氏の主張の誤りを、諮問会議やWGの議事録に基づいて指摘したが、これに対して、高橋氏は、 文科省が挙証責任を果たせなかった時点で終わっている 終わっていなかったら、課長レベルではなく、上のレベルで話をする などと譫言のように繰り返すだけであった。なぜ、ライフサイエンス等に関して具体的かつ充実した説明をした京都産業大学ではなく、加計学園が認可の対象に選定されたのかという疑問に対して、 申請した順番で決まる と答えたことには、唖然とせざるを得なかった。 番組では、高橋氏が無理解を露呈し、「閣議決定により文科省に挙証責任がある」と譫言のように繰り返したため、そもそも高橋氏の「挙証責任」「議論終了」論が成立するのかという点についての議論はできなかった。 担当大臣の山本氏も、この高橋氏の主張の「受け売り」で同じように述べており、もはや公式の主張になっているので、明日(7月10日)国会で開かれる加計学園問題での「閉会中審査」でも、主要な論点となるものと思われる。それだけに、高橋氏が説明できなかったところも含め、この「挙証責任」「議論終了」論の是非について、検討をしておくことが必要であろう。 「4条件」の閣議決定から「挙証責任」は生じるのか ここで、まず問題になるのは、2015年6月30日の獣医学部認可に関する「4条件」(いわゆる「石破4条件」)の閣議決定の趣旨である。以下に、正確に閣議決定の内容を引用する。 現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。 ここで書いてあることは、①「現在の提案主体」つまり、国家戦略特区で獣医学部の新設を提案していた「主体」(この時点では新潟市と今治市)から、「既存の獣医師養成でない構想」が具体化されることが大前提であり、それは、文科省が行うことではない。そして、そのような構想が具体化した場合に、次に、②ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになること、③既存の大学・学部では対応が困難な場合、という2つの条件が充たされることで、次の、④「獣医師の需要の動向を考慮して」、「全国的見地から《本年度内に》に検討を行う」ということになるのである。 したがって、この閣議決定からは、まず「構想の具体化」がなければ、文科省としては、義務は何も生まれないのであり、文科省としては、閣議決定を受けて構想が具体化した場合に備えて、「獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要」や、「既存の大学・学部での対応状況」などについての調査検討を一応行うであろうが、「需要見通し」についての「挙証責任」などという話が出てくる余地はない。 したがって、この閣議決定の文言を見る限り、 文科省が「挙証責任」を負い、2016年3月末の期限までに「挙証責任」が果たせなければ、自動的に「文科省の負け」となって、告示の例外を認めて獣医学部の設置認可をせざるを得なくなる とは全く言えないのである。 それに加え、この閣議決定に関しては、当時の担当大臣の石破茂氏が、最近になって自らのブログのインタビュー動画で、以下のとおり説明している。 […]

Continue reading
「防衛大臣の職責」を自覚しない稲田氏 即刻解任を

「防衛大臣の職責」を自覚しない稲田氏 即刻解任を

稲田朋美防衛大臣が、九州北部での記録的な豪雨で自衛隊が災害対応に当たっていた7月6日、昼の1時間余り防衛省を不在にして、民間人との防衛政策の勉強会に出席し、その間、40分間は、副大臣、政務官の「政務三役」が不在であったことが批判にさらされている。 石破元防衛大臣は、 防衛の仕事は、5分、10分の遅れが思わぬ結果を引き起こすことがあり、近くにいたから問題ないということではない。防衛省としてあるまじきことであり、原因を解明し、そういうことが二度とないようにすべきだ。 と述べたとのことだが、全くその通りだと思う。 防衛大臣は、他国の侵略的な行為への対応や防衛出動に関して重要な職責を担うものだが、ある意味ではそれ以上に重要なのは、重大な災害で国民の生命が危険にさらされているときに、防衛省のトップとして、自衛隊組織の人的・物的資源をどこにどのように配置するのかを、刻々と変化する状況の中で適切に判断することであろう。しかも、災害への対応は、防衛省だけで行うものではない。全国の消防組織を統括する総務省消防庁、被災地の自治体などとの連携、それらを統括する首相官邸と、常時、緊密な連絡をとり、必要な調整を行うことが、防衛大臣に求められる極めて重要な職務である。 稲田氏が防衛省を不在にした昨日正午頃は、九州北部を襲った豪雨で、数十万人に避難指示が出て、しかも、各地に孤立した地域があり、一刻も早い救助を待ち望んでいる人たちが大勢いた。そのような状況で、民間人との「勉強会」に出席していたというのは、重大かつ深刻な豪雨災害の被災者やその安否を気遣う家族の心情を思うと、絶対に許せないものである。 稲田氏が出席した「勉強会」というのも、支援者ら中心のイベントであろう。被災者の救援より、そういう「勉強会」を優先する稲田氏の姿勢は、一般の国民より支援者・お友達との関係を優先する森友学園・加計学園問題等での安倍首相の姿勢と共通するものである。 都議選の応援演説で、 防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてお願いしたい。 などと防衛大臣にあるまじき発言をし、直後に発言を撤回した際には、 緊張感を持って職務に臨む。 などと述べていたが、その言葉は一体何だったのか。 稲田氏は、 複数の政務三役が近くに所在し、速やかに戻ることができる態勢をとっており、対応に問題があったとは考えていない。 と述べているとのことであり、菅義偉官房長官も、会見で、 問題はないと思っている。大臣も含めてすぐ近くに所在し、秘書官から随時連絡を受けて速やかに省内に戻る態勢だった。 と述べたとのことだが、平時において「不測の事態」の発生に備えるというのとは全く異なり、既に重大な災害で多くの人の命が危険にさらされているのである。何かあったら連絡を受けて防衛省に戻れば良いという話ではない。国土の防衛のために配備されている陸海空の自衛隊を、防衛面での影響を最小限にしつつ、最大限効果的に九州での豪雨災害の救援対応をするために、防衛大臣として、他の機関との連携をとりつつ全力で対応に当たらなければならないのは当然である。 「連絡を受けて防衛省に戻ればよい」などというのは、稲田氏も、菅氏も、今回の豪雨災害を不当に軽視しているとしか思えない。「国民の命を守る」という防衛大臣の最大の職責を全く自覚しているとは思えない稲田大臣は即刻解任すべきである。これ以上、このような人物を防衛大臣の職にとどまらせることは、国民として到底納得できることではない。  

Continue reading
「安倍一強」「小池王国」に貢献した蓮舫代表・野田幹事長は辞任すべき

「安倍一強」「小池王国」に貢献した蓮舫代表・野田幹事長は辞任すべき

【“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 ~代表辞任は「都民への裏切り」】でも述べたように、都議会議員選挙で、自民党は加計学園問題等への「傲慢」「ごまかし」や閣僚等の不祥事への強い批判から、歴史的惨敗を喫し、一方で、小池都知事が率いる「都民ファーストの会」は圧勝したが、その直後に、選挙の直前に代表に就任した小池氏が代表を辞任するなど、凡そまともな「政党」とは言い難い状況にある。こうした中で、野党としての役割を全く果たせず、ほとんど蚊帳の外のような状況に置かれたのが民進党である。 民進党の蓮舫代表・野田佳彦幹事長は、このような状況を招いたことについて責任をとり、速やかに辞任すべきだ。 都議選での5議席という結果を、「当初の予想のゼロないし1の予想より良かった」として安堵しているなどという報道があるが、ふざけたことを言ってはならない。安倍政権批判票が、小池都民ファーストに向かうという状況を招いたのは、離党者続出で民進党都連が壊滅し、民進党が、多くの選挙区で候補者すら立てられないという惨状で選挙に臨まざるを得なかったからである。 蓮舫氏にとって最大の誤りは、「都知事選挙に出馬せず、野党第一党の代表となって首相をめざす」決断をしたことである。 舛添氏が政治資金問題での批判を受けて都知事を辞任し、急遽行われることになった2016年の都知事選挙で、蓮舫氏に都知事選への立候補を期待する声が上がったが、結局、蓮舫氏は、立候補しなかった。その理由について、テレビ番組で、「都政ではできない。国を変えなければできない。」と述べた。この時点で、都知事ではなく、首相をめざそうということだったのであろう。同年秋の民主党代表選挙に出馬して、野党第一党の代表に就任した。 6月18日に蓮舫氏が都知事選への不出馬を表明したのを見届けた後に、小池氏が、6月29日に出馬を表明。当時、知名度抜群の蓮舫氏が出馬した場合、余程の強力な対立候補が現れない限り圧勝するだろうと予想されていた。小池氏が出馬しても、女性対女性の対決となって小池氏の強みが半減し、なにより、「自民党都連との対決構図」が作れなかった可能性が高い。蓮舫氏が都知事選出馬表明をすれば、小池氏は出馬を断念していた可能性も高い。 蓮舫都知事が誕生していれば、民主党が、「二重国籍問題」で足をとられることもなかった(二重国籍問題は、野党第一党の党首として「日本の総理大臣」をめざそうとすることに対する批判であり、都知事であれば、大きな問題にはならなかったはずだ。)。 蓮舫氏が、民進党代表選の期間中から「二重国籍問題」を指摘され、出足からつまずき、その問題への説明責任も十分に果たさないまま代表の座にとどまり続けたことで、民進党は、国民からは殆ど見放される状態が続いた。民進党が批判の受け皿になり得ないことによって、安倍内閣が森友学園問題・加計学園問題で失態や不誠実な対応を重ねても、支持率が下がらないという異常な状況につながり、都議選では、批判の受け皿となった小池都民ファーストが圧勝し、東京都に「小池王国」を生むことにつながった。 そういう意味では、蓮舫氏が都知事選挙に出馬せず、国政にとどまり、野党第一党民主党の代表をめざしたことは、民主党(民進党)にとっても、国民にとっても、都民にとっても最悪の結果につながったと言える。 野田氏の責任は、それ以上に大きい。 まず最大の罪は、首相在任中の2012年11月、国会での安倍自民党総裁との党首討論で、消費税増税を含む三党合意履行を条件に衆議院解散に打って出ることを明言し、その後の総選挙で、民主党の議席が、230から57議席になるという壊滅的敗北を喫したことにある。国民に期待されて政権交代を果たした後も、党内抗争に明け暮れ、菅首相の震災・原発事故対応での失態等も重なって、既に民主党は国民の支持を失っており、いずれにせよ総選挙での民主党の大敗は免れなかったと思う。それにしても、この時点での突然の解散は、ほとんど自軍に「自爆テロ」を仕掛けたに近いもので、それ以降、民主党は政党としての体をなさなくなった。 その責任の重さを考えたら、民主党内で、人前に出ることすらはばかられるはずだが、事もあろうに、2016年の選挙で蓮舫氏を代表に担ぎ上げ、「二重国籍問題」への懸念の声が上がっても跳ね返し、自ら蓮舫代表の下の幹事長のポストについたのである。これが二つ目の罪である。 野田氏の二つの罪が、民進党の野党としての機能を著しく低下させ、自民党への批判の受け皿を無くし、「安倍一強」体制に大きく貢献してきたことは間違いない。 都議選での惨敗を受けて、自民党側も、それまで頑なに拒んでいた「閉会中審査」にも応じる方向になってきている。加計学園問題について説明が困難であるからこそ、共謀罪の審議で「禁じ手」まで使って国会を閉会に持ち込んだのに、閉会中審査を行わざるを得ないのは、深刻な事態である。しかし、蓮舫・野田体制が続く限り、民進党がいくら追及しても、安倍政権に対する威力は限られたものでしかない。 安倍政権に対する批判がこれ程までに盛り上がった今回の都議選で、民進党自身が、批判の受け皿としての選択肢を提供できなかったことの責任を負って、蓮舫氏は代表を、野田氏は幹事長を、一刻も早く辞任すべきである。 とりわけ、野田氏は、民主党にとって「A級戦犯」でありながら、再び幹事長としてしゃしゃり出たことが、日本の民主主義にとっても深刻かつ重大な事態を招いてしまったのである。速やかに民進党の組織から離れ、政界を引退するのが本筋であろう。 一方、蓮舫氏は、ここで、党の再生のために潔く身を引けば、まだまだ、これから活躍の余地がある。「二重国籍問題」はあくまで、次期首相をめざす立場であるが故の問題であり、政治家としての活躍の余地が否定されるものではない。早晩、行き詰まるであろう小池都政の後の都知事をめざすというのも、一つの選択肢かもしれない。蓮舫氏の政治家としての今後のためにも、速やかに決断すべきである。

Continue reading
“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 ~代表辞任は「都民への裏切り」

“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 ~代表辞任は「都民への裏切り」

昨日の東京都議会議員選挙、安倍晋三首相が率いる自民党が、議席を半数以下に減らすという“歴史的惨敗”を喫した。その最大の原因は、安倍内閣の、加計学園問題、森友学園問題など安倍首相自身に関わる問題や、稲田防衛大臣の発言などの閣僚・党幹部の「不祥事」に対する対応が、あまりに不誠実かつ傲慢で、問題を真摯に受け止めているようには思えないことにあり、それに対する都民の痛烈な批判が、このような結果につながったと見るべきである。この選挙結果を、小池都知事が率いる都民ファーストの会(以下、「都民ファースト」)が支持された圧勝と見るのは、間違いだと思う。 私は、小池都政に対しては、昨年来、【小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える】【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】【「拙速で無理な懲戒処分」に表れた「小池劇場」の“行き詰まり”】【豊洲市場問題、混乱収拾の唯一の方法は、小池知事の“謝罪と説明”】【「小池劇場」の”暴走”が招く「地方自治の危機」】などで、徹底的に批判を続けてきた。小池知事が東京都で強大な権力を握り続けることは「地方自治の危機」だと思っている。 一方で、森友学園問題、加計学園問題などで厳しい批判にさらされている自民党や安倍内閣に対しても、ブログ等で、様々な観点から批判を続けてきた。最近では、講演での獣医学部認可の『全国展開』の発言については、【「獣医学部を全国で認可」発言で“自爆”した安倍首相】と厳しく批判した。 そういう状況で行われた今回の選挙が、「小池氏と自民党との対決」だけでなく、「厳しい批判を浴びる安倍内閣の信任を問う選挙」と位置付けられたことで、小池都政、安倍政権の双方を厳しく批判してきた私としては、対応が極めて難しい選挙になってしまった。 選挙の告示直前の6月22日に、片山善博氏と私の対談本【『偽りの都民ファースト』】が出版された。私は、これまで本を出した時には行ってきたのだが、今回は選挙期間中、ツイッター、ブログ等での本の紹介を全く行わなかった。私の小池都知事批判が、些かなりとも自民党・安倍政権を利する結果になることは絶対に避けたかったからだ。 私が投票した選挙区も、自民党、都民ファーストの会、共産党の各公認候補者のほか、民進党を離党して都民ファーストの推薦を受けている無所属の候補者、あとは幸福実現党だけだった。昔、豊洲市場問題に関して教条的な批判で混乱を煽った共産党に投票するのか。しかし、まさか、幸福実現党というわけにもいかない。結局のところ、今回の選挙では、私には、全く選択肢がなかった。 多くの都民にとっては、私のように「全く選択肢がない」のではなく、「都民ファースト以外に選択肢がない」ということだったのであろう。 「小池劇場」を巧みに使った小池氏のメッキが徐々に剥がれ、支持は確実に低下していたとは言え、それは主として、豊洲への市場移転の問題での、「決められない知事」という批判によるものだった。その点は、都議選告示の直前に、豊洲への移転の方針を一応示したことで、相当程度に緩和された。そうであれば、あまりに酷い有様の自民党・安倍内閣への失望・反発から、「自民党には投票したくない」という当然の感覚の都民が、小池氏の都民ファーストに投票するのは、ある意味では自然な流れだったと言えよう。 片山氏と私の対談本で指摘したような、小池氏の都知事としての姿勢や手法に対する根本的な問題が都民に認識されていれば、結果も異なったであろうが、上記のブログで小池氏を徹底批判してきた私ですら、安倍政権批判との関係での上記のような理由で、対談本を紹介することもなく、都議選に影響を及ぼすような形での小池批判も、差し控えていたのである。今回の選挙で小池批判の動きが顕在化しなかったのは致し方ないと言えよう。 そういう意味では、今回の選挙での“自民党の歴史的惨敗”は安倍一強の異常な政治情勢に大きな動揺を与えるものとしては歓迎すべきことであるが、その副産物として東京都が「小池王国」となってしまったこと、都議会をも掌握した都知事が絶対的権力を握って、二元代表制が有名無実化しかねない状況になってしまったことは、我々都民にとって由々しき事態である。「小池都政の暴走」が始まると、もはや止めようがないのである。 そういう意味では、今こそ、片山氏との対談本【『偽りの都民ファースト』】に注目して頂きたい。片山氏は、地方自治体の政治・行政の観点から、そして、私が、組織のコンプライアンスの観点から、小池氏が都知事として行ってきたことが、まさに「偽り」であり、全くデタラメであることを、徹底して論じている。 小池氏は、事あるごとに「東京大改革の一丁目一番地は情報公開」という言葉を持ち出し、情報公開による「透明化」であらゆる問題が解決できるかのように言っている。しかし、小池氏の透明性の確保、すなわち、「情報公開の徹底」が、過去の知事に対して説明責任を厳しく要求するだけで、自分には甘い「ダブルスタンダード」になっていること、予算の決定の過程の業界団体のヒアリングなども、自分の都合の良いところを世の中に見せようとする「見せる化」であって、本当の意味の「見える化」にはなっていないことを、対談の中で、片山氏が厳しく指摘している(同書169頁)。情報公開は、過去の知事時代のことではなく、小池都知事になってからの、しかも、小池氏自身に関わる問題についても徹底されなければならない。しかし、実質的に東京都政を支配している小池氏と「顧問団」や都民ファースト幹部との協議過程や「密談」についての透明化・情報公開の動きは全く見えない。 この1~2時間程度で読める短い本が、少しでも多くの都民に読まれることが、「小池王国」となった東京都で今後起き得ることへの危機感を持ってもらうことにつながるはずである。 ~~~ 上記の内容でブログを更新しようとしていたところ、「小池都知事、都民ファーストの会代表辞任」との信じ難いニュースが飛び込んできた。選挙直前に代表に就任し、代表として選挙戦に臨み、その結果が出たとたんに、代表を辞任するというのである。都議選向けの「臨時代表」だったということであろうか。選挙で圧勝した小池氏には、「小池百合子代表」の看板を掲げ、小池氏の責任で公認・推薦した都民ファースト候補者だからこそ、有権者が投票してくれたという認識すらなくなっているようだ。あまりに都民・有権者を舐めきった行動と言わざるを得ない。 小池氏は、今回の代表辞任の理由について、「二元代表制等々への懸念があることも想定すると」と述べているようだが、代表に就任した6月1日の定例会見では、小池氏は、 知事と、それから都議会と、二元代表制のもとにあって、しっかりと方向性を一にし、そしてスピード感を一にし、時には議会の方がむしろリードするぐらいのスピード感を持ってほしいという意味でございまして と述べていた。「二元代表制」との関係からの懸念は最初から指摘されていた話であるが、それに対して 議会のチェックも、情報公開をすることによって、都民の皆さんの目ということがあって初めてその効果が出てくるのではないか などと、ここでも「情報公開」という的外れの言葉を持ち出してごまかしていたのである。 今回、改めて「二元代表制」を代表辞任の理由として持ち出しているが、代表を辞任をしても、都民ファーストは小池氏が実質的に支配している政党であることは何も変わりはなく、ただ、「所属議員に何か問題があっても小池氏は責任を負わない」という点に違いがあるだけなのであるから、「二元代表制との関係での懸念」は全く解消されていない。 小池氏が代表として責任を持つ都民ファーストが公認・推薦した候補者というのと、野田数という多くの都民にとって正体不明の人物が代表となっている地域政党が公認・推薦した候補者というのとでは、有権者たる都民にとって判断が異なって然るべきである。選挙後に代表を辞任する予定であったのに、敢えて、その事実を秘し、選挙後も自らが代表を務める都民ファーストの公認候補ないし推薦候補であるように偽っていたとすると、その「公認・推薦」というのは、実質的には事実ではなかったに等しい。「候補者に対する人・政党その他の団体の推薦・支持に関し虚偽の事項を公にする行為」を「虚偽事項公表罪」として罰する公職選挙法235条の趣旨にも反すると言えよう。 このような都知事の下での東京都政が、法律に基づいて適切に運営されることは、全く期待できない。そのことを、今、改めて痛感している。      

Continue reading
文春記事に「事実無根」と開き直った下村氏会見の“愚”

文春記事に「事実無根」と開き直った下村氏会見の“愚”

安倍晋三首相の「腹心の友」が理事長を務める学校法人加計学園が、2013年と2014年に、自民党の下村博文幹事長代行を支援する政治団体「博友会」から政治資金パーティー券計200万円分を購入したが、それが「博友会」の政治資金収支報告書に記載されていないとして、週刊文春は、「200万円の違法な献金を受けた疑いがある」と報じた。 これを受けて下村氏は、6月29日に記者会見し、 加計学園から政治寄付もパーティー券を購入してもらったこともなく、『加計学園から闇献金200万円』という記事は事実無根。 とし、疑惑を否定した。しかし、この200万円分のパーティー券については、 2013年と14年、加計学園の秘書室長が下村事務所を訪れ、合計11の個人・企業から預かってきた各100万円ずつを持参した。1人・1社20万円以下で、それぞれ領収書を渡した。 と述べており、少なくとも、加計学園の秘書室長から、合計200万円が、下村氏の政治団体に渡ったことは認めている。(【下村氏が会見「週刊文春の報道は事実無根。告訴も検討」】) 確かに、政治資金規正法では、20万円以下のパーティー券購入については、収支報告書に購入者名を記載しなくてもよいことになっている。しかし、それは、「20万円以下の小口のパーティー券の購入」として「処理」すれば、購入者の名前を非公表にすることが「法律上は可能だ」ということに過ぎない。 極めて重要なことは、下村氏が、加計学園の秘書室長から200万円を受け取った事実を認めていることだ。 下村氏は、 本日週刊誌が報じた記事内容は、法律上、問題ないことばかりであることを説明いたしました。 などと述べているが、「法律上問題ないかのような外形で行われた」という言い訳をしただけであって、週刊文春の記事で生じた「疑惑」についての説明には全くなっておらず、かえって、下村氏の会見での発言によって、下村氏と加計学園をめぐる「疑惑」は一層深まったと言える。   政治資金規正法上の問題 まず、疑われるのは、「11の個人・企業から預かってきた各100万円」というのが、実は、加計学園が支出したもので、「11の個人・企業」というのは、「名義貸し」ではないかという点だ。週刊文春の記事によると 下村事務所が作成した<2013年博友会パーティー入金状況>によると、<9月27日 学校 加計学園 1,000,000>と記載されている。博友会とは、当時、文部科学大臣だった下村氏の後援会であり、この年の10月、大規模な資金集めパーティーを開いていた。また、翌年の<2014年博友会パーティー入金状況>には、10月10日付で<学校 山中一郎 加計学園 1,000,000>と記載されていた。山中氏は当時、加計学園の秘書室長を務めており、政界との窓口となっていた。 のであり、少なくとも、下村氏の事務所側で「加計学園による政治資金パーティー代金の支払」として扱われ、その後、政治資金の処理の段階で、20万円以下の個人・企業の名義に分散して領収書が交付された疑いが強い。その場合、 何人も、本人の名義以外の名義又は匿名で、政治資金パーティーの支払をしてはならない。 とする政治資金規正法の規定(22条の6第1項、22条の8第4項)に違反する。 私が検事時代に、政治資金規正法違反事件を捜査した経験からすると、このような形態で行われる寄附や政治資金パーティー代金の支払は、真実の資金提供者が、その事実を隠すために名義を分散させる場合が多い。 また、もし、本当に、加計学園の秘書室長が、11の個人・企業から預かってきたお金を持参したのだとすると、少なくとも、その「政治資金パーティーの支払」が、(理事長の意向に従った)秘書室長の「あっせん」によるものではないかが問題となる。 下村氏の「博友会」の政治資金パーティーは、東京で開催されたものであり、加計学園側が発表したコメントでは、「現金を預かったのは、上京して事務所に寄るついでがあったためだ」とされている。ということは、「11の個人・企業」は、東京近郊の所在ではないということであろう。 下村氏の地元でもないところの個人・企業が、加計学園と無関係に、下村氏の政治資金パーティーのことを知り、秘書室長にパーティー代金を預ける、ということは常識的には考えられない。下村氏の事務所側で、「加計学園からの支払」と記載されていることからしても、少なくとも、「加計学園の秘書室長によるあっせん」があった可能性が濃厚だと考えられる。「あっせん」でないのであれば、下村氏自身が、その「11の個人・企業」はもともと下村氏の支持者であったという説明ができるはずである。 政治資金規正法は、「政治資金パーティーの対価支払のあっせん」について、20万円を超える場合には、政治資金収支報告書に記載を義務付けるとともに、それ以下のものも、「あっせん者」の会計帳簿への記載を義務付けている。少なくとも、下村事務所側としては、加計学園によるパーティー券代金支払なのか、あっせんなのかは会計帳簿の記載に基づき明確に説明する必要があるが、会計帳簿の記載に関して、下村氏からは何の説明もない。文春記事で指摘されている<博友会パーティー入金状況>は、実質的に会計帳簿の役割を果たすものである可能性が高い。 政治資金規正法は、寄付や政治資金パーティーの「あっせん」に対して、「相手方に対し業務、雇用その他の関係又は組織の影響力を利用して威迫する等不当にその意思を拘束するような方法」(地位利用)の禁止、「賃金、工賃、下請代金その他性質上これらに類するものからの控除」(天引き)の禁止等の制限を設けている。寄付や政治資金パーティーの代金の支払の「あっせん」は、自ら寄付や代金支払を行うのと同程度に、政治家や政党を政治資金に関して支援する性格の行為であり、あっせんの態様に制限を設け、透明化を図る必要性が高いと考えられているからである。 「11の個人・企業」と加計学園とがどのような関係なのかは全く不明だが、仮に、加計学園の役職員や工事受注業者等の関係者であれば、「地位利用」や「天引き」による政治資金パーティーの代金支払である可能性も出てくる。   文科大臣在任中の加計学園側からの資金提供又はあっせん そして、何より重要なことは、このような加計学園の秘書室長による「他人名義」或いは「あっせん」の疑いが濃厚な合計200万円の資金提供が、下村氏の文部科学大臣在任中に行われた事実が、今回の文春の記事と下村氏の会見によって明らかになったことである。 下村氏は、文科大臣として、学校法人加計学園に対して、様々な便宜を図り得る立場にある。そのような関係において、現金200万円のやり取りが行われたこと自体が「重大な疑惑」と言うべきであるが、それについて、下村氏は全く説明責任を果たしていない。 それどころか、この点について、下村氏は、 大学や学部の設置については、有識者で構成される「大学設置審」で行われているのであり、大臣の意向が入るという制度はありません。 などという、信じ難い「詭弁」を持ち出している。 「大学設置審」というのは、文科省が、大学・学部等の設置認可を行うに当たって、外部有識者の審議会に「諮問」し、その「答申」を得ることが必要とされているというだけであり、設置認可は、文科大臣の権限によって行われるのである。 現に、安倍首相や菅官房長官などは、獣医学部の設置が「文科省の告示」によって50年以上認められてこなかったことを「岩盤規制」だと言って批判しているではないか。この「告示」というのも、当然のことながら、「文部科学大臣の権限」で定められているものである。   「ネタ元の犯罪」は、下村氏の説明責任とは無関係 下村氏は、文春記事の中に出てくる「事務所関係者」が、昨年、下村氏の事務所を退職し、現在自民党以外から都議選に立候補した私の元秘書であり、同秘書の退職理由が事務所の金を使い込んだからであることを明らかにし、週刊誌に内部情報を提供したのは内部者である可能性が強く、この元秘書に大きな疑惑を持たざるを得ないと述べ、偽計業務妨害罪で告訴するとしている。しかし、そのような事実があるのであれば、そういう人物を秘書にした自らの不徳を恥じる事由ではあっても、加計学園と下村氏をめぐる問題とは全く関係ない。 一般的には、そのような内部者が持ち出した事務所の内部資料による記事だとすれば、それは逆に、情報の信憑性を高めるものである。実際に、「加計学園秘書室長からの200万円の受領」という最も重要な事実は間違いがなかったことを自ら認めている。 下村氏側が、内部者による情報持ち出しに対して、法的措置をとるのは自由だが、それによって明らかになった事実について、政治家として、元文部科学大臣としての説明責任を免れるものではない。 週刊文春のネタ元が、事務所の金を使い込んで退職した元秘書であることを強調し、あたかも、指摘されている事実には問題がないかのような、「強気の発言」をしていることが、政治家の対応としていかに愚かなことか、下村氏にはわからないのだろうか。   検察は速やかな捜査を 既に述べたように、政治資金規正法違反の容疑は十分にある。これまでの同種の問題の例から考えると、早晩、市民団体等の告発の対象となるのは必至だ。検察当局としても、速やかに必要な捜査を行うべきだろう。「都議会議員選挙期間中なので、表立った捜査はできない」という言い訳も考えられるが、少なくとも、加計学園の秘書室長が下村事務所に持ち込んだ200万円が、加計学園が支出したのか、「11の個人・企業」が支出したのか、いずれであるかを明らかにすることは、検察にとって「赤子の手をひねる」程度に容易なことだ。 都議選が終わり次第、ただちに資金の出所を明らかにするための捜査に着手し、文科大臣在任中の下村氏と加計学園をめぐる問題の実態解明をめざすべきだ。 甘利氏の事件などで「政権に弱腰の検察」を露呈してきた特捜検察にとって、現時点では、検察の動きに注目が集まっていないこの事件こそ、検察に対する信頼と期待を回復する格好のチャンスと言うべきであろう。  

Continue reading
「獣医学部を全国で認可」発言で“自爆”した安倍首相

「獣医学部を全国で認可」発言で“自爆”した安倍首相

【獣医学部新設問題 首相「加計以外も認める」 優遇批判を意識】というニュースを見て、思わず目を疑った。 安倍首相は、6月24日に、講演の中で、「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く一因となった。」「今治市だけに限定する必要は全くない。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲ある所にはどんどん新設を認めていく。」などと述べたとのことだ。   政府側の従来の主張を根底から否定するもの この発言に対しては、様々な批判が行われているが、決定的なのは、安倍首相自身も、その周辺も、これまで、必死に「安倍首相は、獣医学部設置認可の問題に一切関わっていないし、具体的に関わる立場ではない。」と主張してきたことを、根底から否定するに等しいということだ。 総理大臣には、国家戦略特別区域法に基づく区域方針の決定等の「権限」が与えられている。50年以上にわたって獣医学部の新設を認めてこなかった文科省の「認可行政」が、その「権限」によって覆され、安倍首相の「腹心の友」の加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園が経営する大学だけが、獣医学部新設を認められ加計氏を利する結果になったことは間違いない。問題は、そこに、安倍首相がどのように関与していたのか、首相と加計理事長との関係が何らかの影響を与えていたのか否かであるが、安倍首相は、「獣医学部新設の認可」に関しては権限を一切行使することも、全く関わることもなく、自分とは全く関係ないところで行われたものだ」と説明し、国会で野党から質問を受ける度に、「自分は関わっていない」「指示したことはない」と関与を否定し、野党の質問自体を「印象操作だ」と言って逆に批判をしてきた。 そして、国家戦略特区を所管する山本幸三担当大臣も、和泉洋人内閣総理大臣補佐官も、萩生田光一官房副長官も、「安倍首相は、国家戦略特区での獣医学部の認可問題には一切関わっていない」という前提で、「首相からの指示は全く受けていない。意向は何ら影響していない。」と言い続けてきたのである。   安倍首相が「獣医学部の新設を全国で認めていく」と発言する意味 ところが、今回、安倍首相は、「獣医学部の新設を全国で認めていく」と述べ、総理大臣として、獣医学部の新設を認めることができる立場にあることを自ら明言し、自分が「その気」になれば、いくらでも増やすことが可能であることを明らかにしたのである。“私は総理大臣なんだから何でもできる、加計だけ認可したことで文句があるのなら、全部認めてやろうじゃないか。”という本音が表れたということだろう。 「『私の友人だから認めてくれ』などという訳のわからない意向がまかり通る余地など全くない」と言っていることからすると、安倍首相は、「『私の友人だから』という意向」が内閣府や文科省で設置認可を認める方向で働いたか否かが問題だと思っているようだ。 しかし、そのような露骨な意向が示され、それがまかり通ったことが疑われているのではない。平成30年4月開学に向けて加計学園が今治市での獣医学部設置に向けての準備を着々と進めている中で、安倍首相が、「国家戦略特区で獣医学部新設を早急に認める」という意向を示し、その通りに事が運べば、獣医学部の認可で「腹心の友」への便宜を図ることは十分に可能なのである。   ロッキード事件に例えると 「総理大臣の犯罪」が裁かれたロッキード事件に例えてみると、時の総理大臣自身が、「全日空がロッキード社のトライスター機だけを導入したから疑われた。これから全日空に働きかけて、ボーイング社からも買うように言ってやる。それなら文句ないだろう。」と公言したようなものだ。この事件では、ロッキード社の全日空へのトライスター機売り込みについて総理大臣が便宜を図ったのかどうか、運輸省の監督下とは言え民間会社である全日空の航空機購入について、総理大臣の職務権限が及ぶかどうかが争点になったのであるが、もし、(在職中に疑惑が表面化したとして、)総理大臣自身が、「全日空の航空機購入に影響力を及ぼしてやる」などと言えば、総理大臣としてロッキード社に便宜を図ることが可能だったことを認めるに等しい。 もちろん、「5億円の授受」について、検察の(相当強引な)取調べによって、全日空関係者等が現金授受を自白する供述調書が作成されたロッキード事件とは異なり、加計学園の問題に関しては、安倍首相が加計理事長から利益供与を受けていたことの「具体的な疑い」があるわけではない。しかし、安倍首相自身も認めているように、長年にわたって「腹心の友」の関係にあるのであるから、安倍首相が加計氏から様々な有形無形の恩恵を得ていることは否定できないであろう。その見返りに、獣医学部の設定認可に関して、加計氏に有利な取り計らいが行われたのではないかが問題となるのであり、そこで、国家戦略特区に基づく獣医学部新設の認可について、総理大臣がどのように位置づけられ、どのような立場にあり、どのような姿勢をとっていたのかによって、加計氏に「便宜供与」を行うことができた現実的な可能性があったか否かが判断されることになる。 この点について、総理大臣は、国家戦略特区の枠組みについて、基本方針、区域方針等を決定する権限を持っており、しかも、諮問会議の議長である。しかし、「獣医学部の設置認可を認めるかどうか」という個別の政策判断については、総理大臣が直接、判断・決定を行ったりすることは前提にされていないし、実際に、諮問会議等で、安倍首相は、個別の問題について発言を行っていない。しかも、官邸・内閣府側が、安倍首相は、獣医学部の新設認可に一切関わっておらず、関わる立場でもないとの説明を行ってきた。そのため、これまで主として問題とされてきたのは、「安倍首相が全く関与していないとしても、加計氏が安倍首相の『腹心の友』であることが獣医学部設置認可に影響した可能性があり、外形上、公正・中立が疑われる」という「利益相反」の問題、つまり「政府のコンプライアンス」の問題だった。 ところが、安倍首相は、今治市だけに新設認可を認めたことで加計氏への優遇が疑われているという「個人的な事情」の下で、「獣医学部の新設を全国でどんどん認めていく」などと発言した。 それは、裏を返せば、「その気になれば、獣医学部の新設を認めることなど、総理大臣の私にとって簡単なことだ」ということであり、「獣医学部の認可の問題に、総理大臣として、いくらでも口を出せる」ということを認めたに等しい。   「『岩盤規制の打破』はすべて『善』」と単純に割り切れる問題ではない 安倍首相の真意は全く不明だが、“獣医師の不足は、誰の目にも明らかであるのに、既得権益を保護する獣医師会が、獣医学部新設に不当に反対していた。一校だけ新設を認めたことは「岩盤規制の打破」として全く不十分なものであり、むしろ、獣医学部の新設を無条件に認めていくことが社会的に当然だ。”と思い込んでいるのかもしれない。 しかし、大学や学部、大学院の設置などは、認可をすれば、その後に、私学助成金等で公的資金を投入することになり、国に財政上の負担を生じさせる。その点で、酒屋の出店規制の撤廃等の「規制緩和」とは、決定的に異なる。しかも、獣医学部のような国家資格の取得に関わる学部の設置は、将来の資格取得者や就業者の増加に直結する。資格を取得しても職に就くことができない人を大量に発生すれば社会問題にもなりかねない。 最近では、法科大学院の設置に関し、申請通り70校全てを認めてしまったことが、最終的には、法曹資格を得ることができない、或いは、資格を取っても仕事にありつけない修了者を大量に生み出すことになった挙句、既に半数近くの法科大学院が募集停止に追い込まれたのが、その典型例である。それによって、多くの若者達の人生設計を狂わせ、法科大学院に費やされた膨大な公的助成金は無駄になってしまった。国家資格取得を目的とする大学・大学院設置認可というのは、「岩盤規制の打破はすべて善」と単純化できる話ではない。 獣医学部の新設認可は、獣医師の需給関係に直接影響を与える。犬・猫等のペット数の減少傾向に加え、産業用動物が漸減する状況の下で、不足しているのは、資格取得のコストの割に待遇が良くない公務員獣医師だけだと言われており、獣医師全体で見ると、決して不足しているとは言えない。そこに、これまでの獣医学部の定員総数の17%にも及ぶ160人の定員での学部新設を認めることに、強い異論があるのは当然だ。 安倍首相は、そのような獣医師の需給関係をめぐる議論をすべて無視し「全国で新設を認める」と言い放っているのである。 獣医学部について「1校に限定して特区を認めたのが中途半端だった」というのであれば、同様に、国家戦略特区で、成田市の国際医療福祉大学1校のみに、38年ぶりに「医学部」の設置を認めたことも、「中途半端」だったので「全国で設置認可していく」ということになるはずだ。それを言わず、獣医学部についてだけ「全国展開」を言い出すのは、それが、自分に対する疑いを払拭するという「個人的事情」によるものだからである。   産経新聞社主催の講演で飛び出した「自爆発言」 これまで、官邸も、内閣府も、「安倍首相は獣医学部設置認可の問題には一切関わっていないし、全く無関係である」という説明を一貫して行ってきたのに、安倍首相は、何を血迷ったのか、「自分が、その気になれば、獣医学部の新設を全国で認めることもできる」と野放図に放言してしまった。「正気の沙汰」とは思えない。「自爆行為」そのものである。 注目すべきは、その自爆発言が、産経新聞主催の講演会の場で発せられたということである。これまで、安倍首相は、加計学園問題について国会で質問されても「印象操作」だと言って開き直り、一般論的な自説をとうとうと述べ、また、国会閉会後に行われた記者会見でも「プロンプター」に映し出される原稿を棒読み、記者との質疑応答もすべてセットされていて、原稿に基づいて答えていたようだ。 要するに、自分で考えたこと、思ったことは、安倍首相の口からは全く出て来ていなかった。今回、自民党を一貫して支援してくれている産経新聞社主催の講演会だということで気が緩んだのか、加計学園問題についての自らの考えを、思わず口にしてしまったということであろう。 今回の安倍首相発言の真意を、今後、国会や記者会見の場で、しっかりと問い質していかなければならない。それが、今回の加計学園をめぐる問題の真相解明につながるはずである。      

Continue reading
菅「怪文書」発言、義家「守秘義務」発言こそ、国民にとって“残念”

菅「怪文書」発言、義家「守秘義務」発言こそ、国民にとって“残念”

「加計学園」の獣医学部新設問題で、「総理のご意向」などと書かれた文書の存在について、文科省で再調査が行われた結果、同省内部者からの存在が指摘されていた19文書のうち14文書の存在が確認された。 前回調査後、文科省職員による「『文書が存在する』とのマスコミへの告発証言」が相次いだことを受けて行われた再調査で、これらの告発証言の真実性が裏付けられたことになる。 告発証言に基づく報道の一つ【(朝日)加計文書、職員の報告放置 初回調査後「省内に保管」】によれば、文書が確認できなかったとした当初調査の後、複数の同省職員から、同省幹部数人に対し、「文書は省内のパソコンにある」といった報告があったのに、こうした証言は公表されず、事実上放置されていたとのことであり、私が、再調査が決定された直後に述べたように(【「あったものをなかったことにした」前回調査での“隠ぺい”解明を】)、今回の再調査の結果から、「文書の存在が確認できなかった」とした当初の調査が、実質的に「隠ぺい」であった疑いが濃厚になったと言えよう。 文書の存否の確認のための調査を行いながら、文書そのものを隠ぺいして、文書がなかったかのような公表をしたことは、国民に対する裏切りであり、重大な「不祥事」である。 しかも、その調査結果の公表を受けて、官房長官は、新聞報道で存在が指摘された文書を「怪文書」などと切り捨て、前川喜平前文科省次官が、記者会見で「確かに存在した」と公言しても、直前に読売新聞が報じた同氏の「出会い系バー」への出入りに言及して、教育行政の最高の責任者にあるまじき行為と個人攻撃するなど、同氏の証言の価値を貶めようとしたこと(【読売新聞は死んだに等しい】)が、「マスコミと結託した悪辣な企み」であった疑いも一層高まった。 文科省に対する信頼を失墜させただけでなく、加計学園問題をめぐる混乱を助長することになった“隠ぺい不祥事”の背景に、官邸や内閣府のどのような動きがあったのか、徹底解明することが不可欠である。文科省は再調査の結果、文書の存在が明らかになっても、まだ「前回調査は合理的」と言っているようだが、論外だ。そのように言い通さざるを得ないこと自体が、官邸・内閣府から文科省幹部に「異常な力学」が働いていることを示していると言えよう。   文部科学副大臣の守秘義務違反発言 こうした経過の中で、見過ごすことができないのは、文書の存在等を証言した文科省職員の内部告発者について、義家弘介文部科学副大臣が、6月13日の参院農林水産委員会で、「国家公務員法違反(守秘義務違反)での処分」を示唆したことである(【加計問題の内部告発者、処分の可能性 義家弘介・文科副大臣が示唆】)。 義家氏は、 文科省の現職職員が公益通報制度の対象になるには、告発の内容が具体的にどのような法令違反に該当するのか明らかにすることが必要だ 告発内容が法令違反に該当しない場合、非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可無く外部に流出されることは、国家公務員法(違反)になる可能性がある と述べた。 再調査が開始された局面でこのような発言を行ったことに対して、「内部告発の犯人探し」「恫喝」など批判が集中した。しかし、その後も、義家氏は、「国家公務員には公務員の法律と手続きがある」などと述べ、菅義偉官房長官も、「一般論としての法律の解釈を説明したものだ」などと擁護した。 しかし、誰がどう考えても、文科省副大臣として、義家氏の発言が正しいとは思えない。 義家発言は、どこがどう誤っているのか。   義家発言の誤り 義家発言は、少なくとも、法的な側面から見ると、大きく間違ってはいない。公益通報者保護法という「法令」によって保護される「公益通報の対象事実」は、「犯罪行為の事実」「法律の規定に基づく処分に違反する事実」等に限られている。そして、現在の文部科学省の公益通報制度において、通報の内容は「特定の法律違反行為」に限定されており、そういう意味では、保護される内部通報の範囲は、義家氏が述べたとおりである。 しかし、そこには、重要な視点が欠落している。 いまや、世の中では当然の認識になっている“コンプライアンス”は、決して「法令遵守」にとどまるものではないということが、全く理解されていないということだ。 多くの企業では、内部通報の対象を「法令違反」に限定することはせず、組織の活動に関する不公正・不当な行為について、広く「コンプライアンス上の問題」ととらえて対応するのが当然のこととなっている。単なる法令遵守の観点だけからではなく、「本当に社会の要請、国民の要求に応えられるものかどうか」という観点から、組織の活動をチェックし、問題があれば是正していく取り組みをしていかなければならないのは、官公庁においても同様であり、むしろ、民間企業よりも高いレベルが求められているといえる。 最近の事例を挙げれば、「南スーダンPKO派遣部隊の日報問題」で、いったんは廃棄したとされていたものの、過去の全ての日報が保管されていたことが分かり、防衛省が「隠ぺい」と批判されたことは記憶に新しい。意図的な「隠ぺい」だったとすると、社会的には到底許容されない重大な問題だが、具体的に法令に違反するわけではない。 私は、2009年に、総務省顧問・コンプライアンス室長に就任した際、それまで総務省にあった「法令等遵守室」を「コンプライアンス室」に改め、法令違反のみならず、広く総務省のコンプライアンスに関する情報提供・申告を受け付ける「コンプライアンス窓口」を設置した。そして、「総務省の行政が“社会の要請にこたえる”という意味で問題があると考えられる場合には、積極的に申告・通報を行ってほしい」という呼びかけをした。 この呼びかけに応じて様々な情報がもたらされた。その中で、「補助金の予算執行が不適切だ」という指摘があり、調査したところ、当初交付決定されていた約4億6000万円の補助金のうち、約2億5000万円が不適切であったことが明らかになり、減額措置をとった。内部通報によって具体的な問題を把握し、コンプライアンス室を中心に調査を行った結果だった。これも、補助金交付決定が「違法」だったわけではない。交付の手続やチェックが不十分で、税金が不当に使われそうになっていたという問題だった。 この調査結果については、2011年5月、当時の片山総務大臣が、閣僚懇談会で報告し、他の省庁においても第三者を活用したコンプライアンスの仕組みを整備する必要性が指摘された。そして、私は、同年5月30日の参議院決算行政監視委員会に参考人として出席し、コンプライアンスを「法令遵守」ではなく、広く「社会の要請に応えること」ととらえる必要性を強調し、総務省のコンプライアンス室の取組みを他の中央官庁にも広げていく必要性を強調した(【参議院決算行政監視委員会会議録】) ところが、それから、6年経った今でも、文科省という官庁では、未だに、通報対象が「法令違反」に限られ、しかも、「通報時に具体的にどのような法令違反に該当するのか明らかにしないと、内部通報として扱ってもらえない」というのである。 組織が、本当の意味で社会の要請に応え、健全な活動を行っていくためには、法令違反に限らず、様々な問題について、幅広く組織内から声を挙げてもらうこと、そのために、内部通報窓口を積極的に活用することを呼びかけるという姿勢が不可欠だ。 文科省において、「総理のご意向」などと書かれた文書の存在を確認するための調査を行いながら、「あるものをなかったことにした」のは、法令違反とまではいかないかもしれないが、少なくとも、調査の目的を無にしてしまう「隠ぺい」であり、「社会の要請に反する重大な不祥事」である。それを是正しようとする文科省職員の告発の動きは、正当な内部告発と評価できるものだ。 ところが、義家氏は、「化石のような通報制度」を盾にとり、「守秘義務違反による懲戒処分」を振りかざして、内部告発の動きを封じ込めようとしたのである。それが、教育行政を主導する文科副大臣の発言なのである。 義家氏は、「ヤンキー先生」出身の異色の政治家として知られている。もし、教師時代の教え子が、公務員になって、「役所内で、法令には反しないが、社会的には許されないことが行われています」と言って相談に来た時、「法令違反に該当しないと内部通報として扱われないので、黙っておきなさい」と助言するのであろうか。 そのような人物に、文科省の副大臣の職責を果たす資格があるだろうか。   官房長官の「怪文書」発言 「総理のご意向」の文書を「怪文書」と言って切り捨て、文科省内からの告発証言が相次ぎ、再調査を求める声が上がっても、「我が国は法治国家だから法令に基づいて適切に対応している」と言い続けて再調査を拒否し続けてきた菅官房長官の姿勢も、「悪しき法令遵守」の典型である。 驚くべきことに、菅氏は、今回の調査で文書が文科省内で存在していたことが明らかになった後も、その「怪文書」という発言を撤回することもなく、謝罪もせず、 「怪文書」という言葉が独り歩きしたことが「残念」 と言って開き直っている。 「怪文書」という言葉が独り歩きしていることが「残念」だと思っていたのであれば、再調査を拒否している間に、せめて再調査の結果が出る前に、なぜそう言わなかったのか。 菅氏は、一旦自分が言い始めたことを撤回するようなことは絶対にせず、開き直るためには、どんなに苦しい言い逃れをすることも厭わない人物であることがわかったのである。 義家氏のような人物が文科副大臣の職にあること、そして、菅氏のような人物が内閣の要である官房長官の職にあることこそが、我々国民にとって「残念」なことである。    

Continue reading
「あったものをなかったことにした」前回調査での“隠ぺい”解明を

「あったものをなかったことにした」前回調査での“隠ぺい”解明を

加計学園問題について「官邸の最高レベルが言っている」との文書の存在について、前川前次官が記者会見で「あったものをなかったことにできない」と述べたのに続いて、文科省内部者からの告発・証言が相次ぐ中、菅義偉官房長官は、6月8日の記者会見で、「出所や、入手経路が明らかにされない文書については、その存否や内容などの確認の調査を行う必要ないと判断した」との答えを、壊れたレコードプレーヤーのように繰り返す醜態をさらした。 その翌日午前、松野博一文科大臣が記者会見を開き、「文書の存在は確認できなかった」としていた文科省の調査について、再調査を行う方針が明らかにされた。 この文書によって問題とされたのは、安倍首相の「腹心の友」である加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園が、国家戦略特区の指定によって、今治市での獣医学部の新設を認可されたことについて、安倍首相の意向・指示の有無、それに関して官邸や内閣府から文科省への発言が有ったか否かであり、それらを含めて真相解明すべきとの意見(渡辺輝人氏【【加計学園問題】安倍首相の「再調査を指示するフリ」】など)は、全く正論である。 しかし、今、そのような正論を掲げて、文科省に広範囲の調査をするよう求めることは果たして得策と言えるであろうか。文科省の背後に、今回の加計学園の問題に対して不誠実極まりない対応を続けてきた首相及び首相官邸の存在があることを考えると、加計学園問題の本質に迫る調査を求めることは、かえって、真相解明を遅らせることになる可能性が高い。   再調査で加計学園問題の真相を全面的に解明できるか 今回の再調査で真相解明を迫った結果、仮に、内閣府から文科省に対して「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向」などの圧力があり、そして、それが実際に安倍首相の指示ないし意向に基づくものであることが明らかになれば、それは「安倍政権の致命傷」になる。調査の結果そのような事実が明らかにならないように、再び文科省に対して、「強烈な力」が働くことは容易に想像できる。 問題の文書の存在が確認され、仮に、その文書の作成者が特定されたとしても、その「作成者」には、とりわけ「強い圧力」が働くことになるだろう。「内閣府側の発言を直接確認したわけではない」「省内報告書作成の際に『内閣府側の圧力』を誇張する表現を使った」などという話になる可能性が高い。 しかも、調査の範囲が、文科省内で加計学園の獣医学部設置認可に関わった担当部局及びその報告を受けて意思決定をした幹部全員に及び、しかも、そこで内閣府側からどのような働きかけがあったか、そこで「官邸の最高レベル」という話が出たのか否かという「極めて微妙な問題」について、証拠を収集し、事実認定を行うことになると、相当長い期間を要することになる。 そのような困難を乗り越えて、真相を解明するのは、いきなり「エベレスト登頂」をめざすに等しい。 そういう意味では、今回の調査でいきなり「加計学園問題の本質」に迫ろうとするのは、調査する側に、口実と時間を与えるだけになる可能性が高く、この問題について、国会で追及して真相を解明する上で得策とは思えない。   まずは前回調査での「隠ぺい」の解明を 今回の再調査に当たって、まず問題とすべきは、前川前次官が「確かに存在する」と述べた文書について、前回調査で「確認できない」という調査結果が出されたこと自体である。 それは、文科省という「組織」における「文書の存在の隠ぺい」という「不祥事」である。 そこで、当面の調査対象は、「あるものをないことにした」前回調査での「隠ぺい」に絞り、それを以下のような手順で速やかに行うよう求めるべきである。 ① 問題の文書の存在を確定すること 文科省に、弁護士などの外部者による「通報窓口」を設置して、通報の対象を、法令違反だけでなく今回の件を含めた内容とする必要がある。前回調査で文科省が、文書が存在するのに「存在しない」との調査結果を公表したことについて、これまで多数の現職職員がマスコミ等への内部告発を行っているようだ。この点について、匿名の内部通報が窓口に行われ、情報が提供されれば、文書の存在を確認することも容易になる。 ② 前回調査の対象・方法の決定及び文書の「隠ぺい」の経緯の解明 文書の存在が確認されれば、前回調査が文書の存在の「隠ぺい」であった疑いが一層濃厚となる。そこで、次に必要なことは、容易に存在を確認できる文書について、「確認できない」という調査結果が出されたことについての事実解明と原因究明だ。 前回調査では、「(ヒアリングが)獣医学部設置に関係する高等教育局長や大臣官房審議官、専門教育課長ら7人に対して行われた。民進党が国会で示し、同省に提供した文書8枚に加え、具体的な日付や内閣府、文科省の職員の実名が入った文書を報じた朝日新聞の記事を提示したうえで、19日に1人当たり約10~30分程度聞き取りをした。電子データについては、専門教育課の共有フォルダーだけを調べた」とされている(5月20付毎日新聞記事)。 前回調査の問題点として、関係者のヒアリングがある。 ヒアリング対象者が7人に限定されたということだが、まず、7名とはいえ、対象職員が適切に選定されたのであれば、その7人が文書の存在を知らなかったはずはない。再調査で彼らから再度ヒアリングをすることが絶対に不可欠であり、その際、彼らが真実を供述できるよう、ヒアリングに当たって「真実を供述することで不利益を受けることはない」ことの確約が必要である。それによって彼らが「実は、文書の存在は知っていました」と供述することも期待できる。 その供述が得られた場合、なぜ前回調査で、「知っていること」を「知らない」と供述することになったのか、その理由を問い質すことになる。実際には、彼らは「文書の存在」を供述しているのに、ヒアリングする側が聞かなかったことにした可能性、あるいは供述に反して文書はなかったことにした可能性、つまり、調査で露骨な隠ぺいが行われた可能性もある。 また、PC調査の共有フォルダ―への限定も、前回調査の問題の一つである。 真相を解明しようとすれば、少なくとも加計学園の獣医学部の設置認可の問題に関わっていた個人のパソコンを調査するのは当然だったはずである。今回、文書の存在が確認されれば、個人のパソコンの調査を行わなかったことは、実質的には「隠ぺい」になる。個人のパソコンの調査がなぜ行われなかったのか、それを、誰がどのように決定したのかを解明することが不可欠となる。 今回の再調査は、当面、①②の点を調査事項とすれば十分であり、それを速やかに行うべきである。第三者による通報窓口をただちに設置し、全職員に2日程度の期限で匿名通報を呼びかければ相当数の通報が行われるはずであり、ヒアリングも、前回調査に関与していなかった者による調査組織によって行えば、事実を明らかにすることに、さほどの時間はかからないはずで、国会会期中に終えることは十分に可能である。 これらの調査は、第三者による中立かつ独立の立場からの調査が望ましいことは確かだ。しかし、東芝の会計不正での第三者委員会がまさにそうであったように(【偽りの「第三者委員会」で原発事業の問題を隠蔽した弁護士と東芝執行部】)、第三者委員会も、委員長・委員の人選によっては、設置者の意向にしたがい、コントロールされてしまう可能性が十分にある。しかも、第三者委員会は、一旦、設置されると、それ以降、設置者の側では「第三者委員会の調査中であり、一切コメントできない。」との対応が許されることになるので、問題を先送りした上で、曖昧な形で決着させられる可能性もある。 そういう意味では、文科省の内部調査を、調査の担当者・実施方法・調査の状況等を、逐次公表させつつ行わせるのが、「隠ぺい」の早期解明のためには現実的だと言える。 前記①②の調査であれば調査の内容は極めて単純であり、国会での質問や、マスコミの追及で、「文書の存在は確認できたか」「前回調査の時点での調査対象者は、文書の存在を認識していたのか」と質問されれば、答えざるを得ないはずである。   「隠ぺい」の背景の解明は国会で 前回調査での「隠ぺい」が明らかになれば、文科省が、自発的にそのような「隠ぺい」を行うとは考えられないのであるから、その背景に、内閣府や首相官邸からの指示、或いは、そうせざるを得ない「圧力」がかかった疑いが濃厚となる。 文科省だけではなく、内閣府や首相官邸も関わった組織的な「隠ぺい」である可能性が高くなるが、それを、文科省の内部調査で真相を明らかにすることが困難なのは言うまでもない。それから先の調査は、国会が、国政調査権に基づいて行うべきであり、当然、「隠ぺい」が疑われる文科省、内閣府・官邸の関係者の証人喚問も必要となる。   拙劣かつ不誠実な危機対応を繰り返す官邸を信頼できるか 今回の加計学園の問題では、安倍首相の「腹心の友」である加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園の今治市での獣医学部新設が、安倍首相がトップを務める内閣府所管の国家戦略特区の指定を受けて実現したことについて、安倍首相の意向・指示があったのか否かという点と、その獣医学部新設が、50年以上獣医学部の新設が行われて来なかったという「岩盤規制」の打破として正当なものなのか否かという点の二つが問題にされてきた。 それらの点に何の問題もない、というのであれば、安倍首相も菅官房長官も、その問題に真摯に向き合い、しっかり説明することが重要であった。 ところが、この問題に対する政府・官邸の対応はあまりに不誠実かつ拙劣だった。森友学園をめぐる問題に関しても、自民党や官邸の危機対応の拙劣さを指摘してきたが(【籠池氏問題に見る”あまりに拙劣な危機対応”】など)、それを反省しようとしなかった政府・官邸は、加計学園問題でも、拙劣で不誠実な危機対応を続け、一層窮地に追い込まれている。 安倍首相は、国会で、野党の質問に「印象操作はやめてください」「野次がうるさくて答弁できない」などと述べて、質問をはぐらかし(【加計学園問題の原点:安倍首相の3月13日の参院予算委での答弁を分析する】)、菅官房長官は、朝日新聞が文科省内で作成されたとして報じた文書を「怪文書」だと断じたり、「出所が明らかではない文書については調査しない」と言ったり、文書が存在するとした前川前次官の個人攻撃を行ったりして、問題をはぐらかしてきた。 そのような拙劣な危機対応を繰り返した末に、とうとう、文書の存在が確認できないとした文科省の調査の「再調査」という事態に追い込まれたのである。 そこには、「安倍一強」と言われる権力の集中の下での「権力者の傲り高ぶり」がある、と多くの国民が思っている。 我々国民の最大の関心事は、森友学園問題についても加計学園問題についても、このような拙劣かつ不誠実な対応を行う首相や官邸を信頼してよいか、ということである。 国家として重大な事態が発生した時にも、政府・官邸側が「不都合な事実」だと思う事柄が存在することはあり得る。その場合にも、それをしっかり国民に明らかにした上で、その後の対応をとっていかなければならない。 しかし、森友学園問題、加計学園問題でとった首相や官邸の対応からは、「不都合な事実」に正面から向き合い、国民にしっかり説明して誠実に対応しようとする姿勢は全く見えない。 今回、安倍首相が松野文科大臣に「徹底調査」を指示し、文科省での再調査を行うことになったという。そうである以上、首相自身が、前回調査における「隠ぺい」の重大な疑惑に向き合わなければならない。 それについて真実を覆い隠すことは、もはや許されないのである。

Continue reading
山口寿一社長は、読売新聞を救うことができるか

山口寿一社長は、読売新聞を救うことができるか

前川前文科省事務次官の「出会い系バー」への出入りを大きく報じた読売記事を、私が徹底批判した【読売新聞は死んだに等しい】は、予想を大きく上回る反響を呼び、ネットの世界を中心とする不買運動も拡がるなど、読売新聞に対する批判は高まっている。 加計学園問題について、国家戦略特区を担当する内閣府職員から文科省職員が「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だ」などと伝えられた内容の文書について、前川氏が、同記事の3日後の記者会見で「確かに存在した」と述べただけではなく、文科省内からも、「存在した」との話が相次ぎ、結局、文科省も文書の存在について再調査をせざるを得ない状況に追い込まれた。加計学園問題は、今後、一層重大な事態を迎えることが必至の状況になってきた。前川氏の証言も文科省内部の声も無視し続けている読売新聞の報道のいびつさは一層顕著になっている。 読売新聞社及び読売グループは、まさに極めて深刻かつ重大な事態に直面している。 上記ブログ記事でも述べたように、今回の前川氏に関する記事の問題は、言論報道機関としての新聞社の「不祥事」である。組織として、それを正面から受け止め、信頼を回復するために最大限の取組みをしなければならない。 そのような事態において最も重要なのが、組織のトップの対応であることは言うまでもない。昨年6月に、読売新聞グループ本社社長に就任した山口寿一氏が、今回の問題にどう対応するのか、そこに、読売新聞の組織の命運がかかっている。 実は、その山口氏が検察や裁判所を取材する「司法記者」だった時代、現職検事だった私とは深い付き合いがあった。山口氏は、事件の分析・評価、取材・記事化など、あらゆる面で優れた能力の持ち主で、なおかつ、人間として極めて信頼できる人物だった。私にとって、当時の山口氏は、腹を割って話をすることができる大事な存在であった。 山口氏と私との付き合いは、90年代初頭、私が検察庁から公正取引委員会事務局に出向したころに遡る。出向前に関わった捜査で、「ストーリーありきの調書中心主義捜査」「不当・違法な取調べ」の現実を知り、特捜検察に深く失望していた私と山口氏の問題意識はほとんど一致していた。しばしば飲食を共にし、検察や公取委・独禁法の問題などについて、意見を交わした。 その後、公取委から東京地検特捜部に戻った私は、まもなく始まったゼネコン汚職事件の捜査体制に組み込まれた。「特捜の暴走」に加担させられることに苦悩していた私にとって、唯一の理解者だったのが、当時社会部の遊軍記者だった山口氏だ。彼自身、検察側だけではなく、検察の暴走捜査に押しつぶされそうな捜査対象者に対して、独自の取材を試みたりしていた。事件の真相に迫り、不当な捜査を止めたいという思いを共有していたと思っている(このゼネコン汚職事件をモデルに、特捜の暴走と司法マスコミとの癒着を描いた推理小説(【司法記者】講談社文庫:2013年、ペンネーム由良秀之)には、検察の「組織の論理」に反発し独自の行動をとる若き検事と、その検事に水面下で協力し連絡を取り合いつつ、独自の取材を行う記者が登場するが、その記者のモデルとなったのが山口氏である。)。 その後、私は、一旦は検事辞職を申し出たが、当時の人事課長等に慰留されて検察の世界に残り、その後、広島地検特別刑事部、長崎地検等で、独自の手法による検察捜査に取り組んだ(【検察の正義】(ちくま新書:2010年))。山口氏とは、その間も、折に触れて、連絡を取り合っていた。 そのような電話でのエピソードの一つに、「特捜部50周年キャンペーン」がある。司法クラブの各社が、露骨な「東京地検特捜部賛美記事」の特集を組むことを最高検検事から半ば強要されていることに不満を抱いていると聞いたことは、著書でも紹介している(【検察が危ない】(ベスト新書:2010年)p.119)。 このような話をしてくれたのが、当時、読売の司法クラブキャップだった山口氏だ。司法記者としての彼が、権力に利用されることに対する抵抗感という、極めて真っ当な感覚を持ち合わせていたことを示している。 捜査の重要な局面で、彼が、わざわざ東京から来てくれて、私の話し相手になってくれることもあった。 広島地検特別刑事部長の時代、広島県が設定していた海砂採取の期限延長を画策した採取業者と県議会議長・議員との癒着を追及した事件の際、広島に来てくれた山口氏とは、捜査の方向性や、瀬戸内海での海砂採取の環境問題としての重要性などについていろいろ議論をした。この事件は、政治資金規正法違反事件の検察捜査から海上保安部との共同捜査による砂利採取法違反事件に展開し、県内の全業者が摘発されたために、県は、期限を延長することなく採取を全面禁止にした。閉鎖水域での海砂採取禁止は、その後、瀬戸内海に面する他県にも波及していった。 長崎地検次席検事の時代、公共工事利権を背景とする、自民党の地方組織の集金構造の解明に向けて取り組んだ自民党長崎県連事件では、「検察の組織の壁」に何回も阻まれた(前掲【検察の正義】最終章「長崎の奇跡」)。検察裏金問題の関係で自民党政権に借りができたのか、最高検・法務省からの捜査への圧力は強烈だった。その最も重要な局面でも、山口氏は、長崎まで来てくれたことがあった。次席官舎で深夜まで飲み明かし、最高検・法務省の壁を打ち破ることに関して多くの助言をしてくれた。山口氏は、その後、配下の記者を長崎に出張させ、読売本社社会部としての取材・報道も試みてくれた。 このように、検事時代の私が自分なりのやり方で現場の検察捜査に取り組み、苦悩していた時、いつも力になってくれたのが山口氏だった。検察について、彼と話したこと、議論したことは、私にとって大きな糧となっている。 そういう山口氏とは、私が検察の現場を離れ、コンプライアンスを専門とする大学教授・弁護士の活動を始めて以降も、親しく付き合っていた。報道の現場を離れ、法務部長等の立場で新聞社の経営問題に関わるようになっていた山口氏は、私が桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター長を務めていた2005年、各業界の主要企業のコンプライアンス責任者をメンバーとする研究会を立ち上げた際に、読売新聞の法務部長として研究会に参加してくれた。当時は、独禁法等に関する読売新聞の法務的な重要課題について、私に相談をしてくることも多かった。もちろん、私も、彼からの相談に対しては、可能な限りの助言をした。 しかし、私が東京地検特捜部の陸山会事件の捜査に対してメディアを通じて検察を厳しく批判するようになった2009年頃から、山口氏は、私とは全く連絡をとらなくなった。長く続いていた年賀状のやり取りも途絶えた。 その後、一度だけ、私の方から、山口氏の携帯電話に連絡をとろうとしたことがある。当時読売新聞社専務であった山口氏をめぐる問題が週刊文春で取り上げられた際だった。(2014年2月6日号「仰天スクープ ナベツネも知らない読売新聞の『特定秘密』」「”御庭番”山口専務が謎の女性に入れ揚げ 会社を私物化」)そこで書かれていることが、私の認識する山口氏とはあまりにもかけ離れたものだったので、その真偽を確認したかったのと、もし、それが事実であれば、一言助言・忠告をしたいと思ったからだった。しかし、留守番電話にメッセージを入れても、秘書を通じて伝言を頼んでも、山口氏からの連絡はなかった。 少なくとも、私が知る司法記者時代の山口氏は、今回の前川氏に関する記事を書いたり、関わったりすることの対極にある記者だった。しかし、今回の前川氏に関する記事について、読売社内では、「山口社長が社会面に書くよう命令した」と言われているとも報じられている(【政権「忖度メディア」の現場記者に今何が起きているのか!?】週刊プレイボーイ6月17日号)。 類まれな傑出した司法記者だった山口氏が、今回の前川氏に関する記事に主体的に関わるような人物になったのだとすれば、彼がグループ社長になるまでの間に大きな変節があったことになる。その背景には、読売新聞という組織の病理があるのであろう。それがいかなるものなのか、山口氏自身が最も良く知っているはずだ。 山口氏には、今一度、司法記者時代の「原点」に立ち返ってもらいたい。そして、グループの総帥としての統率力を発揮して、新聞社の組織を歪めてきた病理を正してもらいたい。 それ以外に、読売新聞を救い、言論報道機関として再生させる手立てはない。        

Continue reading
読売新聞は死んだに等しい

読売新聞は死んだに等しい

巨大新聞による新聞史上最悪の不祥事 読売新聞は、1874年創刊で、140年の歴史を有する日本最大の新聞であり、世界最多の発行部数を有する。 その読売新聞が、5月22日に、「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題し、前川喜平前文部科学省事務次官(以下、「前川氏」)が、新宿の「出会い系バー」に頻繁に出入りし、代金交渉までして売春の客となっていたかのように報じる記事を大々的に報じた(以下、「読売記事」)ことに対して、各方面から激しい批判が行われている。 読売記事は、5月25日、前川氏が、記者会見を開き、加計学園の獣医学部の新設の認可に関して、「総理のご意向」などと記された記録文書が「確実に存在している。」「公平公正であるべき行政のあり方がゆがめられた。」などと発言する3日前に出されたものだった。 前川氏は、記者会見で、出会い系バーへの出入りについて質問され、出入りを認めた上で「女性の貧困問題の調査のためだった。」と説明したが、菅義偉官房長官は、その翌日の5月26日の定例会見で、前川氏の記者会見での発言に関して、加計学園の獣医学部新設について、「首相の意向」「行政が歪められたこと」を強く否定した上、記者の質問に答えて、 女性の貧困問題の調査のために、いわゆる出会い系バーに出入りし、かつ、女性に小遣いまで与えたということだが、そこはさすがに強い違和感を覚えたし、多くの方もそうではないか。常識的に言って、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りし小遣いを渡すことは到底考えられない。 などと発言した。 読売記事と官房長官発言を受けて、前川氏に対しては、教育行政のトップでありながら、出会い系バーに出入りし、援助交際の相手になっていたことへの批判が高まり、加計学園問題に関する前川氏の記者会見での発言の影響力を大きく減殺する効果を生じさせた。 一方、会見当日の5月25日発売号で、前川氏の独占インタビューを掲載し、同氏が記者会見で発言する内容を事前に詳細に報じていた「週刊文春」は、翌週の6月1日発売号で、「出会い系バー相手女性」と題する記事を掲載した(以下、「文春記事」)。 それによると、前川氏が出会い系バーや店外で頻繁に会っていた女性は、生活や就職の相談に乗ってもらっていたと述べ、「私は前川さんに救われた。」と話しているとのことである。読売新聞の記事で書かれているのとは真反対に、前川氏は、出会い系バーに出入りする悩みを抱えた女性達の「足長おじさん」的な存在だったもので、売春や援助交際などは全くなかったとのことだ。しかも、この女性は、前川氏の出会い系バーへの出入りのことが批判されているテレビを見て「これは前川さん、かわいそうすぎるな」と思い父と話した上で前川氏のことを話すことにしたとのことである。文春記事の内容が事実であれば、出会い系バーへの出入りの目的等についての前川氏の説明の真実性が裏付けられたことになる。 読売記事の掲載は、動機・目的が、時の政権を擁護する政治的目的としか考えられないこと、記事の内容が客観的事実に反していること、そのような不当な内容の記事の掲載が組織的に決定されたと考えられること、という3点から、過去に例のない「新聞史上最悪の不祥事」と言わざるを得ない。   読売記事によって生じる「印象」と「事実認識」 読売新聞インターネット・サイトの「読売新聞プレミアム」に掲載されていた読売記事は既に削除されているが、改めて、全文を引用する(下線と(ア)~(キ)は筆者)。   文部科学省による再就職あっせん問題で引責辞任した同省の前川喜平・前次官(62)が在職中、売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに、頻繁に出入りしていたことが関係者への取材でわかった。 教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ(ア)。 関係者によると、同店では男性客が数千円の料金を払って入店。気に入った女性がいれば、店員を通じて声をかけ、同席する。 女性らは、「割り切り」と称して、売春や援助交際を男性客に持ちかけることが多い。報酬が折り合えば店を出て、ホテルやレンタルルームに向かうこともある(イ)。店は直接、こうした交渉には関与しないとされる(ウ)。 複数の店の関係者によると、前川前次官は、文部科学審議官だった約2年前からこの店に通っていた。平日の午後9時頃にスーツ姿で来店することが多く、店では偽名を使っていた(エ)という。同席した女性と交渉し、連れ立って店外に出たこともあった。店に出入りする女性の一人は「しょっちゅう来ていた時期もあった。値段の交渉をしていた女の子もいるし、私も誘われたことがある」と証言した(オ)。 昨年6月に次官に就いた後も来店していたといい、店の関係者は「2~3年前から週に1回は店に来る常連だったが、昨年末頃から急に来なくなった」と話している。 読売新聞は前川前次官に取材を申し込んだが、取材には応じなかった。 「出会い系バー」や「出会い系喫茶」は売春の温床とも指摘されるが、女性と店の間の雇用関係が不明確なため、摘発は難しいとされる(カ)。売春の客になる行為は売春防止法で禁じられているが、罰則はない(キ)。 前川前次官は1979年、東大法学部を卒業後、旧文部省に入省。小中学校や高校を所管する初等中等教育局長、文部科学審議官などを経て、昨年6月、次官に就任したが、天下りのあっせん問題で1月に引責辞任した。   この記事を読んだ多くの人が、「前川氏は、出会い系バーに頻繁に出入りし、値段の交渉をした上で女性を連れ出して売春や援助交際の相手になっていた」と思い、前川氏が「女性の貧困の調査の一環」と説明していることに対して、「見え透いた弁解で、そのような嘘をつく人間の話はすべて信用できない。」と感じたはずだ。 読売記事では、前川氏の「出会い系バー」への出入りに対する「不適切な行動に対し、批判が上がる」という否定的評価(ア)が、その後の記述で根拠づけられるという構成になっているが、記事の中で、前川氏の行為そのものを報じているのは (エ)と(オ)だけであり、それ以外は、出会い系バーの実態等に関する一般論だ。 前川氏は、読売新聞の取材に対してコメントしていないが、(エ)の出会い系バーに頻繁に出入りしていた事実は、否定する余地のない客観的事実であり、問題は、それがどう評価されるかであった。 この点について、「読売記事」は、「出会い系バー」について、売春、援助交際の場となっているが、その交渉に店側は直接関与しないという一般的な実態(イ) (ウ)や、売春を目的とするもので、実質的には違法なのに摘発を免れている理由(カ)、売春の客となることの違法性などの法的評価 (キ)を書いている。それによって、「出会い系バー」の営業実態は「管理売春」であり、摘発は難しいが実質的には違法であり、そこへの男性の出入りは、一般的に売春、援助交際が目的だということを前提にして、前川氏がそのような出会い系バーに出入りしていたという客観的事実から、「売春、援助交際が目的」と“推認”させようとしている。 一方、(オ)の記述は、独自の「関係者証言」によって前川氏の出会い系バーでの行動という“直接事実”を述べたものであり、まさに記事の核心部分と言える。 ここでは、「複数の店の関係者」の証言に基づき、前川氏が「同席した女性と交渉し、連れ立って店外に出たこともあった」とされ、さらに、「店に出入りする女性の一人」の証言として、「値段の交渉をしていた女の子もいる」「私も誘われたことがある」と記載されている。 読売記事は、上記のように、“推認”と“直接事実”の両面から、前川氏の出会い系バーへの出入りが売春、援助交際を目的としていることが二重に裏付けられ、それが「不適切な行動に対し、批判が上がる」という批判的評価(ア)の根拠とされるという構成になっている。   出会い系バーへの出入りだけでは、売春、援助交際の“推認”は働かない しかし、文春記事をはじめとするその後の報道で、読売記事の“推認”と“直接事実”は、いずれも事実に反することがほぼ明白になっている。そして、そのことを、記事掲載の段階で読売新聞側が知り得なかったのか、知った上で意図的に、誤った内容を報じたのかが問題となる。 まず、上記の“推認”に関しては、調査のために全国の出会い系喫茶・バーを取材した評論家の荻上チキ氏の以下のような指摘がある。 【前川前文科次官「出会い系バーで貧困調査」報道に必要なのは、事実の検証であり人格評価ではない/『彼女たちの売春』著者・荻上チキさんに聞く】 で、萩上氏は、   出会い系バーは、業者が女性を囲って行われる「管理売春」ではありません。ですので、行っても交渉決裂になることもありますし、めぼしいマッチングに恵まれずただ帰ることもあります。店に行った=買売春した、とはなりません。「バー通い」だけだと、どの行為なのかを外形的に判断はできないですね。   と述べている。「出会い系バー」を「管理売春」営業のように決めつける上記(カ)の記述は事実と異なるのである。 また、萩上氏によると、出会い系バーが、多くの女性や男性が、性サービスを対価とした交渉を目的としてやってくる場所であることは間違いないが、売春をせず、ご飯に行ったりお茶をしたり、カラオケに行く、連れ出しが目当てで来る人もいるし、大学生の集団とか、会社員の集団とかで、「エピソードを聞きたい」「実態を知りたい」と調査や取材に来る人もいるとのことである。そもそも、出会い系は、「小遣い」を渡さないと外出できず、話を聞くためだけに店を出ていけないシステムになっており、「教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りして、小遣いを渡すようなことは到底考えられない」との菅官房長官の指摘も「正しくない」としている。 また、前川氏の「女性の貧困の調査のために出会い系バーに行った」との説明について、萩上氏が、そういった調査をやっている萩上氏は、 別にありえないとは思いませんでした。菅官房長官が「1回、2回で」とか「小遣い渡して」と批判するけれども、仮に調査だったらそんなことはざらにあります。前川氏を否定するあまり、誤った知識を拡散したりするのは違うなと。 と述べている。 前川氏が頻繁に出会い系バーに出入りしていたことだけでは、売春、援助交際に関わっていたかのような“推認”は働かない。このようなことは、読売新聞の日頃からの取材で、十分に認識し得た事実のはずなのに、なぜ、そのような事実に反する“推認”を持ち出したのかが問題だ。   前川氏が「値段の交渉」を行ったとの「関係者証言」 読売記事で書かれている“直接事実”、 前川氏の行動に関する(オ)の記述(値段の交渉をしていた女の子もいる。私も誘われたことがある)に関して重要なことは、その直前の(イ)(ウ)で、「一般的に女性の側から売春、援助交際を持ち掛け、店は直接、こうした『交渉』には関与しない」とされ、そこでの「交渉」というのが、明らかに「売春、援助交際の価格交渉」の意味で使われているので、(オ)の「交渉」「値段の交渉」も、同様に「売春等の交渉」を指していると解されることだ。 ところが、文春記事によれば、前川氏と3年間で3、40回会った「A子さん」だけでなく、「A子さんから前川氏を紹介された女性」、「前川氏とA子さんが通っていたダーツバーの当時の店員」も、前川氏と女性達との間に売春、援助交際など全くなく、生活や就職等の相談に乗り、小遣いを渡していただけであったことを証言している。 しかも、前川氏が出入りしていた出会い系バー周辺者を取材して報じているのは、週刊文春だけではない。週刊FLASH6月13日号の記事でも、前川氏と「店外交際」した複数の女性を取材し、「お小遣いを渡されただけで、大人のおつき合いはなし」との証言が書かれている。同記事は、前川氏の独占インタビューを掲載し、その証言価値を維持しようとする動機がある週刊文春とは異なり、何の利害関係もない光文社が発行する週刊誌の記事である。 […]

Continue reading
獣医学部新設は本当に必要なのか ~「法科大学院の失敗」を繰り返すな

獣医学部新設は本当に必要なのか ~「法科大学院の失敗」を繰り返すな

学校法人加計学園が運営する大学の獣医学部を今治市に設置する認可をめぐる問題は、2つの点に整理できる。 第1に、獣医学部の新設を認めた文科省の行政判断が正しかったのかという点、第2に、その文科省の行政判断に対して、内閣府・官邸側からの「不当な圧力」が加わったのではないか(或いは、「首相側の意向の忖度」が働いたのではないか)という点だ。 第1の点に関して問題がなかったのであれば、第2の点は、さほど重要な問題ではない。50年以上にわたって獣医学部の新設が認められて来なかったことに問題があったということであり、獣医師の業界の既得権益を保護する岩盤規制の撤廃のためには、ある程度の圧力がかかったり、忖度が働いたりすることも、むしろ望ましいということになる。 しかし、逆に、獣医学部の新設の設置認可の判断に問題があったということになると、なぜ、そのような問題のある判断が、所管の文科省において行われたのか、という点が問題となる。それが、官邸側の「不当な圧力」や、首相の意向の「忖度」によって行われたのだとすると、その背後には、加計学園の理事長が安倍首相の「腹心の友」であることが影響しているのではないか、ということになり、まさに行政が、首相の個人的な意向の影響で捻じ曲げられたのではないかという重大な問題に発展する。 前川氏が、記者会見で、「官邸側から文科省への圧力」の存在を窺わせる「文科省の内部文書」について「確かに存在した」と述べたことで、第2の点について関心が集中しているが、それ以上に重要なのは、今年1月まで文科省の事務部門のトップを務めていた前川氏が、獣医学部の設置認可に関する「行政が捻じ曲げられた」と明言したことである。 この点について、前川氏は、概要、以下のように述べている(産経新聞記事【前文科次官会見詳報(2)】) 今治市における新しい獣医学部の新設に向けて、新たな追加規制改革を行うかどうかは、2015年から既に検討課題にはなっていた。 「『日本再興戦略』改訂2015」という閣議決定があり、この中で、新たな獣医学部の新設を認めるかどうかを検討するにあたって、以下の4つの条件があると示した。 ①現在の提案主体による既存の獣医師養成ではない構想が具体化すること、②ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになること、③それらの需要について、既存の大学学部では対応が困難であること、④近年の獣医師の需要の動向を考慮しつつ全国的な見地から検討すること、である。 獣医師養成の大学の新設を、もし追加規制改革で認めるなら、この4つの条件に合致していることが説明されないといけないが、私は4つの条件に合致していることが実質的な根拠をもって示されているとは思えない。   前川氏は、閣議決定により、上記4条件が充足されることが、獣医学部の新設の規制緩和の条件とされたのに、それが充たされないまま認可をすることになった、ということで、「行政が捻じ曲げられた」と述べているのである。 この「4つの条件」で検討することについての閣議決定があったのは事実のようだが、問題は、加計学園の設置認可が、この「4つの条件」を充たしているのか、ということだ。 確かに、長年にわたって獣医学部の新設を認めて来なかったことは、一つの行政の規制であり「岩盤規制」と言っても良いであろう。 一般的に、「岩盤規制の撤廃」は「善」であり、それに抵抗して既得権益を守るのが「悪」であるかのように決めつける見方がある。しかし、少なくとも、専門職の資格取得を目的とする大学等の設置認可や定員の問題は、そのような単純な問題ではない。 本来、憲法が保障する「学問の自由」(23条)の観点からは、大学等の設置は、自由であるべきだ。しかし、それが、何らかの職業の国家資格の取得を直接の目的とする大学、大学院の設置となると、国家資格取得者が就く職業の需給関係等についての見通しに基づいて、大学、大学院等の設置認可の判断が行われる必要がある。その見通しを誤ると、大きな社会的損失を生じさせることになりかねない。   国家資格取得のための大学院設置認可の政策の大失敗 2004年に70を超える大学に設置され、既に35校が募集停止に追い込まれている「法科大学院」、18校設置され、そのうち6校が募集停止に追い込まれている「会計大学院」等、近年、専門職育成を目的とする大学院設置認可で、文科省は失敗を繰り返してきている。それだけに、文科省としては、獣医師の資格取得を目的とする獣医学部の大幅な定員増につながる学部設置認可に慎重になるのも、ある意味では当然だと言える。 特に、法科大学院の認可の結末は惨憺たるものだった。2013年4月の当ブログ【法曹養成改革の失敗に反省のかけらもない「御用学者」】でも述べたように、法科大学院の創設、法曹資格者の大幅増員を柱とする法曹養成制度改革は、2001年の司法制度改革審議会の提言で、「実働法曹人口5万人規模」との目標が掲げられ、「平成22年ころには新司法試験の合格者数を年間3000人とすることをめざすべき」との政府の方針に基づくものだった。 文科省は、全国で70校もの法科大学院の設置を認可したが、結果的には、それらの法科大学院に膨大な額の無駄な補助金が投じられ、巨額の財政上の負担を生じさせたばかりでなく、司法の世界をめざして法科大学院に入学した多くの若者達を、法曹資格のとれない法科大学院修了者、法曹資格をとっても就職できない司法修習修了者として路頭に迷わせるという悲惨な結果をもたらした。 このような法曹養成制度改革は、「従来の日本社会で、『2割司法』などと言われて司法の機能が限定されてきたのは、諸外国と比較して弁護士等の法曹資格者が少なすぎたからで、その数を大幅に増やしてマーケットメカニズムに委ねれば、司法の機能が一層高まり、公正な社会が実現できる」という考え方に基づき、法務省主導で行われてきた。弁護士が少なすぎて弁護士報酬が高すぎるから、多くの人が訴訟等の司法的手段を選択しないのであり、弁護士を大幅に増やせば、司法的手段を使う人が大幅に増える、という極めて単純な考え方である。法曹資格者が諸外国に比較して少ないことによって弁護士等の法曹資格者の既得権益が守られているという認識の下、「岩盤規制の撤廃」として行われたのが、法科大学院設置による法曹資格者の大幅増員の政策だった。 しかし、一つの国、社会において、司法的解決と、それ以外の解決手段とのバランスがどうなるのかは、社会の在り方や、国民・市民の考え方そのものに深く関わる問題であり、単純にマーケットメカニズムに委ねれば良いという問題ではない。 結局、法曹資格者の数は大幅に増えたが、訴訟はほとんど増えず、弁護士の需要はそれ程高まらなかった。 法務省が主導した法曹養成制度改革での「司法試験合格者3000人、法曹資格者5万人」という見通しに引きずられる形で行われた法科大学院設置認可という政策は、文科省にとっては「大失敗」に終わり、大きな禍根を残したのである。   獣医学部の新設と獣医師の需要見通し 国家戦略特区の指定によって、今治市における加計学園の獣医学部新設の認可を強く求めてきた内閣府は、文科省にとって、法曹養成改革における法務省と同様の存在だったと言える。「確かな需給見通し」に基づかないものであれば、文科省が設置認可に強く反対するのは当然だ。 では、獣医学部卒業者が国家試験に合格して取得する獣医師の需給関係の見通しはどうだったのか。これまで獣医学部がなかった四国において獣医師の需要が特に大きかったのか。 獣医師の主な職種には、牛や豚・鶏などの産業動物を対象とする診療行為やワクチン接種、伝染病防疫等を行う「産業動物臨床獣医師」・「行政獣医師」等と、犬、猫などを対象として診療行為を行なう「小動物臨床獣医師」とがあり、概ね前者が6割、後者が4割となっている。 農水省の資料【畜産・酪農に関する基本的な事項】によれば、日本における家畜等の飼養数は、概ね横ばいの鶏以外は、牛、豚ともに減少傾向にある。畜産物の自由化に伴って日本の畜産業が衰退傾向にある中では、当然と言える。 一方、【社団法人ペットフード協会の公表資料】によると、日本におけるペット飼育数は、ここ数年、犬が減少傾向、猫は概ね横ばいである(高齢化により、毎日散歩が必要な犬の飼育数が減少するのは自然のなりゆきとも言える。)。 獣医師が診療の対象とする家畜、ペットの数を見る限り、獣医師の需要が今後拡大していくことは考え難い。過去50年にわたって認められてこなかった獣医学部の新設を、今、新たに認める根拠となる需給予測を立てることは相当に困難だと言えよう。 では、従来、四国地域に獣医学部がなかったことが、同地域に獣医学部を新設しなければならない特別の事情になるのだろうか。農林水産省「平成27年農業産出額(都道府県別)」によると、平成27年の全国の畜産物産出額が3兆1,631億円であるのに対して、四国4県の産出額は、合計で1036億円であり、全国の3.3%に過ぎない。 しかも、四国というのは、独立した地域ではあるが、本四架橋が3ルートで開通して以降は、実質的に中国地方、関西地方と地続きに近く、四国地域に獣医学部が存在しないことが特に弊害を生じさせているようには思えない。 このように考えると、少なくとも獣医師の需要という面から、獣医学部の新設を根拠づけることは困難だ。既存の獣医師養成ではない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり、それらの需要について、既存の大学学部では対応が困難だという事情がある場合でなければ獣医学部の新設を認めるべきではないという、前川氏が指摘した閣議決定の「4条件」は合理的だと言える。加計学園が運営する大学の今治市での獣医学部新設は認可される余地がないように思える。 「獣医師が新たに対応すべき分野」の獣医師医療という面では、むしろ、加計学園の大学ではなく、「ライフサイエンス分野の業績」を強調した京都産業大学こそ条件を充たす可能性が高いように思える。   獣医医療の質の確保の必要性と教育人材の確保 もう一つ懸念されるのは、今回160人もの定員の獣医学部を新設して、十分な質の獣医師教育が可能な教育人材が確保できるのかということだ。一度に70校もの法科大学院設置認可を認めた際にも、教育人材の問題があった。教員が圧倒的に不足した科目があり、また、実務教育のため現役法曹を実務家教員として活用しようとしたが、教育に不慣れなこともあって十分な教育成果が上がらなかったことも、法科大学院修了者の司法試験合格率の低迷の一因となった。 加計学園での獣医師養成教育については、果たして十分な教育人材が確保できているのであろうか。獣医師の国家試験に合格できない卒業生が出たり、資格はとれても、十分な技能を有しない獣医師を生じさせたりすることはないのであろうか。 獣医師の需要が、今後全体として増加するどころか、減少する可能性もある中で、従来の獣医学部の定員合計の2割を超える新たな獣医学部が新設されることで、獣医師が過剰になり、獣医医療の質が低下することだけは避けてもらいたい。 「ペット病院での診療費が高い」との声もあるようだが、健康保険制度がないペットの診療の単価が高くなるのは当然である。ペットに愛情を注ぐ多くの人は、ペット病院の診療費が低下することより、不測の怪我、病気の際のペットに対する医療の質が維持されることの方を望んでいるのではないか。   冒頭で述べた第1の点について、今治市での加計学園の大学の獣医学部の新設を認可したこと自体、行政として合理的な判断とは到底考えられない。 国家戦略特区を所管する内閣府の官僚が、「『岩盤規制の撤廃』は、国家資格取得のための大学等の設置認可も含め、あらゆる領域において『常に善』」などという妄想に取り憑かれているとも思えないので、彼ら自身の判断で、文科省に対して無理筋の認可を迫ったということではないのであろう。やはり、第2の点に関して、安倍首相の指示やその意向の「忖度」があったと考えざるを得ない。                

Continue reading
現職検察官が国賠審の法廷に立たされる前代未聞の事態

現職検察官が国賠審の法廷に立たされる前代未聞の事態

給与の源泉徴収をめぐる問題が、徴税という国家作用のために、無理矢理「脱税事件」に仕立て上げられ、源泉徴収で納税する多くの給与所得者に対して重大な脅威を与えた八田隆氏の事件。 国税局と検察の面目、体面を保ち、両者の関係を維持するという「組織の論理」により、不当な告発、起訴、そして、一審無罪判決に対する検察官控訴、という検察官の権限の濫用は、1回結審で棄却、上告断念という検察の大惨敗に終わった。 しかし、不当な告発・起訴・控訴が、単に、裁判所の適切な判断によって失敗に終わった、ということだけで終わらせてはならないと考えた八田氏は、刑事事件で無罪を勝ち取った小松正和弁護士、喜田村洋一弁護士に、私と森炎弁護士が加わった弁護団を結成し【#検察なう(393)「国家賠償訴訟に関して(2)~代理人ドリーム・チーム結成!」】、不当な権限濫用が行われた真相を解明し、将来にわたる冤罪の防止に結びつけるための国家賠償請求訴訟の提起に踏み切った。 当ブログでも、このような国賠訴訟の意義や背景について、2014年7月の提訴の段階での【八田隆氏の対検察国賠訴訟の意義】【八田隆氏が国家賠償請求訴訟で挑む「検察への『倍返し』」】などで詳しく述べたほか、昨年4月、私が主に担当している「控訴違法」の問題をめぐる審理の展開について詳述している(【八田氏国賠訴訟、「控訴違法」で窮地に追い込まれた国・検察】)。 その八田氏の対検察国賠請求訴訟は、とうとう“国・検察にとって前代未聞の重大な事態”を迎えた。 来たる9月11日(午後2時半)に、東京地裁で、現職検察官、しかも、地検次席検事の要職も務めた中堅検事の証人尋問を行うことが決定されたのだ。 八田氏の刑事事件については、そもそも国税局が告発したことも、その告発事件を検察官が起訴したことも、全くデタラメだが、何と言っても最も明白に違法なのは、一審で無罪判決が出た後に、それを覆す見込みが全くないのに、検察が無理やり控訴したことだ。 検察官側からの控訴は、検察内部での慎重な検討を経て、控訴審で新たな証拠を請求し、採用される可能性がある場合など、一審無罪判決が覆せる十分な見通しがある場合でなければならないと考えられてきた。しかも、裁判員制度の導入に伴う控訴審のあり方の見直しに伴い、控訴審では第1審の判断を尊重すべきという観点から、平成24年2月13日の最高裁判決で「控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」とされたことによって、無罪判決に対する検察官の控訴も、さらに制約を受けることになった。 ところが、控訴違法に関する被告(国)側の主張は、「検察官は、第一審の事実認定が不合理であることを『具体的に』示すことができない場合に控訴申立てをしても、国賠法上違法ではない」とまで言い切って、無罪判決に対する検察官控訴は全く制約を受けないかのような無茶苦茶な主張を続けてきた(【八田氏国賠訴訟、「控訴違法」で窮地に追い込まれた国・検察】)。 その後、被告(国)側は、「検察は、言い渡された無罪判決の内容を十分に検討しないまま控訴を決定したのではないか」との原告の主張に対して、反論のための書面提出に長い期間を要求したり、曖昧な反論しかせずにごまかしたりするなどの不誠実な対応を続け、審理を引き延ばしていたが、5月8日の期日で、裁判所は、とうとう、一審公判の担当検察官で、控訴の検討でも中心となったはずの、現在東京地検検事の検察官の証人尋問を行うことを決定し、その後、尋問期日が9月11日に指定されたのだ。 国家賠償請求訴訟で、現職検察官が証人尋問の場に立たされるというのは前代未聞の事態だ。不当極まりない検察の控訴の決定が、検察内部でどのような経過で決定されたのか、現職検察官の証人尋問によって明らかにされることになる。完全にベールに包まれてきた検察内部の意思決定のプロセスが公開の法廷での事実審理の対象にされることになった。 国税局の告発で東京地検特捜部が起訴した事件において過去に例がない「前代未聞の無罪判決」(『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社))が出されたことが発端となって提起された八田氏国賠訴訟は、現職検察官の証人尋問という、さらなる「前代未聞の事態」を引き起こし、「検察の暴走」の真相究明に向けて最大の局面を迎える。    

Continue reading
美濃加茂市長事件、弁護団は、なぜ“再逆転無罪”を確信するのか

美濃加茂市長事件、弁護団は、なぜ“再逆転無罪”を確信するのか

全国最年少市長だった藤井浩人市長が、受託収賄等で逮捕、起訴された美濃加茂市長事件。昨年11月28日に名古屋高裁が言い渡した「逆転有罪判決」に対して、藤井市長は、即日上告していたが、5月16日、弁護団は、最高裁判所に上告趣意書を提出した。 同日午後1時から、東京地方裁判所の司法記者クラブで、主任弁護人の私と、上告審で新たに弁護団に加わった原田國男弁護士、喜田村洋一弁護士に、藤井市長も駆けつけて記者会見を行った(記者会見に参加したジャーナリストの江川紹子氏のyahooニュースの記事【「日本の司法を信じたい」~美濃加茂市長の弁護団が上告趣意書提出】)。 藤井市長は、会見で、「私が潔白であるという真実が明らかにされることを確信している」と述べたが、我々弁護団も、上告審での“再逆転無罪”を確信している。 日本の刑事裁判の「三審制」の構造 上告趣意書は全文で128頁に上る。記者会見では、説明用に抜粋版(50頁)を作成して配布した。これとほぼ同様の内容の抜粋版を、私の法律事務所のHPに掲載している(【上告趣意書抜粋版】)。 抜粋版の内容を中心に、我々弁護団が、最高裁で“再逆転無罪”を確信している根拠を挙げることとしよう。 その前に、日本の刑事裁判における「三審制」の構造と、その中で、上告審がどのように位置づけられているのかを説明しておく。 検察官の起訴を受けて、第1審(地裁)では、公訴事実について、白紙の状態から事実審理が行われる。被告人・弁護人が無罪を争う事件であれば、検察官の請求によって、公訴事実を立証するための証人尋問等の証拠調べが行われ、被告人質問で、被告人の弁解や言い分も十分に聞いた上で、第1審判決が言い渡される。判決に対して不服があるときは、つまり有罪であれば被告人・弁護人側、無罪であれば検察官側が、控訴の申立てをし、裁判は、控訴審に移ることになる。 控訴審(高裁)は、基本的には、「事後審査審」と言われ、第1審判決の事実認定や訴訟手続に誤りがあるか否かという観点から審理が行われる。特に誤りがないと判断されれば控訴は棄却され、誤りがあると判断された場合には、第1審判決が破棄され、第1審で審理のやり直しが命じられたり(差戻し)、控訴審自ら判決の言い渡し(自判)が行われたりする。このように、第1審判決の見直しに関して、必要に応じて、控訴審での事実審理が行われる。こうして出された控訴審判決に対して、不服があれば最高裁判所への上告が行われることになる。 上告審(最高裁)は、三審制の「最後の砦」であるが、上告理由は、「憲法違反、判例違反、著しく正義に反する事実誤認・法令違反」に限定されている。控訴審までに行われた事実審理や法律適用が、国の根本規範である憲法や、刑事裁判のルールと言うべき「最高裁判例」に違反した場合や、事実認定や訴訟手続に重大な誤りがあって、そのまま確定されることが「著しく正義に反する」という場合でない限り、上告審で控訴審判決が覆されることはない。 上告趣意書で主張した3点の上告理由 美濃加茂市長事件で、弁護人が上告理由として主張したのは、以下の3点である。 第1に、原判決(控訴審判決)は、「1審が無罪判決を出したとき、控訴審が、新たな証拠調べをしないまま1審判決を破棄して有罪判決を下すことができない」とする最高裁判例(昭和31年7月18日大法廷判決・刑集10巻7号1147頁)及び「第1審判決が、収賄の公訴事実について無罪を言い渡した場合に、控訴裁判所が、事件の核心をなす金員の授受自体についてなんら事実の取調を行うことなく、訴訟記録及び第1審で取り調べた証拠のみによつて犯罪事実の存在を確定し、有罪の判決をすることは違法」とする最高裁判例(昭和34年5月22日第二小法廷判決・刑集13巻5号773頁)に違反する(以下「判例違反①」)。 第2に、原判決は、「控訴審が1審判決に事実誤認があるとして破棄するためには、1審判決の事実認定が論理則・経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要」とする最高裁判例(平成24年2月13日第1小法廷判決・刑集66巻4号482頁「チョコレート缶事件判決」)に違反する(以下「判例違反②」)。 第3に、原判決は、重大な事実誤認により、被告人を無罪とした1審判決を破棄して被告人を有罪としたものであり、無辜の被告人を処罰の対象とした点で、著しく正義に反するものである。 1審無罪判決を破棄して有罪自判するために必要な証拠調べ 第1の判例違反①の主張は、原判決が、第1審無罪判決を破棄して有罪の自判をすることについての判例のルールに違反したというものだ。このルールというのは、証人尋問や被告人質問等を直接行って、供述者の態度や表情等も含めてその信用性を判断する第1審(このようなプロセスを経た裁判所の判断を重視することを「直接主義」「口頭主義」と言う)と、その結果を記録した書面だけで判断する控訴審とは大きく異なるのであるから、控訴審が、一審無罪判決を覆して有罪判決を言い渡すためには、自ら新たな証拠調べをしなければならない、というものだ。しかも、その証拠調べも、単に、「やれば良い」というものではなく「事件の核心に関するもの」でなければならない。その結果、公訴事実が認定できると控訴審が判断した場合にのみ、有罪の自判をすることができる、というのが判例である。 ところが、本件の名古屋高裁での控訴審では、この新たな証拠調べが「事件の核心」である現金授受に関して行われたとは到底言えない。 控訴審では、贈賄供述者の中林本人の証人尋問が職権(裁判所自らが必要と判断して実施すること)で行われた。それは、中林の一審証言に際して「検察官との入念な打合せ」が行われ、証言に大きな影響を与えたと思われたことから、検察官との打合せ等に影響されない中林の「生の記憶」を確認するために、事前に資料等を全く渡さない状態で、中林の「生の記憶」を確かめようとしたものだった。ところが、ブログ【控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件”】でも書いたように、融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林に、今回の証人尋問の実施について裁判所から正式の通知が届くよりも前に、中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書等が送られるという想定外の事態が起こった。中林は、自分の捜査段階での供述や一審での証言内容などがすべて書かれている判決書を事前に読んで、証言を準備していたのである。 中林は、一審証言とほぼ同じ内容の証言を行ったのだが、判決書を事前に読んでいたのだから当たり前であり、少なくとも、中林証言の信用性を認める証拠としては意味のないものだった。原判決も、 当裁判所としても予測しなかった事態が生じたことから、当裁判所の目論見を達成できなかった面があることは認めざるを得ない。したがって、当審における中林の証言内容がおおむね原審(1審)公判証言と符合するものであるといった理由で、その信用性を肯定するようなことは当然差し控えるべきである。 と判示している。 それ以外に、控訴審で行われた新たな証拠の取調べは、中林の取調べを行った中村警察官の証人尋問だけだった。ところが、それは、「中林の供述経過」だけにしか関係しない証拠で、しかも、中林の取調べを担当した警察官という捜査の当事者であり、中林証言の信用性が否定されることに重大な利害関係がある人物の証言なので、証拠価値が極めて低い。このような証拠調べが、控訴審での「新たな証拠調べ」として評価されるものではないことは明らかである。 そうなると、控訴審で、一審無罪判決を覆す判断をしようと思えば、最低限必要なことは、被告人質問で、現金の授受という「事件の核心」について、被告人から直接話を聞くことであった。しかし、被告人の藤井市長は、公判期日すべてに出席していたのに、裁判所は、被告人質問を一切行わず、直接話を聞くことを全くしないまま結審し、逆転有罪判決を言い渡したのである。 しかも、原判決は、ブログ【村山浩昭裁判長は、なぜ「自分の目と耳」を信じようとしないのか】でも述べたように、直接見聞きしたわけでもなく、裁判記録で読んだだけの一審被告人質問での供述について、「中林が各現金授受があったとする際の状況について、曖昧若しくは不自然と評価されるような供述をしている」という理由で、証拠価値がないと判示したのである。現金は全く受け取っておらず、一緒に昼食をしただけだと一貫して述べている藤井市長が、1年半も前に、誰かとファミレスで短時間、昼食を一緒にした時のことについて、資料をもらったか否か、どのような話をしたのかなど具体的に覚えていないのが普通であり、その点について記憶が曖昧だということは、被告人供述の証拠価値を否定する理由には全くならないことは言うまでもないが、原判決は、この被告人供述について、「被告人が記憶のとおり真摯に供述しているのかという点で疑問を抱かざるを得ない」などと、藤井市長の供述態度まで批判しているのである(その供述を直接見聞きしたわけでもないのに!)。 このような原判決が、第1審の無罪判決を破棄して有罪を言い渡す場合の判例のルールに違反していることは明白である。 控訴審での事実誤認の審査と1審の論理則・経験則違反の指摘 判例違反②の根拠としている「チョコレート缶事件判決」は、控訴審における事実誤認の審査の方法について、最高裁が平成24年に示した判断である。それまでは、第1審裁判所が、直接証人尋問等を行って得た「心証」と、控訴審裁判所が、事件記録を検討して得た「心証」とが異なっていた場合に、控訴審判決が、第1審判決を事実誤認で破棄することについて特に制約はなかった。しかし、裁判員制度が導入され、それまで以上に、刑事裁判の審理を1審中心にすることの必要性が高まる中で、最高裁は、 第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきもの と判示し、論理則・経験則違反が具体的に指摘できない場合には、第1審判決を事実誤認で破棄することができない、としたのである。 原判決でも、第一審判決の事実認定を批判する中で、「論理則・経験則違反」という言葉を多数、使ってはいる。しかし、その内容は、1審判決が論理則・経験則に照らして不合理であることを具体的に指摘したものではなく、控訴審の誤った「心証」に基づく判断を「論理則・経験則」と言い換えているだけである。 個別の判示についての記述は、証拠関係の詳細にわたるので「抜粋版」では省略したが、典型的な一例を挙げよう。 本件では、現金授受があったとされる現場に、常にTが同席していたこと、そのTが「自分が見ているところで現金授受の事実はなかった。席も外していない。」と証言していることが、現金授受を認定する上での最大の問題であった。 その点に関連して、最初にとられた中林の警察官調書では、1回目の現金10万円の授受があったとされた「ガスト美濃加茂店」での会食について、Tは同席せず、被告人と中林の二人だけだったように記載されているのに、その後、検察官調書で、Tも含めて3人の会食だったとされていることから、弁護人は、「当初、二人だけの会食だったと供述していた中林が、ガスト美濃加茂店の資料で3人だったことが判明したため、事後的に辻褄合せをしたものだ」と主張し、その点を、中林供述が信用できないことの根拠の一つとしていた。それに対して、中林は、一審公判で、「警察官調書作成後、メール等の詳しい資料を熟読するうちに、平成26年3月末頃から同年4月上旬頃、被告人が到着するのをガストの駐車場でTと一緒に待っていた情景等を思い出した。」と供述して、Tが同席していたことを自分で思い出したように証言していた。 これに対して、1審判決では、 中林は、すでに3月27日付け警察官調書において、被告人とガストの駐車場で待ち合わせたこと自体は供述しているし、4月2日午前中に被告人と中林との間でやり取りされたメールを見ても、Tを同行していた事実を推測させるような記載は見当たらないことからして、前記資料等を見たことをきっかけに前記情景等が思い出されたとする中林の説明はそのまま首肯し難い。 と指摘していた。 これに対して、控訴審判決(原判決)は、 確かに、メールの履歴をみる限り、Tに関する記載は無いものの、記憶喚起のあり方として、Tの存在を直接示す記載が無くても、メールを見ながら当時の状況について記憶喚起している中で、Tがいた情景を思い出すということは、経験則上あり得ることであり、この点も特に不自然ではない。 と判示し、まさに、1審判決の指摘が経験則に反しているかのように判示した。 しかし、1審判決は、記憶喚起の経過として、「メールにTの存在を直接示す記載が無いのにメールを見ながら当時の状況について記憶喚起している中で、Tがいた情景を思い出すこと」があり得ない、と述べているのではない。中林は、警察官調書で、被告人とガストの駐車場で待ち合わせたこと自体は供述しているのだから、「被告人が到着するのをガストの駐車場でTと一緒に待っていた情景等を思い出した」という「記憶喚起の経過についての説明内容」が不合理であることを指摘しているのである。 しかも、この点について、中林は、控訴審での証人尋問で、「Tがガストに同席していたことを思い出したきっかけ」について裁判所から質問され、「刑事さんに頼んで、カードの支払の明細を取寄せてもらったところ、しばらくして、それが来て、3人分のランチの支払があったので、Tがいたことがわかった。」と証言しており、中林は、控訴審では、「被告人が到着するのをガストの駐車場でTと一緒に待っていた情景等を思い出したこと」という1審での証言を、自ら否定している。 また、前述したように、控訴審で証人尋問が行われた中林の取調べ警察官の中村も、「中林は4月2日ガストでのT同席を、自分で思い出したのではなく、4月13日頃にガスト美濃加茂店の資料を示されて思い出した。」と証言しており、一審の中林証言は、中村証言とも相反している。 このように、Tの同席を思い出した経緯についての1審中林証言を、「首肯しがたい」とした1審判決の指摘が正しかったことは、控訴審における証拠調べの結果によっても裏付けられているのである。 ところが、原判決は、自ら行った証拠調べ(中林証人尋問)の結果を完全に無視し(この点に限らず、原判決が控訴審での中林証人尋問の結果を全て無視したことは前述した。)、1審中林証言について《この点も特に不自然ではない。》などと判示して、一審判決の指摘が誤っているかのように言っているのである。 これは、原判決の指摘が「1審判決の論理則・経験則違反の指摘」に全くなっておらず、余りにも杜撰なものであることの典型例であるが、それ以外の点も、証拠に基づいて仔細に検討していくと、中林の捜査段階からの供述経過や、関係者の供述を無視したり、1審判決の指摘の趣旨を誤ってとらえたり、全くの憶測で中林の意図を推測して中林証言の不自然性を否定したりするなど、1審判決の事実認定に対する批判として的外れなものばかりである。このような原判決は、最高裁判例で言うところの、「一審判決の論理則・経験則違反を指摘」したとは到底言えず、上記判例に違反していることは明白である。 著しく正義に反する重大な事実誤認 そして、第3の上告理由が、中林証言の信用性を肯定し、現金授受があったと認定したことの「著しく正義に反する重大な事実誤認」である。 証拠の詳細にわたる内容なので、「抜粋版」では省略したが、上告趣意書では、原判決が、証拠評価に関して多くの重大な誤りを犯していることを徹底して指摘した。証拠評価に関して、不当に過大評価したのが中林の知人のAとIの証言、不当に過少評価したのが、現金授受があったとされる会食に同席したTの証言だ。 Aは、1審公判で、「平成25年4月24日頃、中林から、被告人にお金を渡したいから50万円貸してくれないかと頼まれた。」と証言した。また、Iも、1審公判で、「浄水プラントの実証実験が始まった後の同年8月22日、中林とともに西中学校に浄水プラントを見に訪れた際、中林に、『よくこんなとこに付けれたね』と言ったのに対して、中林が、『接待はしてるし、食事も何回もしてるし、渡すもんは渡してる』と発言し、何百万か渡したのかと聞いたら、中林が『30万くらい』と答えた。」旨証言した。 これらの証言について、1審判決は、A証言を「中林において被告人に対して現金供与の計画を抱いていたとの事実の裏付けにはなり得るものの、それ以上に第2現金授受の存在を直接に裏付ける事実となるものではない」、I証言を「その性質上伝聞証拠に当たり、中林の公判供述の信用性に関する補助事実に過ぎない上、Iの公判供述における中林の発言内容は曖昧な内容である」と述べて、極めて簡潔な判示で証拠価値を否定した。 ところが、原判決は、Aが証言する中林の発言が、「Aに依頼した時点で、被告人に対し金銭を供与することを企図していたことを推認させる事実」だとし、Iが証言する中林の発言が、各現金授受に関する中林証言と金額も含めて整合している」とし、AとIの証言を、後から作為して作り上げることのできない事実であるという意味において、「中林証言の信用性を質的に高めるもの」と評価したのである。 1審判決が、A、Iの証言の証拠価値を当然のごとく否定したのは、もともと、その証言が、「中林の発言」を聞いたという間接的なもので、「伝聞証拠」であり、証拠としての価値が低いことに加えて、その「中林の発言」の内容も、信用性を高めるようなものではないからである。Aが証言するように、中林がAに借金を依頼する際に、その理由について「被告人に金を渡したい」と発言した事実があったとしても、Aから頻繁に高利で金を借りていた中林が借金を依頼する口実にしたに過ぎないと考えるのが常識であろう(実際に、控訴審での検察官の主張も、A証言は、中林の供述経過に関する証拠にしようとしただけで、Aが証言する「中林発言」が信用性を高めるとは言っていない)。また、Iが証言する、美濃加茂西中学校を中林とともに訪れた際の会話というのも、それまで実績がほとんどなかった中林の会社が美濃加茂市の中学校に浄水プラントを設置したことについて、中林が、会社の実績を上げたように誇大に説明する中で(実際には、この設置は「実証実験」であり、費用もすべて中林側が負担しているのであるが、Aはそのことは知らされていない。)、「それなりのことはしている」と言ったという程度の「他愛のない世間話」に過ぎないと考えるのが常識的な見方だろう。 それに加え、1審裁判所は、彼らの証言態度や中林とA、Iとの関係などから、凡そ証拠として評価するに値しないと判断したものと考えられる。 A、Iは、かねてから中林と深い関係があるほか、本件や中林の融資詐欺の捜査の進展によって利害を受ける立場にあり、全くの第三者による証言とは質的に異なる。 […]

Continue reading
「事業の検証と責任追及」についての小池知事と五十嵐市長の決定的な違い

「事業の検証と責任追及」についての小池知事と五十嵐市長の決定的な違い

4月19日、私が委員長を務めたつくば市の総合運動公園事業検証委員会の報告書が公表された(全文がつくば市のHPで公開されている)。 この事業は、前市長時代に市議会もほぼ全面支持で事業計画が立案されたが、約66億円でUR(都市再生機構)から用地を買収する議案承認の段階で議会の賛否が拮抗、僅差で可決されたものの、その後市民から反対運動が高まったことを受けて市議会で住民投票条例が可決され、投票の結果、事業が白紙撤回に追い込まれた。 住民投票の結果を受けて、市原前市長は、4選目の不出馬を表明、昨年11月13日に行われた市長選挙に立候補して当選したのが、市議会議員として反対運動の中心となっていた五十嵐立青氏だった。 白紙撤回された総合運動公園事業の検証を行うことは、五十嵐市長が、市長選挙の公約にも掲げていたものだった。市民の代表である前市長が計画を進めようとした事業計画が、同様に市民を代表する市議会からの反対と、住民投票で示された民意によって白紙撤回に追い込まれた経過を、市長選挙で示された民意に基づいて検証したというのが、今回の検証だ。 つくば市の総合運動公園事業をめぐる問題は、当該地方自治体にとって大規模な事業であり、その事業の是非について激しい意見対立があった点、対応方針が新旧首長で大きく異なっている点において、東京都の豊洲市場問題と共通している。 五十嵐現市長は、つくば市の総合運動公園事業の計画に対する反対の立場で、この事業を最終的に住民投票によって白紙撤回に追い込む側の中心であった。結果として、つくば市には、URから約66億円で買収した土地が、当面使う予定のない市有地として残っている。 一方、東京都の豊洲市場への移転問題については、話が持ち上がった当時から、土壌汚染の問題がある工場跡地に生鮮食品の市場を整備することについて反対論が根強くあったが、豊洲への移転を決定した石原慎太郎氏から猪瀬直樹氏、舛添要一氏まで歴代の知事は、一貫して豊洲への市場移転に積極的だった。舛添氏の辞任を受けて行われた都知事選挙で当選し、昨年7月31日に小池百合子氏が都知事に就任した時点では、豊洲市場の施設はほとんど完成し、11月7日の移転を待つのみであったが、8月31日、小池都知事は、豊洲への移転延期を発表し、その後、一貫して移転に慎重な姿勢をとり続け、都知事の側近から築地市場の再整備の試案が公表されるなど、現在も、市場移転問題をめぐる混乱は続いている。 つまり、小池都知事は、前任までの都知事とは、豊洲市場問題に対する姿勢が大きく異なるのであり、同じ自治体において、現首長が前任までの首長とは異なった方針に転じたという点では、つくば市の五十嵐市長と前市長の関係と同じなのである。   新たに就任した首長が、当該自治体の行う大規模事業に対して何らかの見直しを行おうとする場合、それまでの首長が行ってきた事業の経緯やその問題点を把握し、自らの首長としての対応を決定していくことになる。 ここで重要なことは、首長の対応をいかにして、客観化し、適正な手続で進めていくかだ。 【「小池劇場」の”暴走”が招く「地方自治の危機」】でも述べたように、日本の地方自治制度において、直接選挙で選ばれる首長の権限は絶大だ。議会には予算の提出権がなく、首長側が独占しているという意味では、米国の大統領よりも権限が強い。その首長が選挙によって交代し、当該自治体の運営や事業の執行に関して、前任者とは異なった方針で臨もうとする場合、非常に困難な問題が生じる。 前任者までの首長も、同様に「強大な権限」に基づき既に決定し執行した事業なのであるから、同じ地方自治体という組織の後任の首長も、一度法的に生じてしまったものを覆すことはできない。後任者の首長は、同じ組織を継承した者として、前任者までに生じた法的効果を継承して、自治体の運営と事業の執行に臨まざるを得ないのである。 つくば市の総合運動公園事業については、五十嵐市長の就任時点で、住民投票によって白紙撤回が決まっていたが、前市長の時代に市が約66億円の予算を投じて行ったURからの用地の購入は、市長が変わったからと言って、無かったことにはできない。東京都の豊洲市場の問題についても、小池知事が移転を延期した時点で既に6000億円もの費用が投じられて市場の施設のほとんどが完成しているという事実がある。五十嵐市長の総合運動公園事業への対応も、小池知事の豊洲市場問題への対応も、それだけの費用を投じて既に土地を購入したり施設の建設が完了したりしていることを前提にせざるを得ない。 このような場合、前任者までの首長とは意見を異にする首長としては、対応方針の転換によって自治体に多額の損失が生じる可能性があるため、前任者までの首長の対応の誤りや問題点を強調し、その責任を強調することになりがちだ。 その点、つくば市の総合運動公園事業に対して、五十嵐市長が就任後に行ったことと、小池知事が就任後に豊洲市場問題に対して行ってきたこととの間には大きな違いがある。 五十嵐市長は、市民に公約した事業の検証を、条例に基づく「第三者委員会」としての検証委員会を設置して、独立かつ中立の機関による客観的な調査に委ねた。重要なことは、条例の制定という形で、もう一つの市民の代表である市議会の了解を得た上で検証委員会を設置したこと、しかも、事業の経緯についての事実調査、原因究明等について、独立性、中立性を確保し、自らの意向とは完全に切り離した形で検証が行われたことだ。 一方、小池知事は、豊洲への移転延期の決定を、全く都議会に諮ることなく独断で行った上、「市場建物の地下に『盛り土』が行われていなかった問題」についても、条例上の根拠も何もない「専門家会議によるオーソライズ」を金科玉条のように扱い、移転の延期を正当化する事後的な根拠にした(【豊洲市場問題、混乱収拾の唯一の方法は、小池知事の“謝罪と説明”】)。そして、豊洲市場への移転延期で膨大な損失が生じていることに関して、移転を決定した石原氏の責任追及を行うべく、石原元都知事の損害賠償責任を否定していた従来の都の対応を見直す方針を明らかにし、訴訟代理人も交代させている。それも、小池氏自身の独断で決めたものであり、第三者による客観的な検証は全く行われていない(【「小池劇場」の”暴走”が招く「地方自治の危機」】)。   つくば市総合運動公園事業検証委員会発足時点の記者会見で、五十嵐市長は、「検証委員会設置は、責任追及を目的とするものではない。」と明言していたが、委員会としては、市原前市長が何らかの個人的動機によって事業を行おうとした疑いや、本件土地を売却したUR側と市との間に何らかの不透明な関係、癒着関係等の疑いが指摘されていたことも踏まえ、その点も念頭においた調査を行った。その結果、「本件検証における調査結果からは、個人的な動機が介在した事実や不正の事実等は認められなかった」との結論に至り、「本件をめぐる問題は、二元代表制の地方自治制度の下で、首長や執行部が大規模事業の実施を決定し、事業を遂行していくことに関して、民意の把握、市議会や市民への説明等に関して不十分な点があった場合に、行おうとする事業の規模・性格や首長と議会との関係等の要因如何では、計画どおり事業を遂行することが不可能な事態に追い込まれることもあり得ることを示すもの」と分析したうえで今後のつくば市の事業への対応についての提言を示した。 つくば市においては、市を二分した対立には一応の決着がつき、今回の検証結果が、今後、市が行う大規模事業において教訓として活用され、市長と市議会との健全な関係と、民意を尊重した市政が展開していくことが期待される。 それと全く対照的なのが小池知事のやり方である。豊洲市場問題の混乱を招き、市場関係者や都民に膨大な損失を生じさせ、独断で過去の知事の責任追及の方針を示すことで市場問題への自らの対応への批判をかわそうとする小池氏は、「東京大改革」どころか、「都政の破壊活動」を行っているに等しい。東京都民の一人として、極めて憂慮すべき事態と言わざるを得ない。      

Continue reading